第5話 勇者の伝説 4

先ほどまでの薄暗さから一転して、眩しいほどの光だ。

どうやら外へ出たらしい。

切り立った岩壁に挟まれた谷のような空間。

岩山の内部にこんな所があったのか。

壁に居並ぶゴブリンは、どう見積もっても数百匹はいるだろう。

洞窟内は子育ての空間で、寧ろこちらの方が本拠地なのか。

巣の入口を見張っていても人里に出没していたのは、ここから出入りしていたからということか。

15年前に殲滅できなかった原因も、今わかった。

背後の洞窟内では、小さな爆発を繰り返す音がする。

王子たちは逃げただろうか。

ゴブリンによる悲劇はこれからも続いていくことを、どうにか伝えたい。



「おい。ヨタ、動けるか?」


声を掛けてみるも、息が荒いばかりで返事はなかった。

せめて村娘とヨタにここから逃げてもらいたかったが、どうやらそれは無理らしい。

もう感じたくはないと閉じていた心に、再び絶望が押し寄せてくる。


ゴブリンの大群は、新しいおもちゃをどう壊して遊ぶか考えて、楽しげにこちらを見ている。

この数じゃあ取り合いになって、弄ばれる前に引きちぎられてしまうかもな、なんてことを思った。

自暴自棄になった無力な自分に、細くて黒い腕が伸びてくる。

せめて楽に死にたいなと思った時、後方から突き出してきた剣が目の前のゴブリンの腕を斬り落とした。


「ラキ様。大丈夫ですか!?」


意識がないと思われていた弟子が、息も絶え絶えに剣を構える。


「…お前。動けるのなら早く逃げろ!」

「僕の足ではもう逃げられません。ラキ様、どうかあの娘さんを連れて逃げてください」

「何バカなことを言っている。若いやつが先に死んでいい訳がないだろう」

「だけど、僕は騎士です。まだ従騎士ですが、騎士としての誇りはあります。主たるラキ様とか弱き女性を最期まで護り抜いてみせます」


死を恐れて震えているくせに、この後に及んでまだ騎士道精神を語るのか。

確かにこの状況下では、ヨタの言うとおりにするのが最も助かる人数が多くなり、外部へこの場所の存在を知らせることも出来る。

死ぬのはヨタ1人だけだ。


――それでも、15年前に自分以外を犠牲にしたラキにそれは出来なかった。

自分がこのまま留まれば、ここにいる誰もが無駄死にするだけだ。

こんな冷静な行動が出来ないとは。

騎士道なんてのはとっくの昔に棄ててしまっていて、ただ自分勝手な感傷だけでこの場から離れられないでいるだけだ。

騎士に向いていないと思っていた弟子の方がよっぽど騎士らしい。



――ラキ・カイン・シーズ。


偉大な勇者に由来する自分の名前が嫌いだった。

父親が望んでいたような英雄とは、ずいぶん程遠いところに来てしまった。



襲ってくるゴブリンを何とか払い続けるが、すでにヨタは立っていられなくなり、何匹かのゴブリンに伸し掛かられている。

ラキは逃げることも、敵を殲滅させることも出来ずに、上部から飛びかかってくるゴブリンを見上げると、逆光で目が眩んだ。

いつの間にか日は真上に昇っていたらしい。

思わずそばめた目の端に、天高く飛ぶ竜の影が映った。

近くの谷の竜だ。

この辺りでは珍しくない。

だが、そこから何か落ちてきた。

人の形をしている――?


その人の形をしたものは、この場所を目掛けて見る見るうちに近付いてきた。

そして重力も風の抵抗もまるで己には無意味なものだとばかりに巨大な剣を振りかざし、数百ものゴブリンを一陣の風に巻き上げた。



――ラキは、勇者に由来する自分の名前が嫌いだった。

ギリア王国の民であるカイン。

過酷な戦況下でも優雅さを失わない彼は、細剣でどんな敵をも倒してしまう。

馬鹿馬鹿しい。

本当に魔物と戦った者ならば、それがこども騙しの夢物語に過ぎないというのはすぐに分かることだ。

しかしそれ以上に、ラキの父親が語っていた“カイン”は、もっと非現実的だった。

父は、これこそが本当の『勇者カインの伝説』なのだと得意げに話していたが、そのカインの話を知っている者は他に誰もいなかった。

カララギ王国の王子の同志であったというカイン。

黒髪黒目の少年の姿をしていて、額に第3の赤い目を持つ彼は、巨大な剣で向かってくる敵の大群を薙ぎ払い、さらには強大な魔法の力で残らず討ち滅ぼしていったのだという。



空から降りてきた少年の一太刀で、ラキやヨタ、村娘を襲っていたゴブリンは息絶え、辺り一面に黒い塊が落ちて転がっている。

今この場に立っているのは、ラキとその少年、そして他のゴブリンとは違う大きな体躯をした1匹のゴブリンだけだ。

あれがこの群れのボスに違いない。


「あれを倒すのはあんたの仕事だろ。領主さま?」


少年が額の赤い目で、ラキの心を見透かすかのようにそう言った。


ラキは剣を強く握り締め、最後のゴブリンへと向かっていった。


「うおおおおぉぉおおお!!」


敵もこの人間になら勝てるだろうとでも思ったのか、ラキ目掛けて襲いかかろうとしている。


久しく走っていない脚が縺れそうだ。

酒で膨らんだ腹が重い。

だが、1日たりとも剣を振らなかった日はなかった。

弟子への稽古だと嘯いて、諦めたふりして諦めきれない騎士としてのなけなしの足掻きだった。


伸びてきた長い腕を素早く屈んで避けると同時に、ゴブリンの心臓深くに剣を突き刺す。

それでも即死する様子がないため、そのまま抜いた剣で喉を掻っ捌いた。

ドシンと仰向けにひっくり返ったが、まだ動いている。

ラキはさらに奴の目玉に、大きく開いたままの口腔に、何度も何度も剣を突き立てた。

洞窟内で恐怖のあまり剣を突き刺し続けたヨタのことを笑えない。

復讐――?

いや、そういうんじゃない。

何の感情かも分からない涙で目が霞んでいく中、この惨殺はゴブリンがただの肉片になるまで続けられた。




洞窟の外では、ラキたちの姿が見当たらないことで騒然としていた。

ヤナギラかクロードが中へ確認しに戻るか相談していたところに、雑木林の中からヨタと村娘を担いだラキが現れた。

カインのリリィに送ってもらったのだ。

村娘を馬車へ乗せたりヨタの怪我の具合を診たりと落ち着かない中、ラキは王子と2人になった隙に預かっていた言付けを伝えた。


「――金色こんじきの竜を連れた少年が、ルイティ王子によろしく、と…」


少年は、他の者には自分の存在を黙っていてくれと言った。

ただ1人を除いて。


「ああ」


当の王子は、それを特別なことではないように応えた。

だからこそ、ラキは声を潜め、眉を顰めてルイティに問いかけた。


「王子。彼の額に赤い目がありましたが、彼は一体何者なのですか」


ルイティはカインの額の目を気にしたことはなかったが、普通は奇怪に思うものだろう。

ましてやこの国は今、魔族からの虐げを受けている状況にあるのだから。

だからこそ、ルイティはなんでもないことのように答えてみせた。


「カイン。ただのカインだよ。僕の秘密の友人なんだ」


笑って人差し指を唇の前に立てる。


「カイン…」


その名にラキは打ち震えた。


――もしかすると、王子にとっては初めからこの計画は無茶なものではなかったのかもしれない。

無謀だと思っていたあの正義感も、強く確かな後ろ盾あってのものなのだとしたら…?


この国は、再び光を取り戻せるのかもしれない。



ラキはルイティ王子の御前に跪いた。


「ルイティ殿下。我が魂は王国と共にあります。殿下へ心からの感謝を申し上げるとともに、忠誠を尽くすことを誓います」


15年前から停まったままだった時間が、今ようやく動き出したような気がする。

もう一度、騎士としての自分で歩んでいけると、そう思えた。



救出された村娘たちは、回復するまでラキの屋敷で預かることになった。

ラキの昔の伝手を使い腕のいい医者と呪術士を手配して、心身ともに回復できるよう援助していくらしい。






ルイティたちは、ラキの屋敷を後にして帰路に就いた。


「ヤナギラがあんなに腕が立つとは意外だったな」


今日1番の感想を述べるルイティに、ヤナギラは笑っていつもの調子で軽く答えた。


「ああ。俺本業は暗殺の方っすからねー」


「……お前。それを僕の前で言うか?」

「大丈夫ですって。王子様の暗殺の話はまだ来てないっすよ」


そう言って1人であっはっはと笑っている。

この男はやはり馬鹿なのか?

読めないでいるのはクロードも同じらしい。


「殿下。この男に気を許してはなりませんよ」



それから仲良く並んで馬を走らせる2人を後ろから追いながら、ヤナギラは頭上高く飛ぶ竜を見た。

目も耳も人よりも鍛えられている彼は、先ほど聞こえてきたやり取りを思い出して小さく独り言を言った。



「額に赤い目の少年ねえ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る