(5)さようなら横浜。さようなら橘さん

「あー、もう! なんでこう、また詰めの甘いヒトがー!」


 ヘンゼルが頭を抱えた。

 隣で柚樹を見つめるリゼが、考えながら口にした。


「タイムさんの仕事は常にカンペキで、術は誰にも破れないと聞きます。時間を進めたり戻したり出来ないのと同じくらいに」


「ええっ、でも、俺、これまでのこと全部覚えてますけど……」


「アタシに見させて」


 柚樹の前髪を上げ、グレーテルが額をじっと見る。


「あなたは……?」


 グレーテルはヘンゼルを見てから、問いかけたリゼに答えた。


「アタシはグレーテル・クローセル」


「クローセル……さん……!?」


 リゼとアールグレイが目を見開いた。

 悪魔としても名を馳せ、二人にも聞き覚えがあるようだった。


「隠れた能力ちからを『見る』ことに長けている、あのクローセルさんですか?」


「うん」


 リゼの声に警戒や敵意は感じられなかったことに、少々ホッとした表情を見せたグレーテルは、『見る』のを続けた。


「……やっぱり、術が消えてる。おかしいよ、ヘンゼル」

「ヴァルプルギスの夜、橘さん、実は変なものとか食べてません?」


 ヘンゼルが慎重な面持ちで尋ねる。


「な、なに、ヴァルプルギスって……あ、確かローズマリーさんがウキウキしててカレンダーに書いてた……」


 はっと、ローズマリーが口元に手を当てる。


「もしかして、あの時の黒豚……!」


 やっぱり、という顔になってヘンゼルが続けた。


「ヴァルプルギスの夜に、ローズマリーさんの作ったものはこちらの世界の食材なので大丈夫ですが、違う世界のものを食べてしまうと魔力が備わるんです。それぞれの世界のものを持ち寄って食べることで自分の能力が上がると、魔女たちには信じられていて」


「へ、へえ〜……」


「橘さんは他の魔女の料理を食べました? そういえばあの翌日、黒豚がどうのって言ってませんでしたか? ローズマリーさんは黒豚料理は持っていってなかったはずです」


「ラミアがうっかり食べさせたのかも知れないわ」

「それが原因で、アタシの技も効かなかった……?」


 ローズマリーがおろおろ見守る中、グレーテルはもう一度目を凝らして柚樹の額に手を当てた。


「……わずかだけど、……魔力が感じられる。さっき術をかけた時には感じなかったのに! これって、橘さんの中で魔力が育ってきてるってこと!?」


「ええっ!」


 不安にかられた柚樹が、挙動不審に皆を見回した。

 驚いていた紅茶館の三人も、顔を見合わせる。


「タチバナさんに魔力がのか?」


 ダージリンが柚樹を見てから、きょとんと、リゼとアールグレイを見た。


「だから橘くんには、色々魔法が効かなくなってるのかな?」


 アールグレイも、グレーテルとリゼに問いかけた。


「そうね。魔力のある人向けの印はまた別の模様になるから、あれでは効かなかったわけだわ」


「でも、だとしたらなおさら、たとえわずかな異変でも、あのタイムさんが見逃すはずないと思うんです」


 リゼが、自分の考えに半信半疑なまま口にした。


「タイムさんの術で、今は時の流れは正常化してるようにぼくにも感じられます。あるいは、橘さんのこの現象は、うまく説明出来ませんが、、ということかも知れません……」


「なるべくして……?」


 ヘンゼルたち一同は、じっと柚樹を見つめた。

 キョロキョロと皆を見回していた柚樹が、慌てた。


「あ、あの、俺、『なるべくして』はこの際ともかく、『こうなった』って、どうなったんです!? 魔力ってなんです? ファンタジーですか? 俺、悪魔か何かになっちゃったんですかー!」


「落ち着いてください、橘さん、大丈夫、悪魔にはなりませんから」


 ローズマリーが柚樹の両肩に手を置く。


「この世界にはない不思議な力を魔力と呼ぶなら、あなたは今、魔力の備わった人間、ということになります。今は普通の状態ではない、この世界にはない力を持っている、と」


「え……」


「といって、すぐにその力が目醒めざめて魔法を使えるわけではありません。魔法とは自分で鍛錬して身につけていくものだからです。なので、魔力はあっても魔法の使えない人というのも、いるにはいます」


 柚樹の頭はぐるぐると回っていた。


「あ、あなたたちは、そういう……不思議な力を持った人たち……だったんですか? 消えたり、結界みたいなの張ったり、尋常じゃないジャンプ力だったり……!」


 困惑した柚樹の顔を見ながら、ダージリンは首を傾げた。


「よくわかんないけど、オレは生まれつきだったから。アールグレイが消えたり出来るのも、みんなそれが普通だと思ってたぜ」


「ええー、なんですか、それ!」


「オレはホントは三月ウサギって種族らしい。アールグレイはチェシャ猫って猫族だし、リゼもオレとは違う時計ウサギだし」


「えっ? えええ〜〜!?」


 ますます混乱している柚樹に、アールグレイが苦笑いをしながら肩をぽんぽんと叩いた。


「こいつの言ったことに補足すると、僕もダージリンも、生まれはこの世界じゃないんだ。訳あってこの世界に今はいるけど。僕たちの世界では特殊な能力がある者は元々備わっていて、後から身に付いたって話は聞いたことがない。でも、ローズマリーちゃんたちの世界でなら、有り得ることなんだね」


「不思議なのは、その状態をタイムさんが、見逃したのではなく直していかなかったことなのです。ぼくには、何か意味があることのように思えるんです」


 リゼもしゃがみ、深刻な表情を浮かべて柚樹を見た。

 柚樹も、すがるようにリゼの紅茶色の瞳を見つめた。


「意味……って……?」

「それは僕にも今の時点でははっきりとはわかりませんが、……橘さん、言いにくいんですが、……もうこちらの世界には、居られなくなるかも知れません」


「ええっ!?」


 驚いたあまり、のけぞって尻餅をついた。


「まさか、俺、あのさっきのタイムってコに、どっか連れてかれちゃうんですか!? 魔力のせいで? 魔力って取れないんですか!? ローズマリーさんたちにも」


 ローズマリーが伏せ目がちになった。


「ここでは無理なんです。実家に戻れば出来ると思いますが、それには……向こうの世界に行くしか……」


「な〜んだ! それなら、俺、ローズマリーさんたちの世界に行って魔力を取ってもらって、またここに戻ってくればいいんですね!」


「それが……」


 ローズマリーが口を閉ざし、代わりにヘンゼルが口を開いた。


「僕たちは向こうの世界に戻ったら、こっちには二度と戻らない。僕たちがそこのゲートから帰って、さっきのタイムがゲートを封印したら」


「ええっ! 二度と……?」


「それが、タイムの言っていた『責任を取る』ということなんです」


 ヘンゼルの顔には、柚樹が見たことのない、やるせない表情が浮かんでいた。




「……おう、橘か、どうした?」


 スマートフォン越しには、パン屋の店長の声が聞こえる。

 しばらく話してから、アルバイトの佐倉にも電話をかけ直した。


「どうしたの? 橘くんが電話なんて珍しいね!」


 嬉しそうな弾んだ声だ。


「あのさ、佐倉さん、ちょっと確認したいことがあるんだけど」

「な、なによ、改まって」


「この前、ドイツの民話だかなんだかをスマホの記事で読んでたでしょ? 魔女にされたお姫様の話。あの姫の名前って……イルゼじゃなかった?」


「は? なんの話?」


「確か、美しさを妬まれて魔女に呪いをかけられた。魔女が悪魔を召喚して契約。悪魔に魔女にされてしまった姫は王子との婚約も解消され、行方不明。そんな内容だったと思うんだけど」


「私、そんな話したかなぁ?」


「してたよ。報われない話だって言ってたよ。俺のドイツパン留学が延期になった話をしたときだよ。今、あの話が気になってさ」


「知らないわよ。だいたい、私、橘くんがドイツパン留学するなんて聞いてないよ」


「え? 話したでしょ?」

「知らないってば」


 その後、機嫌を損ねたように佐倉は早々に電話を切った。柚樹には、なんだか普段よりもつれない気がした。


 違和感を感じながらも、柚樹がスマートフォンであちこちに電話をかけまくっている間、背後の異界へのゲートの前に、ローズマリーとヘンゼル、グレーテルが集まり、リゼとアールグレイ、ダージリンが別れの挨拶を交わしていた。


 しゅ〜っ! と、蒸気とともに、先ほどの時の番人タイムが姿を現し、空中でブレーキをかけたように止まった。


「封印の準備は?」

「しておきました」

「いい心掛けだね! じゃ、そこに並んで」


 女子中学生ほどの外見のタイムが、ふわ〜っと、地面に降り立った。

 ミントブルーの二つに結んだ髪も遅れてふんわりと背に降りた。


「あ〜あ、ラプンツェルの料理、食べてみたかったなぁ!」


 褐色の肌に金髪の少年ダージリンが両手を頭のうしろで組み、心から残念そうな顔になった。


「ごめんなさいね、ダージリンくん」


 ローズマリーが困った笑顔になる。


「ほ〜んと! タイミング悪かったよねぇ!」


 オリエンタルだが貴族らしい雰囲気もあるアールグレイが、笑ってウィンクした。


「もう少しこっちの世界にいてくれたら、ローズマリーちゃんとデート出来たかも知れないのに、残念だよ」


「まあ! ネコちゃんとデートだなんて楽しそうね。出来なくて残念だわ」


 ローズマリーがにっこり微笑むと、アールグレイが近付き、ごく自然に肩を抱くと頬に口づけた。


 電話が終わった柚樹が、それを見て慌てて飛んできた。


「ローズマリーさん……」


 なんとも言えない顔の柚樹に、ローズマリーは笑ってみせた。


「頑張って、立派なパン屋さんになってくださいね。会えなくても、わたし、応援してるので」


「……」


 柚樹は、しんみりと下を向いた。


「ヘンゼルくん、怪我はもう大丈夫ですか?」

「ああ。ローズマリーさんの軟膏が効いたから。リゼさんたちには世話になった」


「グレーテルさんも、お元気で」

「ありがとう」


 子どもたちとリゼが言葉を交わすと、タイムが肩から斜めにぶら下げている懐中時計の文字盤を見てから、持っていた長柄武器を構えた。


「時間だよ。ゲートを封印する」


 武器の先の、突起のある丸い輪が、金色に光り出す。

 光る時計の巨大な文字盤が、タイムとローズマリーたちの間に浮かび上がった。


「ありがとう、皆さん。さようなら、横浜」


 さびしそうに、ローズマリーが言った。


「……やっぱり、俺も行きます!」


「……!? 橘さん!?」


 柚樹が駆け込み、ローズマリーたち三人は慌てた。


「なにをバカなことを!」


 ヘンゼルもグレーテルもすっかり動揺している。


「もう決めたんです! 俺、あなたの役に立ちたいんです!」


 柚樹がローズマリーの手を握った。


 呆気に取られた彼女が、リゼとタイムの顔を見る。


「皆さん、お世話になりました! 俺、ずっと忘れませんから!」


 大きく手を振る柚樹に、紅茶館の三人も目を丸くしながら、手を振った。


 同時に、四人の姿は光に包まれながらゲートに迫り、文字盤の光が消えると、彼らも、ゲートを囲んでいた庭の曲がった木々も、一気に消えていた。


 『おかしな家』の建物だけが、そこに残っていた。

 看板はない。ローズマリーたちがいたときよりも少し古びていて、外壁の半分は蔦が絡まっていた。


「すべて予定通りに終わったよ」


 タイムはニヤッと口の端を上げて、リゼたちの方に向き直った。


「橘さんが向こうの世界に行くことを、読まれていたのですね?」

「このボクを誰だと思ってるのさ? キミはわかってた?」


「まさかとは思いましたが、びっくりしました」

「まだまだだな、ヒヨッ子。さっきも言ったけど、はやく上級の『時の番人』になるんだな」


「はい」


 タイムに微笑むと、リゼは、『おかしな家』の庭のゲートのあった、今は花とハーブしか植わっていないその場所に向かってつぶやいた。


「さようなら、橘さん。また会う日まで」

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ヴァルプルギスの夜に逢おう かがみ透 @kagami-toru

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