第2話

 朝日が上り、昼よりも少し冷える頃。シャハルは、ゆっくりと体を起こし、部屋の窓から外を見る。そして、窓の横にある机にある写真に、「おはよう」と小さく挨拶をし、着替えて部屋をでた。階段を降りてリビングに行けば、すでにアッシャとニグムは起きていて、朝食の支度をしている。楽しそうに支度をしている二人を見て、シャハルは顔をしかめながら、鞄を背負う。

 「こらシャハル、飯はどうすんだよ」

 「いらない。朝の買い出しに行ってくる。狩りは十時からでしょ。まだ、朝の五時半だし、先に私だけで買い出し行く。じゃ」

 シャハルはそう行って、リビングを出て行ってしまった。そんなシャハルの背中を見て、アッシャは肩をすくめた。。

 シャハルは、「……なによ、楽しそうにしちゃって」と頬を膨らませて、ドアに寄りかかりながらそう小さく呟く。リビングからゆっくり玄関まで歩き、靴へと履き替えて、「いってきます」ときこえないくらいの小さな声でそう言って、玄関のドアを開けた。開けた瞬間、上から太陽の光がシャハルの顔へと降り掛かり、シャハルは目を細める。

 「……まぶし」

 そうつぶやいて、慣れた道をゆっくりと歩く。

 周囲は全て木。他の家も何も見当たらなければ、道といえるものもない。木と木の間を、慣れた足で数分歩けば、小道へとでる。小道には、数十メートル置きくらいに家があるが、お店は見当たらない。小道は一本道で、そこを淡々と数十分歩けば、ようやく大通りにでて、周囲はお店で埋め尽くされていて、人も道いっぱいに広がっている。

 そんな中、シャハルは人混みをくぐり抜け、野菜屋の前へとでる。

 「おばさん、いつもの」

 「あらシャハルちゃん、今日は一人なのかい? お兄さんは?」

 「……朝食中」

 「あっはは! その様子だと、またアルマンにお兄さんを取られたんだね」

 「……」

 図星をさされ、シャハルはそっと視線を逸らす。そんなシャハルをみて、おばさんは「はいよ、いつもの野菜盛り合わせ」と言って、野菜がたくさん入った紙袋を渡した。

 「それとこれ、おまけ。それで元気だしな」

 そう言っておばさんは、シャハルにりんごを二つ渡した。そのりんごを、シャハルは「ありがとう!」と満面の笑みで受け取り、一礼して人混みへと入った。人混みを抜け広場にでて、ベンチに腰をおろす。そして、先ほどもらったりんごを一つ取り出して口にした。

 黙々とりんごを食べていると、広場の真ん中で子どもの鳴き声が響いた。泣いている子どもを、周囲の人たちは誰も声をかけず。むしろ、鋭い視線を泣いている子どもに向けている。

 そんな子どもを見て、シャハルはスッと立ち上がり、子どもの方へと駆け寄った。

 「はい、あげる」

 「……えっ……?」

 シャハルは、子どもにまだ口をつけていないりんごを差し出した。

 「僕、迷子? お母さんは?」

 「うん」

 涙まじりに言う子どもに、シャハルは「そっか」と言って、子どもの頭を優しく撫でる。

 「おかあさんが、どんな人か、説明できる? 髪の色とか、今日の服装とか」

 「……黒い髪で、真っ赤なコート」

 「真っ赤なコートね。ちょっと待ってて」

 シャハルはそう言って、少し離れたところにある、木に駆け寄った。そして、木の根元に荷物を下し、鞄の中から双眼鏡を首にかけ、木に登っていく。一番上まで上りって、双眼鏡を目元に当てる。

 「えーと、赤いコート赤いコート……。そんで、キョロキョロしてて……」

 そうブツブツ言いながら、周りを見渡す。すると、大通りの方に、いろんな人に話しかけている人に目が止まる。その人は、黒い髪を団子にしてまとめていて、赤いコートを羽織っていた。

 「こっちに向かってる……。このままだと、こっちから向かって会えるのは……カフェの前、かな。よし」

 シャハルは双眼鏡を目から離し、素早く下へと降りていく。そして荷物を抱えて、子どもの手を取って「こっち」と大通りの方へと歩く。

 先ほどシャハルが双眼鏡で覗いたときに映った、カフェの前まで来ると、赤いコートを羽織った女性が目に入る。その女性を見て、子どもは「ママー!」 と駆け寄っていく。

 シャハルは子どもに「よかったね」と手を振って、家へと戻ろうと振り向くと、誰かにぶつかってしまった。

 「すみませ……って」

 顔をあげると、シャハルの後ろに立っていたのは、ニグム。そのニグムを見て、シャハルは顔をしかめる。

 「なにしてんの、あんた」

 「あー……あー」

 「……はあ。アッシャは一緒?」

 「……あー」

 ニグムはコクリと頷く。それを見て、シャハルは「何してんのよ、あのバカ兄は」と呟く。

 「私、先に家に帰ってるから。あんたはアッシャと帰ってきてよね」

 シャハルはそう言って歩き出そうとすると、ニグムはシャハルの手首を掴む。シャハルは、立ち止まり、自分の手首を掴む手を、鋭い目で見る。

 「……なに、これ」

 「……あー」

 「私に帰るなって?」

 「……」

 「何か言いなさいよ!!」

 そうシャハルが声を荒げると、誰かがシャハルの後ろから、軽くシャハルの頭を叩く。

 「落ち着け、ハル」

 「……アッシャ」

 「ここは大通りだぞ、周りに迷惑だろ?」

 アッシャがそう微笑むと、シャハルは「ごめん」と小さく呟いた。それを聞いてアッシャは「んじゃ、帰ろう」とシャハルの手を取って、歩き出した。

 大通りをでて、街をでれば、来るときに通った殺風景な一本道へとでる。

 「あのなハル、俺がさニグムに頼んでたんだよ。ハルを見つけたら三人で帰りたいから、引き止めておいてくれって」

 「……なんでそれを、喋れないやつに頼むのよ。ばかじゃないの。ってか、何しに街に来たの?」

 「これを、買うため」

 そう言って、アッシャはシャハルの手のひらに、小さな機械をのせた。

 「なにこれ? マイク?」

 「それな、アルマンが話せるようになる機械らしい」

 「ふーん……。どこで買ったの?」

 「ニグムを買った中古屋」

 「ってことは、これ中古なの? ……不良品じゃないの」

 「まっ、使ってみるのが一番だろ。家に帰ったら、これをニグムにつけてみよう」

 「……」

 シャハルは、アッシャの言葉に顔をしかめ、小さくため息をついた。



 家につけば、時計は十時をまわっていた。「これをつけたら、狩りに行こう」と言って、アッシャは早速ニグムを座らせ、機械をつけ始めるため、ゴーグルをつける。「どう? つけられそう?」と覗き込むシャハルに、アッシャは「余裕。危ないから下がってろ」と言い、丁寧に作業を進めた。

 「よし、できた」

 そう言って、アッシャはゴーグルを外す。

 「……ほんとに、喋れるの?」

 「話しかけてみればわかるだろ」

 「……」

 片付けをするアッシャの背中に「もう」とシャハルは小さく呟き、チラリとニグムに視線を移す。

 「……ねえ。あんた、喋れるの」

 恐る恐る、シャハルは座っているニグムの背中に話しかける。すると、ニグムはゆっくりと振り返った。

 「……オレ、ニ、グム」

 「……うそ」

 「シャ、ハル」

 そう言葉にしたニグムから、シャハルは目をまん丸にしながら一歩、二歩と下がる。そして、「ア、アッシャー!」と片付けをしに行ったアッシャへと走って向かった。無理矢理アッシャの腕を引っぱりながら、シャハルはニグムの前へと立たせる。

 「ね、ねえ、アッシャの名前、呼んでみてよ」

 「……ア、ッシャ」

 「ね?! アッシャ、こいつ喋った!」

 「おーすげえすげえ。って、ニグムは前から喋るっつの」

 「『あー』じゃ、喋るなんて言わないの」

 「ニグム、他になんか喋ってみろよ」

 アッシャの言葉に、シャハルはゴクリと息をのみ、ニグムの言葉を待つ。ニグムは、ゆっくりと口を動かし、そっと言葉をこぼした。

 「シャ、ハルは、わ、がま、ま、むす、め」

 その言葉に、シャハルとアッシャは目をまん丸にし。そして、アッシャは「ぷっ」と小さく吹き出す。そんなアッシャがゆっくりと、シャハルの方に視線を移せば、シャハルはキッと目を鋭くして、ニグムを睨む。

 「バカ!!」

 そう声を荒げて、シャハルは自分の部屋へと駆け込んだ。そのあと、ニグムの口から小さく「だ、けど」と発せられたことに、アッシャも気づかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る