第六章(4)以洋、幽霊との約束を果たす

 今夜は仲瑋ヂョンウェイの家に泊めてもらうことになっている。

 とは言っても、そもそも仲瑋ヂョンウェイが一人で住んでいたのを君遠ヂュンユエンとルームシェアしているので、寝室は一つだけだ。

 一緒に寝るんでいいよと、君遠ヂュンユエンは申し出てくれたが、その寝室にどんと置かれている、部屋の面積の割に大き過ぎるダブルベッドを見てしまうと、以洋イーヤンの方が気恥ずかしくなってしまった。

 しかし、せっかく寝床を融通してくれた君遠ヂュンユエンの手前、余計なことは考えないようにしようと思う。

 そもそもあまり想像もできないし……だいたい先輩達の方だって僕と懷天フアイティエンのことを想像したりはしていないはずなんだし。

 取りあえず笑顔で君遠ヂュンユエンの好意に甘えることにした以洋イーヤンは、深夜になるのを待った。君遠ヂュンユエンが熟睡した――少なくともそう見えるようになった――後でこっそりと起き上がり、ベッドから下りてリビングへ向かう。

 カーテンを開け、更に掃き出し窓も開けて、以洋イーヤンはベランダに出た。

 この家があるビルはそれほど高さがあるわけではないが、周りにも似たような高さの建物しかないので、視界を遮られることなく綺麗な夜景が楽しめる。ライトアップされた一○一が遠くに煌めいているのも見えた。

 ベランダの柵はそこそこの高さがあったので、少し考えてから以洋イーヤンはテーブルをベランダに運んで来て足場に使うことにする。

 ようやく柵の上に腰掛けてみると若干肌寒く、以洋イーヤンはまた少し悩んだ。

 もう一枚ジャケットを着てきた方がいいのかな? Tシャツにジーンズだけだとこの時間はちょっと寒いんだけど。

『早く飛べよ? なにぐずぐずしてんだ? やっぱ無理ですって言うんなら今だぞ? ごめんなさいって謝るんなら許してやらあ』

「なに焦ってんのさ? こんな綺麗な夜景も楽しまないなんて、人生ほんとに損したね」

 一○一の明かりを指差し、以洋イーヤンは弾んだ声を出す。

「僕も今年の年末は一○一の年越し花火が見える場所で新年を迎えるつもりなんだ。年越しイベントに行くのって初めてなんだけど、懷天フアイティエンに言えば連れていってくれると思うし」

『アホかお前は。お前のあの彼氏ってお巡りだろ? 年越しなんて一番忙しい時だろうが。花火見に行ってる時間なんかあってたまるかよ……』

「それもそうかも」

 一瞬へこんだ以洋イーヤンだが、すぐに立ち直って東晴に訊ねてみた。

「君は行ったことあるの?」

「あったりまえだろ。俺が二十二、三歳になるまでは毎年見に行ってたさ……。ま、その後は賀昱霖ホー・ユイリンの奴は俺に興味なくなっちまったから、学生を連れていってやらないと~とか、書かなきゃならない論文が~とか適当な口実作っては、俺じゃない男の子連れて年越しに行ってたんだけどな』

「あいつってほんっとにろくでもない男だったんだね」

 しみじみとそうつぶやかずにいられない。

『……お前ずっとそればっか言ってないか? あんな野郎を選んじまったのは結局俺自身なんだぜ? お前が嘆く理由がどこにあんだよ』

「君は確かにあのろくでなしを選んじゃったし、人生の終わらせ方も最低のやり方を選んじゃったけど、それでも誰だってもう一度やり直す機会は持ってるはずだってのが僕の考えだからね」

 真面目な口調で以洋イーヤンはそう答えた。

『……いつまでもしゃべってんじゃねえよ。お前さ、結局飛ぶの? 飛ばねえの? 飛ばねえんだったらさっさとそこから下りて、ごめんなさいって俺に言いな。そしたら勘弁してやらあ』

 思わず以洋イーヤンは笑いだす。

「僕が飛んだら、もう後戻りはできないからね? 僕から離れるって、君は自分からそう言ったんだから。次の新しい人生に向かって歩き出さなきゃダメだよ?」

『……そこまで言った覚えはねえぞ? 俺が言ったのは単に、お前の身体からは離れてやるって、それだけだぜ?』

「君ってほんとに手間が掛かるね……」

『誰もお前に手間掛けてくれって頼んでねえよ! あれのこれも全部お前が自分で背負い込んでんだっつーの!』

「はいはいはい、全部僕のおせっかいですよ……」

 口を尖らせて、やれやれと以洋イーヤンはつぶやいた。

『……んで? マジに飛ぶのかよ?』

「もちろん飛ぶよ。 飛べって言ったのは君じゃん?」

 柵の上から外に向けて垂らした足をぶらぶらさせながら、どことなく愉快な気分でそう返す。

『……信じねえからな、俺は。お前が飛ぶなんて』

「信じなくってもどうせすぐに見ることになるって」

 笑って以洋イーヤンはまた一○一の明かりに目を向けた。

『ならなんか、遺言とか……、なんかまだやり残したこととか』

「んー……あ、……明日って冬至だ。結局また買い忘れちゃったよ……」

 そう言いかけた時、後ろから震える声が掛けられる。

小陸シアオ・ルー? 何してるんだ?」

 溜め息を吐き、申し訳ない気分で以洋イーヤン君遠ヂュンユエンを振り返った。

ヤン先輩、すみません」

「別に謝らなくていいけどさ」

 この状況をまるきり無視するような明るい笑みを必死に浮かべようとしているのがまるわかりな顔で、君遠ヂュンユエン以洋イーヤンに手を差し出してくる。

「寒冷前線が通過した影響で今日は気温が下がってるんだよ。そんなところに座ってないで、早く中に入りなって」

「先輩に見せるつもりはなかったんですが」

 君遠ヂュンユエンの顔を見ながら、なんとも疚しいというか、きまりの悪い思いに駆られずにいられない。この状況が君遠ヂュンユエンを相当に驚かせてしまったのは間違いなかった。

「なら早くそこから下りてくれって。吃驚させないでくれよ、小陸シアオ・ルー

 苦笑した君遠ヂュンユエンが、薄氷の上でも踏むような足取りで、以洋イーヤンに数歩歩み寄る。

「僕なら大丈夫ですって、ヤン先輩」

 なんとか君遠ヂュンユエンをなだめようと笑ってみせたところで、ふと以洋イーヤンはやり残したことをもう一つ思い出した。

「あ~あ、DVDもまだ見終わってないや。それにやっぱりまた買い忘れちゃったし……」

「なんだって?」

 がっかりした以洋イーヤンのつぶやきはよく聞き取れなかったらしく、君遠ヂュンユエンが聞き返してくる。それに申し訳ない気分で笑い返し、以洋イーヤン君遠ヂュンユエンの背後を指差した。

「ほら、あれですよ」

 つられたように君遠ヂュンユエンがそっちを振り返る。その隙に以洋イーヤンは心の中で詫びながら、ベランダからビルの下へ向かって飛び下りた。

 風が凄まじい勢いで以洋イーヤンの耳を掠めていく。胸元の箱を押さえながら、以洋イーヤンは一心に祈った。

 頼むよ、僕を守って……。

 地面がどんどん迫ってくる。着地の前に以洋イーヤンの意識は途絶えた。

 その寸前、君遠ヂュンユエンが焦った声で呼んでいるのが聞こえた気がする。それと、東晴ドンチンが溜め息を吐きながら、馬鹿だなあとつぶやいているのも。

 お前ってほんと……馬鹿な奴だよ……。



※夜景の中に聳えているビル「一〇一」について、近況ノートに豆知識を載せました。

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