けぶる霧の奥で、カミはささやく

さかな

第1話 本文

「それ」はいつも霧に紛れて私のところへやってくる。

 わかっているのはただ二つ。

 彼女は「処女の血」を求めてやってくる、ということ。

 私が「血の巫女」に選ばれたということ。

 人々は、彼女のことをこう呼ぶ。

 ――「キリガミさま」と。



 私が住む春日かすが村は山奥にある小さな村だ。

 特に特産品があるわけでもなく、数百人が寄り集まって暮らす小さな集落である。コンビニもなければ、スーパーもない。小さな生鮮食品屋さんと、日用品を売る店、そして駄菓子屋。それで終わりである。

 そんな小さな村の唯一の特徴といえば「地祭ちまつり」という祭事があることくらいだった。年に一度、なぜか決まって村中に濃い霧が発生する日がある。地祭りの日になると、その年に十五歳になった女は神社へ集まり、村に伝わる踊りを奉納しなければならないのだという。何の面白みもない祭りだが、実は「の巫女」という神社の神事にかかわる者を選ぶ、という重要な役割があるのだそうだ。

 ほんとこの祭りめんどくさい、と私は神社へ向かう道すがら、ずっとため息をついていた。まさに今年で十五になる私は、今年の地祭りで踊りを奉納しなければならないのだ。こんな小さな村で同じ年代の子供なんて限られているので、今年踊り役になっているのは私と双子の妹である芽衣子めいこのたった二人だけだった。


美衣子みいこ、そんなに文句を言わないの。お母さんも、とっても重要なお役目だって言っていたでしょう。私たちが踊らないと、村の霧は晴れないんだよ?」

「そんなこといったってさ……どうせ霧なんて自然現象でしょう? ほっといても晴れるにきまってるじゃない」

「美衣子! そんなことを言ってたらキリガミさまに怒られちゃうよ。いつも私たちの生活がうまくいくよう、取り計らってくださっているのに」


 真剣な顔をして怒る妹に私はうんざりした顔を向け、はいはいと適当に返事をした。信心深い芽衣子はキリガミさまのことを信じているらしく、週末には欠かさず神社へお参りに行く。彼女に限らず、この村の人々のほとんどはキリガミさまの信者で、常日頃から感謝の言葉を忘れない。私みたいに神なんているもんかと大声でいう人間は村にほとんどおらず、眉をひそめて見られるのが常だった。

 神社に着いて一通りのお参りを済ませてから、神職の人に導かれて舞台へと向かう。丹塗りの柵に囲まれた舞台は、祭りで実際に私たちが踊りを奉納する場所である。古いカセットテープに吹き込まれた神楽に合わせて踊る練習をたっぷり2時間ほどやらされて、ようやく私たちは帰路に着くことを許された。




 その夜、私は奇妙な夢を見た。

 深い霧の中で、誰かが私を呼んでいる。知っている人の声のはずなのに、いったい誰の声なのか、さっぱり思い出せなかった。その声は少しずつ近づいてきて、私の周りをぐるぐると回る。さあ、早く私のところへおいで。そう呼ぶ声に、意識が少しずつ浸食されていく。そうしてぬっといきなり霧の中から伸びてきた手に驚いて身を引いたところで、私は目を覚ました。


「なに、この夢……」


 気づけばびっしょり汗をかいていて、肌に張り付くパジャマがとても気持ち悪い。よく覚えてはいないが、気味の悪い恐怖感だけが胸の奥にこびりついていた。慣れない踊りなんか踊って体が疲れているせいだろう、と自分を無理やり納得させて、替えのパジャマにそでを通す。


「はあ、あと一週間も踊りの練習に行かないといけないなんてめんどくさい……早く祭りなんて終わってしまえばいいのに」


 そう悪態をついて、私は布団の中へと潜り込んだ。もう三月も終わりだが、まだまだ夜は冷えるのだ。だが布団に入っても、全然眠れる気がしない。なんだか妙な夢のせいで、すっかり目がさめてしまっていた。その後も眠ろうと努力はしてみたものの、結局私は一睡もできないまま朝を迎えたのだった。



「美衣子、いくよー」

「まってまって、あともう少しで準備できるから!」

「もう、今日は去年の地の巫女の人から引き継ぎがあるんだよ? 遅れたら失礼でしょう」

「ごめんってば。急ぐから芽衣子は先行ってて」


 どうせ信心深くない私は地の巫女になんて選ばれないんだから、という言葉を飲み込み、困り顔の芽衣子を先に送り出す。せっかく今日は同じ学校の秋吉先輩と出かける約束をしていたのに、この引き継ぎのせいで予定は先送りになってしまった。大事なお役目だから仕方ないよ、と先輩は笑って許してくれたけれど、先送りになった日は結局決まらないままだ。せっかくうまくいきそうな恋なのに、とため息をつきながら制服を脱ぎ捨て、私は適当な服に着替えてから神社へと向かった。


「遅れてすみません。菅野美衣子といいます」

「こんにちは、美衣子さん。地の巫女を務めている、波多野理沙です」


 神社のお社の一角で、芽衣子の向かいに座っている女性に会釈する。地の巫女だと名乗った彼女は透けるように白い肌をした、美しい黒髪の女性だった。


「今日はお役目についていくつかお話しするわね。すぐには覚えられないかもしれないけど、地の巫女はキリガミさまにお仕えする重要な役目だから、しっかり覚えてね」


 にっこりと笑ってそう話し始めた理沙さんの声は、とても眠気を誘う声だった。美衣子だめだよ、と何度か芽衣子に肘でつつかれては目を覚まし、話を聞く。そうして苦行のような時間が終わったのは、もう日も暮れようかとする頃だった。


「長くなってごめんなさいね、ふたりとも。そろそろ終わりにしましょうか」


 やっと終わった、と伸びをして立ち上がる。隣の芽衣子がありがとうございました、と頭を下げるのを見て、慌てて私もそれに倣った。ほとんど寝ていたので話の内容はさっぱり覚えていないが、あとでこっそり芽衣子に確認すれば大丈夫だろう。その後少し引き止められて話をしていた妹を待つ間、私は神社の境内をぶらぶらと散歩していた。


 ――おいで、私のほうへ。


 不意に何か声が聞こえた気がして、後ろを振り返る。ひんやりとしたものが頬に触れた気がして、私は思わず後ろへと飛びのく。いつのまにか神社の境内にはうっすらと霧が立ち込めていた。


「キリガミさま……?」


 そんなばかな、という気持ちであたりを見回す。気づけば周りがほとんど見えないく

 らいに濃い霧が私の周りに立ち込めていた。


「芽衣子、どこ……?!」


 不安になって、妹を呼ぶ。そんなに離れたところまでは来ていないので、きっと声が届くはずだ。そう信じて何度か呼ぶと、霧の向こうから私を呼ぶ声が聞こえた。


「美衣子、どこにいるの?」

「ここにいるよ! 芽衣子、どこ?!」


 力の限り、芽衣子を呼ぶ。ほどなくして霧の中から現れた彼女の姿を見て、私は思わず泣きそうになるくらいほっとした。駆け寄って手を握ると、ぬくもりがそっと手に伝わる。芽衣子はというと少し不思議そうな顔をしながら、ポンポンとあやすように私の背中をたたいてくれた。


「美衣子……ああ、よかった。どこにいたのかと思った。そんなに大きな声を出してどうしたの?」

「どうしたのって……あれ? 今まで霧があったのに……」


 おかしいな、とあたりを見回す。自分がどこにいるかわからないほど濃かった霧は嘘のように消え失せていた。さっきまで確かに霧が立ち込めていたのに、とつぶやくと、芽衣子はキリガミさまの仕業かもしれないね、と笑う。さあ帰ろう、と手をつないで歩きだした芽衣子に連れられて、私は家へと帰ったのだった。





 そうこうしているうちに、あっというまに「地祭り」の日はやってきた。相変わらず奇妙な夢を毎晩見ては目を覚まし、その後眠れないまま朝を迎えるという不毛な夜を繰り返していたため、私はひどい寝不足の状態で祭りの日を迎えた。芽衣子とは言うと、髪の毛はつやつや、お肌ピカピカで、同じ双子でも大違いである。キリガミさまのために、といつもより念入りにお風呂へ入り、入念に髪と肌の手入れをしていたのを見ているので、今日はその集大成というわけである。いつもは見分けがつかないくらい似ているのに今日は全然違うわねえ、と近所のおばさんに見送られながら、私と芽衣子は神社へと向かった。

 神社に近づくにつれて、どんどん霧が濃くなっていく。以前神社の境内で出た霧と同じだった。私は芽衣子とはぐれないようしっかりと手をつなぎながら、神社の舞台へと向かう。いつもと違って小袖と袴を身に着け、下駄をはいているので、ひどく歩きづらかった。


「いらっしゃい、ふたりとも。しっかりお役目を果たしてね」


 理沙さんにそう見送られて、私たち二人は舞台へと上がった。どこからともなく神楽の音が聞こえてきて、慌てて教わった踊りを始める。いつも聞いていたとぎれとぎれの録音とは違い、四方から重なり合って響いてくる神楽はとても幻想的で美しかった。

 隣で踊る芽衣子の姿すらほとんど見えない状態で、私は神楽に合わせて踊りを奉納する。いったいこれはいつ終わるんだろう、と頭の隅で思い始めたころ、霧の中から私を呼ぶ声が聞こえた。


 ――おいで、私のところへ。さあ、はやく。


 何度も響く声に、私は踊るのを止めてあたりを見回した。いったい誰がいるのだろう。もう踊りは終わりだという合図なんだろうか。そう思って、声のするほうへと歩き出す。その間も、ずっと声は響いていた。


 ――おいで、私のところへ。私の……


「えっ、なに?」


 最後がうまく聞き取れなくて、思わず私は聞き返した。その瞬間、ぬうっと霧の中から手が現れた。


 ――とらえた! お前が、今年の「ちのみこ」だ!!


 逃げる間もなく霧の中から現れた手は私の体をからめとった。めいこ、と叫ぶ声は言葉にならず、消えていく。そうして私はそのまま意識を失ったのだった。





 ぴちゃん、と水音が部屋の中に響く。頬が濡れる感触に目を覚ました私は、起き上がってあたりを見回した。どうやら、見慣れない石牢のような部屋に入れられているらしい。


「だれか……だれか、いませんか……?」


 いったいどうしてしまったのだろう。私はなぜ、こんなところにいるのだ。状況が全くつかめなくて、声を上げる。だが、その声に応えるものは誰もいなかった。そうしてどれぐらいの時間がたったのか。コツコツ、と響く足音に、はっと立ち上がって石牢の鉄格子に縋りつく。暗闇の中から現れたのは、私がよく知る人物だった。


「芽衣子……?!」

『おや、ようやく目を覚ましたんだね。ちのみこ』

「ねえ、どうして私はこんなのところに入れられているの? 説明しなさいよ!!」

『口を慎め、人の子よ。地の巫女は私の意識の入れ物にすぎない。この子の意識は奥深くで眠っているよ』


 ふふ、と芽衣子の体を借りた「なにか」は笑って、舌なめずりをした。うそ、と声にならない悲鳴を上げて、私は床に崩れ折れる。その「なにか」の正体に、私はうすうす気づいていた。この村の人間が祀り上げ、神に仕立てたもの。


「キリガミさま……?」

『ああ、人の子は私をそう呼んでいるね。お前は選ばれたのだよ、私の「血の巫女」に』

「地の巫女……? それは、芽衣子の役目ではないの?」

『地の巫女は確かにこの娘の役目だが、お前の役目は違う。私に血を与える「血の巫女」、それがお前の果たすべき役目だ』


 文献を読んでいるわけでもないのに、私の頭の中にはすっとその漢字が浮かんだ。神社で神事を執り行う「地の巫女」。それはキリガミさまの依り代になる、ということらしい。そうして、キリガミさまは言う。私の役目は「血の巫女」。キリガミさまに血を与えるために、選ばれた役目なのだと。


「血を与える……とは、私は何をすればよろしいのでしょうか?」

『案ずるな。私が望むときに、幾何か血を飲ませるだけでいいのだよ』

「もし、それが嫌だと言ったら……?」

『その時は、この娘の命がなくなるだけだ』

「……っ」


 その答えに、私は息をのむ。私が嫌だといえば、芽衣子が殺されてしまう。想像しただけで、カタカタと体が震えた。それだけは――それだけは、絶対に嫌だった。


「お願いします。あなたの言うとおりにしますから……どうか、芽衣子だけは助けてください」

『よいだろう。では早速、腕を差し出せ』


 くつり、と芽衣子の姿でカミが笑う。恐怖で震える体を押さえつけ、どうにか片腕を差し出すと、カミは懐から取り出した小刀でそっと切りつけ、そこに口をつけた。


「ああぁ……いたい、あつい……だれか、だれか助けて……っ」


 痛みと恐怖がぐちゃぐちゃになって襲い掛かる。ああうまい、と私の血を飲む芽衣子の姿をただ茫然と見つめて、私はただぼろぼろと涙を流すしかなかった。


『やれやれ、うるさい小娘だ。食事中の時くらい、もう少し静かにできないか』


 芽衣子の声音で、カミがそう話す。いくら中にカミがいるといわれても、私の前にいるのは確かに芽衣子だ。その現実が受け入れられなくて、割れるように頭が痛む。芽衣子、どうか帰ってきて、お願い。そう叫ぶ私に告げられたのは、なんとも無慈悲な言葉だった。


『美衣子を血の巫女に、と願ったのは芽衣子だ。だから私はその言葉に応えたまでよ。恨むなら、芽衣子を恨むんだな』


 その言葉だけを残し、芽衣子の姿をしたカミは去っていった。そうして私は芽衣子が望んだという牢獄に囚われることになったのだった。





 私には、双子の姉がいる。小さなころからずっと一緒に育ってきた、大切な姉だ。どんな時も、何をするときも一緒の姉は私の自慢の姉だった。

 だが、年齢を重ねるとともに姉は男に恋をするようになった。あの先輩がかっこいい、今日はこんなことを話せた、と目をキラキラさせて話す姉に、私はただ話を合わせるしかなかった。なんで私がそばにいるだけではダメなんだろう。どうして、得体のしれない、どこの馬の骨ともわからぬ男に姉をとられなければならないんだろう。その思いは日に日に膨らんでいき、とうとう私は毎週欠かさずしているキリガミさまへの参拝の時にその願いを告げてしまった。


 ――どうか、姉が私だけを見てくれるようになりますように、と。


 はじめはほんの願掛けのようなものだった。だがある日、神社からの帰り道に濃い霧に包まれて、私はキリガミさまと言葉を交わした。『姉が欲しくば、地の巫女として私の依り代になれ。そうすれば、美衣子を血の巫女に選び、一生お前だけを見るようにしてやろう』と。私はその言葉に是と答えた。そうして神との契約はなされ、美衣子は血の巫女になった。

 そうして今、美衣子はキリガミさまが約束した通り、私のものになった。神社の地下深くに作られた石牢で、私と美衣子は二人きりの時を過ごしている。時たま私の体を借りてキリガミさまは美衣子の血を飲むけれど、それ以外の美衣子との時間はすべて、私のものだ。


「美衣子、ずっとずっと一緒だよ」


 にっこり笑って告げた私に、美衣子は虚ろな瞳をしてうなずく。

 そうして今日も私は美衣子と二人、永遠の時を過ごしているのだ。

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