希望、小四。そのさん

「美麻ね、拓海君の事が好きなの。協力してくれるよね? ノゾミちゃん」

 昨日、散歩からの帰り際、ミマがノゾミに言った。ノゾミは、狼狽えるような素振りを見せ、ゆっくりと顎を引いた。ミマの態度や言い方が、お願いではなく、確定事項を報告しているように見えた。ほんの些細な変化であったけれど、ノゾミの中に黒い何かが落とされた感じがした。協力とは、どういう事なのだろう。そもそも、ミマは、ノゾミの事が好きなのだろうか? タクミ君と同様に、感情を宣言されたのだろうか? 

 人間が扱う言葉とは、非常に便利のように感じる事もあるけれど、とても不便のように感じる時がある。僕もそこそこ人間の事は、理解しているつもりだけれど、分からなくなる時もある。特に、ノゾミを見ていて感じる事が多い。

 言葉と行動と感情が、ちぐはぐの時があるように感じる。嬉しくないのに笑ったり、嫌な事を受け入れたり。それが人間という生き物なのだと言ってしまえばそれまでなのだが、いったい何を大切にして何を守ろうとしているのだろう。

 僕が認識している『スキ』という感情とは、少し違うのだうか。それならそれで、別物として考えるだけだ。スコシチガウスキーだ。だとしたら、どうしてノゾミは、泣いていたのだろう。昨晩、ノゾミが僕に『好きな人っているの?』って聞いた時、いったい誰の顔を思い描いていたのだろう。その時、浮かべた人物が、スコシチガウスキーなのだろう。という事は、どういう事だ? さっぱり分からん。

「ああ、それは、恋というものじゃないかな?」

 次の日、ママと庭に出た時に、お隣さんのシュートに疑問をぶつけてみた。そして、恋という言葉が返ってきた。なんだそれは? 色々説明を聞いて、一つの答えを出した。

「つまり、発情という事だね」

「どうなんだろう? 発情が一番分かり易いのかな? でも、少し違うような気もするなあ」

 さすがのシュートにも、よく分からないようであった。だが、スコシチガウスキーよりも恋の方が言いやすいから、これからはそう呼ぶ事にする。

「知ってるかい? 人間のメスは、嘘つきで欲張りなんだよ。もちろん、多少なりとも個体差はあるみたいだけど」

「どういう事だい?」

「僕達に限らず、人間以外の生物のメスは、発情期にモテるだろ?」

「え? そうなの?」

 相変わらずシュートは、色々な事を知っている。言われてみれば、たまに発情中のメスとすれ違うと、とてもいい匂いがして魅力的だ。

「そうなんだよ。それは、人間のメスも例外ではなかったんだ。でも、欲張りな人間のメスは、発情中だけしかモテない事を不服として、発情期を隠すようになったんだ。常にモテたいが為にね。つまり、自分に嘘をついた。すると、いつからか、自分でも発情期が分からなくなったのさ」

 嘘つきで、欲張り。僕は、ママとノゾミの顔を思い浮かべたが、シュートの言っている事の意味があまり理解できないし、なんだか納得いかない。それにしても、シュートはどこから、そんな情報を得たのだろう。シュートに問いただそうとした時、ノゾミが学校から帰ってきた。あまり嬉しくない匂いを引き連れて。ノゾミの後ろには、ミマの姿があった。ノゾミは、ママに挨拶をしてランドセルを置きに家の中に入って行く。ノゾミとママの会話が聞こえ、これから僕を連れて散歩にいくそうだ。

「じゃあ、シュート。色々ありがとう」

「ああ、気を付けてね。あの子は、中居さんちの子だろ? 一緒だなんて、珍しいね」

「そうなんだよ。最近、急にね」

「ふーん、あの子は、あまりいい印象がないね」

 長い舌を伸ばしているシュートの発言に、小さな不安が積もっていく感覚がした。僕がシュートの顔を眺めていると、背後から玄関扉が開く音がした。振り返ると、ノゾミがリードを持っていて、僕の首につける。シュートに向かって目で挨拶をすると、彼は小さく『気を付けてね』と、もう一度言った。

 ミマの後ろをついていくと、公園前の木村さん宅の前に、タクミ君とランクがいた。どうやら、彼等も一緒に散歩をするようだ。話を聞いていると、ノゾミがタクミ君を誘ったらしい。ランクを先頭にして、僕達は歩き始めた。しばらく歩いた所で、ノゾミは二人から離れるようにして、速度を落とした。不思議に思い見上げると、ノゾミは僕を見て微笑んだ。そして、すぐに正面に顔を向けたノゾミの顔は、仮面が剥がれ落ちたように、生気を失っている。力ない表情で、前を歩く二人の背中を眺めている。

 もしかして、ノゾミはタクミ君に恋をしているのではないのか?

 という事は、ノゾミとミマは同じ人に恋をしているという事か。ミマはその事を知っているのか。知っているのは、ノゾミだけなのだろうか。では、僕達の事を好きではないミマが、散歩をする理由は―――協力とは、こういう事なのか。そんな事を考えていると、だんだん前を歩くミマの小さな背中が、憎らしく感じてきた。タクミ君とランクは、たまに振り返って僕達の事を気にしてくれている様子だ。だが、ミマは一度も振り返りはしない。まるで、存在そのものを忘れているように見える。

 辺りをウロウロ歩き、最後にいつもの公園に辿り着いた。タクミ君とミマは、ベンチに腰掛け、楽し気に会話をしている。僕とノゾミは、少し離れて遊んでいた。まるで寂しさを振り払うように、懸命に僕と遊んでいるような気がした。すると、タクミ君が、ノゾミもベンチに座るように誘ってくれた。だけど、ミマは話を振り、タクミ君の優しさをなかった事にする。まるで、僕の為に投げてくれたボールを横取りされた気分になって、あの細い足首に噛みついてやりたくなった。もうダメだ。我慢できない。僕は、全身に力を込めて、ノゾミを引っ張るように、ベンチへと向かった。

「ホップ、ちょっと待ってよ」

 ノゾミが小声で訴えてきたが、僕は聞こえない振りをした。

「いいから行くよ!」

 僕は振り返って、ノゾミに檄を飛ばす。ノゾミは目を丸くして、一瞬隙ができた。僕はすかさず、走り出す。

「おお! ホップどうしたんだ?」

 タクミ君が、僕の声に反応して、こちらを見ている。僕の接近に、先ほどまで退屈そうにしていたランクが、飛び跳ねるようにその場でグルグル回転していた。僕達が二人の前までやってくると、タクミ君が僕の頭を撫でてくれた。

「ごめんね、突然ホップが暴れだして」

「アハハ! 全然いいよ。ホップも一緒に遊びたいもんな」

 タクミ君は、僕を抱き上げ優しい笑みを浮かべる。顔を横に向けると、ミマが不満そうに、ノゾミを睨みつけていた。そして、タクミ君がミマを見ると、彼女は瞬間的に口角を釣り上げた。ミマの顔は、明らかにぎこちなくて、不自然であった。

「皆で遊んだ方が楽しいよな? 中居もそう思うだろ?」

「え? う、うん。もちろんだよ」

 引きつったミマを置き去りに、タクミ君は僕とランクを撫でる。ランクは尻尾をブンブン振って、実に嬉しそうだ。すると、背後から、怒りを押し殺したような微かな声が聞こえた。ミマがノゾミに顔を寄せていた。

「マジ邪魔しないでよね。折角、タクミ君と盛り上がってたのに。超最悪。空気読んでよね。犬の躾くらい、ちゃんとやっといてよ」

 眉を吊り上げたミマと眉を下げたノゾミの姿が目に映った。極限にまで押し殺したミマの声は、タクミ君には聞こえていないようだ。僕は、反射的に振り返った。

「うるさい! バーカ!」

 僕の怒鳴り声に、ミマは怯えた表情を浮かべていて、爽快だった。しかし、その直後、タクミ君に優しく諫められた。

「どうしたの、ホップ?」

 さすがに僕の異変に気が付いたランクが、鼻先を寄せてきた。

「僕、あいつの事、嫌いなんだよ。ランクだってそうだろ?」

「??? そんな事より、一緒に遊ぼうよ!」

「僕の味方じゃない奴とは、遊ばない」

「ええ!? じゃあ、僕も嫌いだ!」

 よし、なんとかランクを手なずけて、ミマを追い払う同盟結成だ。

 少しは、心が痛んだが、背に腹は代えられない。

 ノゾミの為なら、喜んで嫌な奴になってやるんだ。

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