希望、小四。そのいち

「・・・ホップにはさあ、好きな人っているの?」

ノゾミの髪の毛から漂うシャンプーの香りを嗅ぎながら、僕はベッドの上でゴロゴロしていた。僕を見ているようで、見ていないようなノゾミの瞳を眺めている。ノゾミの瞳に映っているのは、確かに僕なんだけど、なんだが変な感じだ。

「なーんてね」

 ノゾミはベッドに仰向けになって、僕の脇を両手で抱えている。高い高いと、昔パパがノゾミにしていた光景を思い出した。

 そりゃもちろん、好きな人はいるよ。ママにノゾミにノゾム、それにパパだ。他には、お隣りの松本さんにシュート、二宮さんにサイダーとコーラ。いや、コーラは外しておこう。前も平たい顔って笑ってきたからね。この地域の人達は、犬好きが多く、皆が可愛がってくれるから、好きだ。ノゾミは、突然どうしたのだろう。

 そう言えば、最近あまり元気ではないような気がする。もともと活発な子ではないけれど、ボーとしている姿をよく見かける。なにか悩み事でもあるのだろうか?

 ノゾミとノゾムが生まれて、十年の月日が流れた。このタイミングで、ノゾミとノゾムには、一人部屋があてがわれた。元々、子供部屋という名目で二人が使っていた部屋をノゾムが使っている。ノゾミは、両新の寝室とベランダで繋がっている部屋を使っている。ノゾミの部屋の方が、日当たりがいい。

 なんだか寂しそうなノゾミを見ながら、今日は一緒に寝てあげようと思った。

 次の日、学校から帰ってきたノゾミは、自室にランドセルを置いた後すぐに、机の上に教科書やノートを広げて、勉強を始めた。毎日の日課のようで、宿題を早々に片付ける。そう言えば、ノゾムが勉強をしている姿を見た事がないが、大丈夫なのだろうか。一時間ほど物凄い集中力で、机に噛り付いた後、一息ついて明日の用意をランドセルに詰め込んだ。壁にかけられた時計を見て、ノゾミは僕の方を振り返った。

「ホップ、お散歩行こ」

 抱き上げられた僕は、尻尾を扇風機のように振り、ノゾミに風を送る。一階のリビングに到着し、ママに散歩に行く事を伝え、外に出た。

小学四年生になったノゾミは、一人で僕の散歩に行く事が許されるようになった。しかし、ノゾムは許されていない。正確には、許されなくなった。少し前に、ノゾムと散歩に行った時の事だ。公園で友人に会ったノゾムは、僕のリードを鉄棒に巻き付け、遊びに夢中になっていた。そして、僕の存在を完全に忘れ、そのまま友人の家に遊びに行ってしまったのだ。僕を公園に置き去りにして。あの時は、本当に焦った。どうすればよいのか分からず途方に暮れていると、ご近所さんが見つけてくれたのだ。散歩で通りかかった木村さんちの長男シズヤ君が、柴犬のランクを連れて僕を見つけてくれたのだ。木村さん宅は、堂本さんの対角線側にある角の家で、丁度散歩の帰りだったようだ。シズヤ君が僕を抱えて、自宅まで連れて帰ってくれて、本当に助かった。その後、ノゾムにママからの雷が落ちたのは、言うまでもない。

「あっ! 希ちゃん!」

 家の前に出た所で、少女が笑みを浮かべ手を振っていた。

「美麻ちゃん」

 ノゾミは、リードを掴んでいない方の手を振り返した。この少女は、ご近所の中居さんちのミマというノゾミの同級生だ。僕は、ミマに対してあまりいい印象がない。見た目はノゾミよりも背が低くて、明るく人懐っこい笑顔を見せる可愛らしい女の子だ。そして、きっと本人が一番、自分が可愛らしいという事を理解している。

 家が近所の同級生なのだが、この二人が一緒に遊んでいる姿を見た事がない。僕が知らないだけかもしれないけれど、ミマが家に遊びに来た事はないはずだ。ノゾミとミマは、見た目も中身も正反対だから、相性があまりよくないのかもしれない。ノゾミは、少々地味でおとなしいのに対して、ミマは派手で明るい。と言っても、僕が散歩の途中で見かけたミマの印象だから、あまり当てにはならないのかもしれない。

「ありがとね、希ちゃん。散歩に付き合わせてくれて」

「ううん、全然いいよ」

「うちペット飼ってないから、羨ましいよ。私もわんちゃん欲しい」

 真っ白な歯を見せながら、ミマは僕の方を見た。両手で膝を掴んで、前屈みになり、顔を寄せてきた。

「ホップ君。今日は、宜しくね」

 満面の笑みを見せられ、僕はミマの足元へと歩み寄った。すると、ミマは、踵を返して、歩き出す。

「じゃあ、行こうか」

 ミマの後に続くように、ノゾミと僕は歩き出す。違和感しかない僕は、ノゾミを見上げた。ノゾミは緩やかに口角を上げており、きっと嬉しいのだろうと思い、僕は余計な事を考えるのを止めた。

 近所の公園についた僕達は、なにをする訳でもなく、ブラブラする。そもそも、散歩とは、そういうものだ。ノゾミとミマは、学校の話とか趣味の話をしている。しかし、二人の会話は、まったくかみ合っていない。僕が心配になって顔を上げると、ノゾミは首を傾げて、笑みを浮かべながら、『なに?』という表情を見せる。そして、ミマに視線を向けると、公園の外を眺めている。やはりこの子は、なにを考えているのか、さっぱり分からない。すると、ミマが突然、大慌てで両手で髪の毛を整え始めた。そして、大きく手を振った。

「拓海君!」

 大声を上げるミマの視線の先には、犬を散歩する少年がいた。


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