希望、小二。そのいち

「おい! お前、勝手に入ってくるな! あっち行けっ!」

 僕は、怒鳴り声を上げた。たまに目撃する真っ黒な人間が、勝手に家の中に入ってきたからだ。夕飯を食べ終えて、家族団らんリビングでテレビを見ていた。僕は、テレビを見ていた訳ではないけれど、楽しそうに画面を見る四人の横顔を眺めていた。僕の部屋の横に置いてある僕専用のクッションの上が特等席だ。その憩いの時間を土足で踏み荒らされた気持ちで、とても不愉快であった。そして、それだけが、原因ではない。僕が、最後に堂本のおじいさんとマルに会ってから、三か月ほど経過した頃、二人は亡くなったのだ。おじいさんが亡くなった直ぐ後に、後を追うようにマルも逝った。

 おじいさんはもちろん、マルとももっと話がしたかった。残念でならない。その後、ご近所の友人達(野良猫のクロは友人ではないけれど)との話も、その話題で持ち切りであった。例の黒い人間は、『影人間』と呼ぶようになった。そして、皆の意見をまとめると、二つに分かれていた。

 シュートとサイダーは、『死期が近い者に、影人間が集まってくる』というものであった。コーラは、『影人間に、命を奪われた』と言っていた。どちらが正しいのかは、分からないけれど、どちらにせよ不吉である。コーラの意見に、サイダーは怒っていたけれど、『だからこそ、僕達がご主人を守るんだ』という決意には、賛同する他なかった。

「ちょっと、ホップやめてよ」

 僕が、壁の向こう側ににらみを利かせていると、ママがソファの上で怯えたような顔を向けていた。ママとノゾムは引きつった表情を浮かべていて、ノゾミは小さなクッションで顔を隠している。良かれと思っての事であったが、皆を怯えさせてしまったようだ。僕は、頭と尻尾を下げ、ママの足元で小さく丸まった。

怖がらせるつもりは、なかったんだけど。

「犬は、第六感が強いって聞いた事あるからねぇ。幽霊でも見えたのかな?」

 カズユキが、浮かれた声色で笑った。あきらかに、皆を怖がらせようとして、楽しんでいる様子であった。その瞬間に、鈍い音と呻き声が漏れた。ママがカズユキの腹部を殴りつけたのだ。カズユキは、ソファの上で、前屈みになっている。ざまあみろと、いい気分になった。腹を摩りながら、上体を起こしたカズユキが、不敵な笑みを浮かべていた。カズユキの顔が無性に腹立たしかったので、足を噛んでやろうかと思った。

「もしかしたら、本当に・・・」

 わざとらしく低い声を出したカズユキに、今度はノゾミがクッションを投げつけ、顔面にヒットした。ノゾミは、涙目になりながら、眉間に皺を寄せていた。カズユキは、横っ面を引っ叩かれたような怯えた表情を見せていた。そして、叱られたノゾムのように、肩を落とし項垂れている。どう見てもママからの一撃の方が痛そうだったのに、不思議なものだ。不思議ついでに、僕はちらりとノゾムを見た。ノゾムの性格上、ノゾミの弱みに付け込んで、嫌がらせをしそうなものだが、珍しくおとなしい。きっと、ノゾムもこの手の類いの話は、苦手のようであった。

 家族を守りたいけれど、怖がらせるのも心が痛む。どうしたものかと、板挟みに合い、悩ましいところだ。すると、ノゾミが僕を抱き上げ、膝に乗せた。そして、少し痛いくらいに抱きしめてきた。

「ホップ、もう止めてね」

 泣き声に近い声で、ノゾミにお願いされ、複雑な気持ちが膨れ上がった。

 しばらくは、おとなしく影人間を威嚇し、追い払おうと考えた次の日の事だ。本日は休日で、カズユキ以外が自宅で過ごしていた。カズユキは、休日出勤というものらしく、仕事に行っている。いつもなら、遊びに出かけるノゾムであったのだが、タイミングが悪く、誰一人友人が捕まらなかったようだ。ノゾムは二階の子供部屋にこもって、ふてくされるように、ずっとゲームをしていた。ママが夕飯の準備を始めようとした時に、料理酒を切らしている事に気がついたようだ。

「ノゾミ! ちょっと買い物行ってくるから、留守番お願いね」

 ママは、エプロンを外しながら、玄関へ向かう。ソファに座って絵本を見ているノゾミが、小さく手を振っていた。僕は、ママの後を追い、玄関の三和土の上で、見送った。玄関扉が静かに閉じ、リビングに戻った。すると、そのタイミングで、ノゾムが二階から降りてきた。

「あれ? ママは?」

「さっき、買い物にいったよ」

「マジで? 僕も行きたかったのに! なんで、言ってくれなかったんだよ!?」

 ノゾムは苛立ちを全面に出し、まるでノゾミが悪者であるかのように、睨みつけている。ノゾミは、火の粉が降りかからないように、顔を隠すように絵本を持ち上げた。僕は急いでソファへと駆け上がる。お座りをしてノゾミに背を向けて、ノゾムを見つめた。ノゾムは、暫く僕とノゾミを交互に見た後に、ソファとテレビの間の壁に向かって歩き出した。ノゾムの動きに合わせて顔を向けた。ノゾムは、鼻が突きそうなほど壁に接近し、直立している。すると、突然両手で壁を叩きだした。

「あっちいけ! あっちいけ! なに!? 今度は、こっちか!?」

 大声を出したノゾムは、反対側の壁に走った。そして、また壁を叩きだした。

「あっちいけ! あっちいけ! あ! 次はノゾミの後ろだ!」

 こちらに向かって走ってきたノゾムは、ノゾミの背後の壁を叩く。いったいなにをやっているのか、さっぱり分からず、僕は首を傾けた。だが、ノゾミは、クッションで顔を隠して、肩を震わせている。大きな音に驚いているのかと、ノゾミの近くに寄っていくと、ビクッと体を硬直させた。僕の足が、ノゾミの足に触れてしまったようだ。しかし、ノゾミのこの怯えようは、いったいどういう事なのだろう? ノゾムは、あちこち動き回って、ソファとかテーブルとかを叩いている。そこでようやく、僕は昨夜の出来事を思い出した。僕が昨夜、影人間を追い払った光景だ。ノゾミは、怯えてクッションで顔を隠していた。あの時のノゾミの様子と、同じであった。しかし、今は影人間など、どこにもいない。ここでようやく、ノゾムの行動の意図が理解できた。

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