第3話 義手の青年

 カチャ…カチャ…と鳴る音を聞き取り、青年の意識は、ふわりと緩やかに覚醒した。

 ぼんやりとした頭で、目を動かしながら周囲を見回す。そして、記憶が途絶えている箇所と今の場所が違うことに気付くと、勢いよくベッドから跳ね起きる。

 青年が寝かされていたのは、様々な機材や部品が所狭しと並べられた部屋だった。ベッド脇のテーブルには、何らかの作業の為に必要だと思われる道具や端末、箱などがごちゃごちゃと置かれている。その上には、その道具にじゃれる小さな黒猫が。

 子猫の腹部はコードを繋がれたままになっており、一定の電子音がコードの先の端末から鳴っていた。

 青年は、オーシャン・ブルーの双眸をパチパチと瞬かせ、それから自分が手術着のような衣服を纏っていること、義手が無くなっている代わりに包帯が巻かれていることに、ようやく気付く。


「ここは……?」


 青年が口を動かした時、ウィンと小さな音が鳴って、部屋の扉が開かれる。

 片手に杖を持って現れたエーデルに、青年は更に目を瞬かせる。

 助けてくれた恩人が、自分よりも年若い少女であることに驚いている様子だった。

 動揺する青年に対し、エーデルは常と変わらぬ態度で接する。


「──ちゃんと起きたみたいで何より。一応私が使っている解熱剤を投与したけど、体に不調は?」

「と、特には」

「良かった。……あぁこら、リアン。絡まるから動かないで」


 ひょこひょこと足を動かしながら、エーデルはコードで遊ぶリアンを嗜める。そのまま椅子に腰を下ろして、青年の方へ目を向けた。


「まずは簡単に。私は、エーデル・マクスウェル。アングヒルのアンドロイド管理局に勤めている調律師。そこの黒猫は、リアン。君は?」

「……ロバート・バーウィッチという。バートでもバーティでも、好きに呼んでくれ。で私は、一般的にはそうだな……ホームレスというやつだね」


 あまりにもあっさりとした言葉に、エーデルはきょとんと目を丸くした。その反応に、ロバートは小さく口元を綻ばせる。


「色々と、事情があるんだ」

「……まぁ、何でもいいけど。ええと、次に君の義手についてだけど。……あれ、誰が腕に付けたの」

「うん? 何か、問題があったのかい?」


 首を傾げているロバートに、エーデルは大きく溜息を吐いた。その表情は忌々し気に歪められている。


「知らない人間相手にやったのか。よほどの悪党だな」

「ええと……そんなに、良くなかったのかな?」

「良くない。そもそも肉と機械、神経と擬似神経を繋ぐ重要な接具部分が噛み合ってない時点で問題外。皮膚の質感投影の出力色は適当で、使われていた金属加工も甘い。だから熱暴走を起こして、管が破れて油漏れ。三十年ものの骨董品だよ、あんなの。そんな粗悪品だから、使用者に悪影響が出る」


 エーデルは、つらつらと矢継ぎ早に言い続ける。そしてはっと気付きぴたりと口を止め、「喋り過ぎた」と顔を俯かせる。

 ロバートは首を横に振り、エーデルへ微笑みかける。


「そんな顔をしないでくれ。私は気にしていないよ」

「……ありがとう。で、君の機械義手なんだけど、私が作ってみたのを、ちょっと付けてみて欲しい」

「……分かった」


 エーデルは足元にある箱から、銀色の義手を取り出す。

 ロバートはその間に右腕を露出させて、彼女が取り付けやすいように、体をベッド脇へと移動させた。

 エーデルは、慣れた手つきで接具を噛み合わせていく。ロバートにはむず痒いような感覚が伝わってくるばかりで、今までのような痛みは感じなかった。


「うん、肌色ともそんなに変じゃないな。重さと感覚は? どう感じる?」


 エーデルは、丁寧に取り付けた義手から手を離し、ロバートの顔をじっと見ながら問いかける。

 今まで嵌めていたものとの圧倒的な違いに、ロバートは目を見張った。

 頭の中で思ったことと、ほぼ同じタイミングで動いている。神経と擬似神経の繋がりがきちんと噛み合っているからだ。それにより動作も滑らかで、関節や指を動かす度に鳴っていた軋みも聞こえてこない。じんじんとした痛みもなく、焼けるほどの熱もない。

 この義手には本物の腕、指と同等の能力があった。


「君は……凄い。腕利きだ」

「一応、それなりの経験はあるから。……前の義手のパーツもところどころ使ってるから、不具合は本当にない?」

「うん、本当に。今までとは全然違う」


 感嘆の声を出しているロバートに、エーデルはそっと胸を撫で下ろす。

 アンドロイドやロボットに関することは一通り学校で習っているとはいえ、全壊寸前の機械義手を組み立て、半壊状態のプログラムを補強し立て直すという作業は、彼女にとっては初めての試みだった。

 ロバートはそれから更に様々な動きをし、完全に自らの手として義手が動いていることを実感する。


「ありがとう、エーデル嬢」

「別に、大したことはしてない。あと嬢とか付けるの止めて、気持ち悪い。……私に敬称とか、そういうのいらない。それを付けられるだけの人間でもないし」


 エーデルは、両腕を抱いて鳥肌の立った腕を擦る。彼女の反応に、ロバートはきょとんと目を丸くした。


「そうかい? これほどの凄腕なら称賛されてしかるべきだろう?」

「……私は、変わり者だから。普通の女性と同じような感性は、生憎と持ち合わせてない。もうそれはいいから、次の話をしよう。君の話」


 ビシッと、エーデルはロバートを指差した。その勢いに、思わずロバートは動きを止める。


「その服を着てることから分かってると思うけど、私が君の服を何とか脱がして洗濯にかけた」

「ん、うん、そうか。……少し、照れるな」


 ははは、と頬をやや染めてロバートは後ろ頭を搔く。


「そこは重要じゃない。大事なのは、その時に携帯用端末がどこにも見当たらなかったこと」


 そんな彼へ、赤面一つしていないエーデルはピシャリと言った。

 今の時代、携帯用端末は欠かせない生活必需品の一つ。貧民層の人間でも持つような代物だ。

 彼の身辺にそれがないことが、エーデルの目には異様に映った。


「誰かに盗まれたとかなら、急いで警察に報告しないと個人情報が悪用される。君が家のような場所を作っていてそこに置いてあるなら、それで問題はないけど」

「……持ってない」

「へ」

「その、携帯用端末? というものを、私は持ち合わせてないんだ」


 ロバートの言葉に、エーデルは目を丸くする。

 彼女の十九年という人生の中で、持っていない人間は彼が初めてだった。


「なんで……?」

「言ったろう? 色々わけアリなんだ、と」


 変わらぬ笑みを浮かべているロバートに、エーデルはただ苦手という感情が募っていく。

 顔を顰めているエーデルへ、ロバートはふっと目を細めて名を呼ぶ。


「──エーデル」

「何?」

「私を助けてくれたお礼をしたい。今、私に手持ちは無いが……。何か君の助けになれることはないだろうか? 私に出来ることであれば、何でもする所存だ」

「必要ない」


 きっぱりとエーデルは断る。

 それから彼女は、そっとロバートのベッドから離れ、充電が完了したリアンからコードを抜き、硬い金属の腹を黒毛の表皮で丁寧に覆い隠す。そして、硬く無機質なフローリングの上へ、小さな体を優しく下ろした。

 床に足がついた瞬間、元気いっぱいに駆け出したリアンを、エーデルは見つめていた。

 それから彼女はロバートの方を向く。


「私は、そもそも人間が好きじゃないし、誰かと関わる時間を作るくらいなら、アンドロイドやロボットの研究をしたい、偏屈なタイプなんだ」


 エーデルの言葉は、突き放すように真っ直ぐだった。


「だから助けたのは、単なる私の気まぐれだと思ってくれていい。──運が良かったんだよ、君は」


 エーデルは、ふっと口角を緩める。


「という訳だから、あとは好きにどうぞ。あぁ、君の洗濯物は乾いているだろうから、今から持って来る」


 エーデルはテーブルに手を付き、グッと力を入れて立ち上がる。立てかけていた杖を持ち、ゆっくりとした足取りで歩き出す。


「まあ、ちょっとは安静にしててくれ」


 エーデルはロバートへそう言って、自身の研究室ラボを後にした。

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