第2話 出会い

 調律部のある四階からエントランスの一階へは、十秒もかからずに降りる。

 エレベーターから降り、そのまま受付に座っている女性アンドロイドに声を掛け、エーデルは管理局の外に出て駅通りの方へ歩き出す。

 普段は、駅へ向かう人やアンドロイドで駅前の通りは騒々しいものだが、今の時間帯が退勤ラッシュよりも遅い時間帯であるからか、通りの人の姿はまばらだ。

 アングヒルの空は、すっかり夜の色になっていた。背の高いビルの合間から覗く空に、星の光は見えない。

 ここアングヒルは、アルスリア国の中でも指折りの工業都市だ。アンドロイド産業の会社や製造工場、その関連事業会社などの建物が多く建ち並ぶ市。エーデルの勤めるアンドロイド管理局アングヒル支部もまた、アングヒル駅の駅前通り近くに建つ施設である。そんな街だからか、街中をアンドロイドやロボットを連れて歩く人の姿は多い。

 そのように、生活に多くのアンドロイドが溶け込んでいるからか、他の都市に比べると、住民は機械仕掛けの人形達に寛容である。道を歩いていても、『アンドロイドお断り』といったホログラムを貼った店は表向きには見られない。

 エーデルとリアンに向けられる視線も、物珍しい色合いがほとんどで、侮蔑や軽蔑の色は薄い。

 ふ、とエーデルは白い息を吐き、帰路を懸命に歩いて帰る。

 本来、無人タクシーやバスを利用すれば、五分ほどで自宅であるレジデンスに着く。が、エーデルにとっては「歩く」という行動そのものが、両足のリハビリに繋がるため、アンドロイド管理局からの道を歩いて行き帰りするのが、彼女の日常だ。


「リアン、問題ない?」


 優しい声音で問いかけると、みゃう、と元気よく答えるリアン。エーデルは、小さく笑いかける。

 人が多いと、はぐれないようにリアンを肩に乗せて歩かなければならない。エーデルの非力な体力では、リアンを乗せて歩くことは重労働だ。出来る限りやりたくはない。

 エーデルは、引っ付かず離れずの距離で歩くリアンから、今度は店のショーウインドウに目を向ける。

 そのショーウインドウでは、様々な見た目をしたアンドロイド達が一列に並び、行儀よく座っていた。

 アンドロイド販売店である。

 去年の秋の商品発表会以後から販売され始めた新型を中心に、男女も開発会社も問わずに売られている。

 ウインドウ越しにエーデルと彼らの目が合うと、向こうの方からにこりと微笑み返された。

 プログラムが出力した、自然な親しみを込めた笑み。人間を不快にさせないための笑み。

 それにエーデルは、にこりと愛想よく微笑み返すことは出来ない。そういうことは苦手分野だった。

 人間を模した機械達が並ぶショーウインドウを横目に眺めつつ、レジデンスのある通りに行く曲がり角を曲がろうとした時だった。

 ひくひくと鼻を動かして、突然リアンが真っ直ぐに進み出した。


「っちょ、リアン!」


 エーデルが声を荒らげても、リアンは止まらない。幸いにも彼は子猫型、成猫型よりは速くない。足の悪いエーデルでも見失わずに追いかけられる。


「っ、一昨日メンテナンスしたばっかりなのにッ?」


 エーデルはぐっと奥歯を噛み、逸る気持ちを抑えながら、小さなリアンを懸命に早足で追った。

 リアンが入って行こうとしているのは、ビルとビルの小さな合間だ。人一人分ほどの隙間。普段のエーデルであれば、決して入ろうとは思わない場所。

 リアンはぴこぴこと小さな尻尾を振って、ぴょんと中へ入って行った。


「っあぁもう! 帰ったら、嫌がってもメンテナンスだからな!」


 言ったところで答えが返って来ないのを分かりつつも、エーデルは恨み言を口にしながら、ようやくリアンの入り込んだ路地へ入った。

 そして、エーデルの金蜜色の目が、ビルの壁にもたれかかって座る青年の姿を捉える。ぐったりとして動く気配のない彼のコートの裾を、リアンはぺろぺろと舐めていた。

 エーデルはしばし驚きで固まってしまったものの、すぐに意識を切り替えて青年の傍へ寄る。

 エーデルの小さな鼻に入ってきたのは、不快な匂い。油と血と、焦げた肉。彼女に嗅ぎ取れたのはそれだけだが、もっと多くのものが混ざり合って不快感を感じさせる匂いを作っている。

 ひとまず、リアンの動きを止めるべく、エーデルはそっと唇を動かした。


「緊急命令。AC500‐02344‐LG番、停止せよ」


 硬いエーデルの声に応じ、リアンの動きはぴしりと止まる。まるでリアンだけの時間が止まっているかのような静止状態だ。

 エーデルは、強制命令プログラムを行使して動きを止めたリアンを退け、青年の近くで座り込んだ。

 座っていて正確な背丈は分からないが、百八十センチ近い。体格もよく、しっかりとした細身の体型。年齢は二十代そこそこ。褐色の肌に、緩いウェーブのかかった黒髪の持ち主だ。衣服はところどころがボロボロで、煤汚れも付着していた。顔立ちが整っているだけに、みすぼらしい恰好がそぐわない。


(……ホームレスか。あるいは、酔っ払いか。……それとも、野良アンドロイドか)


 今の時代、道端に倒れている者は、職を失い家を失った人間か、人間に捨てられたアンドロイドか。この二択だ。

 彼女は息を吐き出し、まずは、腹部に手を当てる。体全体に専用機械油を循環させるポンプの音はなし。次に心臓の位置へ。こちらは鼓動を感じ取れた。呼吸で胸が上下しているのも、エーデルの手の平へ伝わって来る。

 簡単な診断により導き出された答えは、目の前の彼は、人間だということ。

 続いて、エーデルは見える範囲で外傷を探すが、見当たらない。少し躊躇いつつ、彼の額に手を伸ばして触れると、じんわりとした熱さが伝わってくる。


「熱、か?」


 そう診断すれば、肌に伝う汗やよれたシャツが湿っているのも頷ける。

 次に、リアンがじゃれていたコートの裾へ目を付けた。

 暗がりで分かりにくいが、リアンが舐めていた右腕側だけ、他よりも色が濃くなっており、水気を含んでいる。

 すん、と鼻を近づけて嗅げば、エーデルの頭は嗅ぎ慣れた匂いだと打ち出した。


「……機械油か。リアンは、これに反応したのかな」


 リアンは、本物の猫ほど優れた嗅覚は持たないが、普段エーデルの傍にいるからこそ、学習していることもある。リアンの動作に異常があった訳では無い。そのことに、エーデルはホッと安堵の息を吐く。

 それからエーデルは、男のコートを捲り上げる。そして、その状態に目を見張った。


「──酷い」


 エーデルが思わず顔を顰めるほど、男の右腕はボロボロだった。

 彼女が軽く手で触れるだけで、その精密な機械の持つ高温が伝わる。

 原因は不明だが、回路が熱暴走を起こしているのだ。その熱で接合部の肩口の肉が火傷を負い、機械も半分融けてしまっている。そのせいで、神経伝達回路やポンプなどを保護する管が破け、腕を動かすために必要な油が漏れてしまっているという訳だ。

 そもそもの物が、彼の腕と見合ったものでない。

 大きさも皮膚の質感投影の色も、腕と機械義手の噛み合わせのための接具さえ、まるでなってない。素人か闇医者ストリート・ドクの手によるやっつけ仕事のように、エーデルの目には映った。

 エーデルはそっと彼から離れ、ポケットから携帯用端末を取り出す。

 電話帳から『アングヒル市民病院』の連絡先を探し、それをタップしようとして──その指の動きがすんでのところで止まる。

 エーデルは瞼を閉じたままの青年の顔を数秒見つめ、頭の中で色々と考えを巡らせる。

 彼は、アンドロイドでは無い。片腕に義手をした人間。行動予測の立たない存在。

 エーデルが、この世で最も苦手としている生き物だ。

 このまま病院へ送る方が、双方どちらにとっても絶対に良い方法だ。


(だが、彼が入院費や義手の買い替えにかかる代金を払える余裕のある人間に見えるか、エーデル? ……答えは、否だ)


 十秒ほどの自問自答の後、彼女は電話帳を遡って『障害者支援センター』の連絡先を押した。

 二コールほど鳴ってから、ガチャと電話の向こうで音が鳴る。


『はい、こちら障害者支援センターです。お名前をお願いします』


 電話の主は、柔らかな声の女性。だが、人の声とは僅かに違う機械音声を、エーデルの敏感な耳は捉える。

 そも現代において、コールセンターに勤めるほとんどの職員は、人間ではなくアンドロイドだ。


「あぁ、エーデル・マクスウェルだ」

『照会致します。少々お待ちください。──はい、確認が取れました。マクスウェル様、本日はどのようなご用件でございますか?』

「その、」


 エーデルは僅かに言いよどみ、しかし意を決してはっきりと口を動かした。


「……成人男性一人を運搬出来るレベルのアンドロイドを一体ほど、こちらに寄越して欲しい。──友人が一人、酒の飲みすぎで動けなくなってね、困ってるんだ」

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