6 獅子の娘(1)

 

 夕暮れの松林を背に、榊葉さかきばは悠然と笑んでいる。


 パタン、と扉が閉まる音がした。振りかえれば柊一しゅういちの姿はもうない。榊葉に見とれている間に、部屋を出ていってしまったのだ。


 たったひとり残された塔子はあわてた。どんな言動をすればよいのか、さっぱりわからなくなってしまう。


「え、と。あの」

「ペンにしたんだね」

 出しぬけに言われる。

 意味がわからず目を丸くしていると、彼は塔子の制服の胸ポケットを、そっと指さした。つられて見やれば、胸ポケットにさしたペンが目に入る。


 緑のペン。

 塔子がまとっている、緑。


 榊葉はにっこりと笑った。目尻にしわのできる、すこぶる感じの良い笑み。

 さも嬉しげだったので、塔子は戸惑った。


「さあ座って。狭いところだけど、楽にして」


 執務机の対面に置かれた椅子をすすめられ、しばし迷ったが恐るおそる腰かける。座面が布張りのアンティークチェアだ。上等なので居心地が悪い。表情を固くする塔子と対照的に、榊葉はすっかりくつろいだ様子で席についた。


 執務机を挟んで、ふたりは向かい合う。

 彼はゆっくりと口を開いた。


「さて。トンネルというものは、不思議なものだ」


 塔子が目を上げると、榊葉は優しげな笑みを浮かべた。


「――知っているかい? きみたちは入寮式で、トンネルを抜けて緑の王国に入ったけれど。三年になればね、退寮式というものがあるんだ。きみたちとは逆に、三年生はトンネルを抜けて外に出る。この王国を出ていくんだ。不思議だね。トンネルはただの穴、ただの道のはずなのに。そこから出るとなぜか世界がちがってみえる。現実から王国へ、王国から現実へ、チャンネルが切り替わる」


 この伝統はね、と彼は言う。


「トンネルに始まりトンネルに終わる。その暗い闇のなかで、大切なことがすべておこなわれている」


 ドキッとした。思わず榊葉を正面から見やる。

 彼の瞳の中に、強ばった表情の自分がいた。唇を引きしめ、切実なまなざしを投げかけている。けれど塔子は自覚していなかった。乾いたノックの音がするまで、榊葉と見つめ合っていることにすら気付かなかった。


「はい」

 榊葉が応答し、ドアへ視線を移す。塔子はまばたきをした。現実に引き戻されたような気分で振り向けば、柊一がそこにいた。丸盆を持っている。


 張りつめた空気が緩んだ。


 塔子がぽかんとしている間に、柊一は音もなく移動し、慣れた手つきで茶器を差しだした。花柄の模様がなされた、ソーサー付のティーカップ。そこに湯気の立つコーヒーがなみなみと注がれている。


 塔子ははたと固まった。まさか学校で同級生に――それも鷹宮柊一に、こんなもてなし方をされるなんて思わない。仰天して礼も言えなかった。

 柊一は榊葉にもコーヒーを渡し、「ありがとう」と彼は当たり前のように受け取る。


「――そうだ。鷹宮も聞く?」

 いいことを思いついたというように、榊葉は柊一を見た。

「何のことですか」

「いまからする話。一緒に聞きたい? 鷹宮はもう聞いてもいい立場だ」

「聞いてもいい立場?」

「うん。入寮式が終わったからね」


 柊一は眉をあげた。

 塔子は驚いたが、ことのなりゆきを静観するしかない。

 彼は沈黙した。こっそり横目で窺うと、バチっと目が合う。うろたえて視線を外したのに、彼のまなざしは動かなかった。悪びれたふうもなく、まじまじとこちらを見つめてくる。


 なんでわたしを見るの。


 頬が熱くなる。

「……聞かせていただきます」

 何を考えたのか、ややあって彼はきっぱりと答えた。

「ふうん」

 榊葉が声を漏らす。

「……何か?」

「いや、興味ないかと思ってたから。意外だなと」

「それなのに声をかけたんですか」

「そう。きみがどんな子か知りたくてね。案外しきたりとか好きなタイプ? それとも篠崎さんに興味がある?」

 柊一は眉間のしわを深くした。

「そういう話でしたら、帰ります」

 まあまあ、と榊葉は鷹揚になだめた。

「悪かった、冗談だよ。じゃあ座って。絶対に退屈しない、とてもめずらしい話なんだ」

 からりと笑う。


 柊一は不快そうな表情を崩さなかったものの、それでも大人しく榊葉にしたがった。塔子の背後、ドア付近に椅子を持ちだし、腰を落ち着ける。

 塔子はさらに居心地が悪くなった。彼の視線が刺さるような気がして、背すじをぴんと伸ばす。


 榊葉は執務机にひじをつき、身を乗り出した。「話をもどそうか」と、おもむろに口を開く。ごく自然な口調だったが、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。


「――すべてはトンネルに始まりトンネルに終わる。昨日きみに起こった出来事も――こわい思いをさせたけれど――もちろん、そのひとつだ。それを打ち明けるために、今日ここに呼んだ」


 塔子は小さくうなずいた。話してくれるのだ、と思った。胸の鼓動が早まる。

 榊葉はこちらをしっかりと見据えていた。

「いいかい、打ち明ける前に、まずきみに確認するよ」

 彼は人さし指を立てた。



「トンネル通過の儀式で、きみに起こったことはどんなことだった?」



 塔子は言葉に詰まった。戸惑ったが、少し考えて声をだす。


が起こったのは……トンネルの終点に近づいていたときでした。カーブを曲がって、出口の光が見えたところです。ほっとしていたら、うしろからふいに足音が聞こえました。突然響いた足音で、とても近くて……。だれかが、トンネルでじっと潜んでいたようでした」


 思いだして、塔子はギュッと拳をにぎった。

 榊葉が相づちをうつ。


「わたし、驚いて……。走って逃げだしたんです。そうしたら、そのだれかは、追いかけてきました。ぴったりとわたしの後をついてきて。本当にこわくて、足がもつれて転んで。振りかえったら――闇のなかだったのに――目が合ったのがはっきりとわかって。悲鳴をあげました」


 背後で息をのむ気配がした。見やると柊一が驚きの表情を浮かべている。

「それで?」

 榊葉が冷静にうながす。


「転んだらもう、どうすることもできなくて。もうだめだと思いました。頭を抱えて縮こまって……でも何も起きなかった。しばらくの間があって、顔をあげたとき、耳元で囁きが聞こえました」


 “約束を破ったね?”って。


「約束?」

 思わずといったように柊一が口を挟むので、塔子は少し顔を向けた。


「――声をあげてはならない。立ち止まってはならない。けっして、うしろを振り返ってはならない――。トンネル通過儀式の約束。わたし、すべて破ってしまったから……」


「それで?」

 榊葉はまたうながす。

「……耳元にだれかの顔があると思うと、本当にぞっとして、こわかった。居ても立ってもいられなくて、やみくもに逃げようとしたんです。そうしたら――」

「そうしたら?」

 塔子はごくりと唾をのんだ。


「右肩を叩かれました。軽く――」

「何回?」

「……三回」


 執務室に沈黙が降りた。

 塔子の手は少し汗ばんでいた。昨日のことだ、まだ生々しく記憶がある。転んですりむいた膝だって癒えていない。

「会長は、言いましたよね」

 思ったよりもか細い声がでる。



「わたしをおどかしたのは、それは――王だって。獅子だって」



 かたん、とふと後ろで音がした。柊一が少し身を乗り出している。

「会長」

 彼は眉をしかめて榊葉を見ていた。

「会長、これはいったい、なんの話ですか」

 ふたりの視線があつまるも、榊葉は落ち着いたものだった。神妙な顔つきでしばし黙りこんでいる。

 見守る塔子は無意識に息をつめた。


「……いったい何の話かって?」


 しばらくして、榊葉はようやく顔をあげた。複雑な表情をしていた。静かで、厳かで、けれど感慨深げな面持ち。柊一に返しているというのに、まなざしは塔子にある。

 彼は息を吐いた。


「よい話か悪い話かっていったら、よい話だ。それどころか、これ以上ないほどの慶事けいじだ。なにせ……なにせ王が、次の王を決めたのだから」

 

 いま、なんて?


 塔子は言葉を失った。そしてそれは、柊一も同様のようだった。

 榊葉はにっこりと笑いかける。



「きみは獅子に三度触れられ、獅子の身体を手に入れた。すなわち――獅子の娘となったんだ。言ったろう、すべてはトンネルから始まる。……おめでとう、篠崎塔子さん」



 ――あなたはいずれこの国の王になる。

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