第9話 日記

 パックの中の卵のように綺麗に並んだ血判を何度も繰り返し数えてみて八つまでしか数を数えられないことに気が付いた。


 数字が八まで増えると途端に頭の中が真っ白になる。

 八の次が九だってことは理解できているのにな。


 これまで無意識に出来ていたことっていざ出来なくなってみるとやり方が分からなくなる。


 頭の中でパーセプトロンを作って数を数えていた気がして、頭をブンブン振り回しながらイメージしてみたけど全然駄目だった。


 すごく恥ずかしい気持ちになってその日は一日中喋らないでいようと決めたのにクツアがしつこく話しかけてくるので半日も経たずに口を開くことになった。


 恥ずかしいって感情を思い出すのは久しぶりな気がした。

 久しぶりって数えなくていいからいい言葉だ。


 クツアはこの場所で独りで暮らしているみたいだった。

 友達がいないのかって尋ねたら俺を指差してプルプルしていた。


 クツアの一日って無意味だ。

 ラジオダンスして、庭の木になった桃の味のするリンゴを食べて、花壇にチョロチョロ水をやって、人形遊びして、絵本を読んで、寝て、起きて、ラジオダンスして、歌って、踊って、分身して、歯を磨いて、しょんべんして、寝て、起きて、かくれんぼして、お風呂に入って、ボール遊びして眠る――、大体こんなものだ。


 しょんべん以外何も生み出さない。


 俺はハムエッグとかガトー・オ・ショコラとか食べたかったのだけど作り方が分からないし、材料もないし、クツアも用意してくれないので食べるものが何もなかった。

 桃の味のするリンゴを一度食べたけどお腹を壊すと思ってペッペッと吐き出した。


 クツアは絵本が好きみたいで俺に読んでとよくせがんできた。

 最初は自分で読めばいいと思って断っていたのだけど、あんまりしつこいから読んでみることにしたら意外と楽しかったからしょっちゅう二人で絵本を読んだ。


 クツアの家には驚くことにルーシー・モード・モンゴメリの本が一冊もなかった。

 けれど、内容は覚えていたのでクツアが寝る前に赤毛のアンの話を聞かせることにした。


 クツアはいつも話の途中で眠るので何回も起こす必要があって、おまけに一度眠り付くと

 CMOS電気が消耗したパーソナルコンピュータみたいに上手く目を覚まさない。

 だから結局、俺も諦めて寝ることになる。


 いつも星空の下で寝た。

 明るい場所でないと眠れないってヴァンパイアを怖がるヤママユガみたいにネグリジェをバタバタさせてクツアが駄々をこねるからだ。


 クツアはみんなをぶっ殺したいって言う。

 みんなに虐められからって言う。

 でも、みんなをぶっ殺してしまうと観客がいなくなる。

 俺達は旅芸人になるのだからそれは駄目だって言うとクツアはぶつぶつ言う。

 でも次第に旅芸人の自覚が芽生えてきたのか最近ではぶっ殺さないかもって言うようになった。


 良いことだと思う。

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