30.メイドさんスパイ疑惑
ユスティーヌがどうにかこうにか両親と折り合いをつけ、勘当もされずに騎士を続けていけることになって一安心、やれやれつかれたわいと思っている頃、騎士団に新しいメイドさんがやって来た。そのメイドさんはなんとユスティーヌの実家が給金を全額負担、娘がいつもお世話になっているから、ということで騎士団に派遣されたのだった。騎士団で雇っているメイドさんは予算の都合で数が少なく、しかも派遣元がよくないせいなのか質の良い人材がいなかったから、ユスティーヌご両親の申し出は騎士団にありがたく受け入れられ、これでいつも臭くて汚いトイレが少しはまともになればいいなどと言っている。
しかし一同の歓迎ムードの中、当のユスティーヌだけはメイドさんに猜疑の目を向けていた。実家が給金全額負担で派遣なんて不自然だ。しかもこのタイミング。これは絶対、自分を監視するための措置に違いない。
夕食の席で、ユスティーヌは3人に言っている。
「どう考えても、あのメイドは実家のスパイだ。私の些細な落ち度でも両親に報告して、実家に連れ戻す口実を作るつもりに違いない。実家で見たことない顔だし、スパイとして雇ったんだ」
「たしかに、先日ご両親と一悶着あったばかりだからな。タイミング的にはそう思える」
肯定的なサリアに対して、ミリアーネは否定的。
「いや、ご両親も一応は納得してくれたんじゃないの?だったら、純粋に娘を心配してのことなんじゃないのかなあ。夜這いされるから婚期は安心、とか言ったわけでしょ?」
エルフィラが驚いて、
「えっ、それって心配されること?」
「エルフィラさんちの倫理観どうなってるの?」
逸れていこうとする話を、ユスティーヌが戻した。
「どちらにせよ、私にメイドなんか必要ない!いびって辞めるように仕向けるから、皆も協力してくれ」
3人は気分が乗らなかった。鬼姑じゃあるまいし、使用人をいびるなんてことはしたくない。しばらくは様子を見てみようということになった。
メイドさんは普段は騎士団全体に関わる、清掃や水くみなどの仕事をしているが、時間を作ってはユスティーヌのお世話をしにやって来る。給金はユスティーヌ家から出ているから、彼女を特に厚く世話することは誰も異論がない。
名前はユーディトといって、年はユスティーヌたちより1つ2つ上のようだ。背は中くらいで、栗色の髪を肩まで伸ばしている。特徴的なのがその顔で、いつも眉毛が八の字になって、自信無さそうにオロオロしている。だからこれはちょっといじめればすぐ辞めるだろう、とユスティーヌは踏んで、まずは仕事を頼まないという嫌がらせをすることにした。
仕事の合間を縫ってわざわざユスティーヌの側に来て、
「お嬢様、何かお困り事はございませんか?」
と律儀に聞いてくるユーディトに、彼女は冷たく言い返す。
「別に頼みたい仕事なんか無いよ」
すると側にいたミリアーネがそういえば、と言って、
「私の練習着の袖がちょっとほつれてたんだった。ユーディトさん、お願いできます?」
「うまくできるかわからないですが、私でよろしければやってみます。あと、さん付けしていただかなくて結構ですよ」
自信無さそうな顔で返答するユーディトを見て、ミリアーネは察した。(あっ、ダメそう……)
が、翌日出来上がった物を見て、ミリアーネは目を見張ることになる。
「これユーディトさんがしたの!?」
ミリアーネが大声を出したので、ユーディトは叱られると思って大慌てで謝る。
「すみません!ご希望を仰せくだされば、すぐ作り直します!」
「いや、逆ですよ!すごすぎてビックリしちゃった」
昨日頼んで今日でき上がるという期間の短さもさることながら、その出来映えにミリアーネはたまげ果てたのだった。袖は自然に補修されていて、もはやどこがほつれていた箇所かわからない。服を直す場合は騎士団雇用のメイドさんに頼んでも良いのだが、何週間も待たされた挙げ句に一目で補修したとわかる物が返ってくるので、ミリアーネは一回で懲りて以降街の服屋に頼むことにしていた。しかしユーディトは、服屋以上の仕事をしてくれたのだった。しかもミリアーネの金銭負担なしで。
「ユーディトさん、ありがとう!あなたは最高のメイドさんです」
「そんな、もったいないお言葉……」
大喜びのミリアーネはサリアとエルフィラにも吹聴し、2人も出来映えに驚くのだった。
別の日、御用聞きにやってきたユーディトをユスティーヌが冷たくあしらったとき、側にはサリアがいた。ミリアーネの言ったことを思い出し、申し訳なさそうに、
「厚かましいんだけど、ユスティーヌの代わりにお願いしてもいいですか?穴が開いたままの外出着がありまして」
サリアがお願いしたのはお気に入りの紺のセーター。ずいぶん前から穴が開いたままになっていたのだが、騎士団雇用のメイドさんには頼む気になれず、服屋は金がかかるし自分ではできないしで、結局そのままになっていたのだ。
ユーディトはまた自信無さげな顔で言った。
「うまくできるかわからないですが、やってみます。あと、敬語で接していただかなくて結構ですよ」
そして次の日サリアも驚くことになった。よく見れば補修箇所はわかるものの、遠目ではまったく目立たない。服屋に任せてもここまで早く、しかも目立たなくしてもらえるかは疑問だ。しかも自分の金銭負担は一切なし。サリアも大喜びでミリアーネとエルフィラに吹聴した。初めはユスティーヌに同調してスパイと疑っていた警戒心は、どこかに消えてしまっていた。
また別の日、今度はユスティーヌの側にエルフィラがいたので、彼女もお願いしてみた。
「外出用のスカートのウエストが合わなくなって……」
恥ずかしそうに言うエルフィラに、ユスティーヌが横から
「おぬし、太ったな?」
「断じて違う!筋肉がついたのよ!」
そして次の日やっぱりエルフィラも出来映えに驚くことになり、やっぱり大喜びでミリアーネとサリアに言いふらした。
さらに別の日、4人が一緒にいるところへユーディトがいつも通り御用を伺いに来て、ユスティーヌがいつも通り冷たく接したからさあ大変、3人からの大ブーイング。
「お前、ユーディトさんに冷たくするのやめろよ」
「そうだよ!こんな優秀なメイドさん、探そうたってなかなかいないよ?服屋さん開業しててもおかしくないレベルだよ」
「あなたがそんな扱いするのなら、私の家で雇いたいわ」
自分が激賞される一方でご主人様が貶される様子にオロオロするユーディトの横で、ユスティーヌは思った。なんてことだ!3人ともスパイに籠絡されているじゃないか。まずは対象の歓心を買って取り入り、機密を聞き出すなんてのはスパイの常套手段だ。しかし3人が陥落しようと、本丸であるこの私だけは屈しない!
ユスティーヌは作戦を変えることにした。仕事を与えないと3人が勝手に与えてしまうので、今度は逆に仕事をどっさり与えることにしたのだ。しかし自分の身の回りのことをスパイに頼みたくはなかったので、こう言った。
「3人が今日中に部屋の掃除をしてもらいたいと言っていた。私のことはいいから、やってあげてくれ」
騎士団共通の仕事とは別に、1日で3部屋の掃除!無理に決まっている。今日の終わりには、泣きながら暇を乞いにやってくるに違いない。
ユーディトはいつも通り眉を八の字にしながら言った。
「できるだけ、頑張ります」
その日の訓練が終わり、部屋に戻ってきたミリアーネは目を丸くした。部屋の隅々まで清潔になっているではないか。乱雑に積んでいた読みかけの本がきちんと整列されて、床にはゴミどころか埃すら無くなっている。さらには、タンスに無造作に丸めて突っ込んでいた洋服が、すべて綺麗にたたまれている。(さすがに下着には手を付けられていなかった)
ミリアーネが夕食の時にそのことを話すと、サリアとエルフィラも同じ状態になっていることがわかった。こんなことをしてくれるのは、ユーディトさんに違いない。
「ユーディトさんはメイドさんの鑑だね。こんなところで便所掃除させてちゃバチが当たりそう」
「騎士団をこんなところ呼ばわりするなよ」
「でも、頼んでもないのになんで掃除してくれたのかしら。ユスティーヌ、あなた知ってる?」
「い、いや、知らんぞ」
すっとぼけながら、ユスティーヌは内心悔しがっていた。あいつ、本当にやったのか!
その後もムキになって3人の靴磨きや洗濯を言いつけるが、毎回卒なくこなしてしまう。そのたびに3人は大喜びで、サリアはユーディトの手を取りながら、
「私、もうユーディトさんに足向けて寝られませんよ」
とまで言っている。ユーディトの方は相変わらず困った顔で、
「サリア様、そんな恐れ多い……。あと、敬語を使っていただかなくても結構ですので……」
「ユーディトさんは、もっと自信を持ってもいいと思います!」
ミリアーネも手を取りながら言った。
とうとう、ミリアーネがこう言い出した。
「ユーディトさんと他の騎士団雇用のメイドさんが同じ給料なのは不公平だと思う。だから、私たちで少しずつお金を出し合って、お給料をちょっと上乗せしてあげようよ」
「いい考えだ。ミリアーネもたまにはいいこと言うな」
「私も大賛成よ。なぜかは知らないけど私たちだけ特別にお世話してくれるから、なんだか申し訳ないと思っていたのよね」
3人とも完全にユーディトの味方になってしまっている。私だけはしっかりしなくては、と思うユスティーヌに向かって、ミリアーネが不思議そうに言った。
「でも、雇用主のユスティーヌにはあまりお世話しないよね。なんでだろう」
「嫌われてるんじゃないのか?態度がデカいから」
からかうサリアに、ユスティーヌは胸を張って言った。
「逆だ、逆!私が頼まないようにしているのだ。スパイに身の回りの世話を頼めるか!」
「あなた、まだそんなこと言ってるの?」
呆れるエルフィラに、ミリアーネも同調する。
「ここまで優秀なメイドさんだったら、もうスパイでも何でもよくない?」
◆
3人はユーディトに給料増額を打診したが、既にお嬢様のお家から十分なお給金をいただいておりますから、という理由で固く断られたのだった。
しかしこのままでは収まりがつかない3人は、出し合ったお金で街のレストランに行くことにした。3人ともユーディトに磨いてもらったピカピカの靴に、サリアとエルフィラは直してもらったばかりのセーターとスカート。
「ユーディトさんのおかげで、またこの服を着られました」
はしゃぐサリアを見て、ユーディトはにっこりしながら、
「サリア様が嬉しそうで、私も嬉しいです」
レストランでは、3人が勢いに任せて注文したローストビーフをはじめとする豪華な料理の数々。
「私、このような豪華な食事をいただくのは久しぶりです。皆様、ありがとうございます」
目を輝かせながら感謝しかないユーディトに、エルフィラが憤慨しながら、
「ユスティーヌ、あなたユーディトさんにちゃんと良い食事させてあげなさいよ。ユーディトさんになら、毎食レストランでも質素すぎるくらいよ」
「そんな無茶な……」
ミリアーネがユーディトに聞いた。
「なんで私たちだけ特別にいろいろしてくれるんです?頼んでもいないのに。ありがたいんだけど、大変じゃないですか?」
「え?私はお嬢様から、皆様が掃除や靴磨きをしてほしいそうだとお聞きしまして……」
ついにユスティーヌの悪事がバレた。3人は非難囂々、
「お前まだユーディトさんのことスパイだとかなんだとか言ってるのか。器の小さいヤツだ」
「もし本当に辞めちゃったら、ユスティーヌに同じことしてもらうからね!できないだろうけど」
「ユーディトさん、ユスティーヌの言いつけは聞かなくてもいいのよ。体を大事にして?」
3人にボロクソにされたユスティーヌはしょげてしまった。その頭をユーディトが撫でながら、これは奥様との秘密だったのですが、と前置きして告白した。
「奥様が私を派遣された理由は、お嬢様にはきっとお友達もいないだろうし、身の回りのこともできないだろうから、その面倒を見るように、とのことだったのです」
サリアが感心しながら、
「やっぱりお母さんは娘のことがよくわかっているんだな」
「うるさいわい!余計なお世話だ!」
スパイ疑惑は解けたけれど、ユスティーヌはまだ心を許していない。今日も律儀に御用聞きに来たユーディトに向かって、いつも通りそっぽを向きながらこう言った。
「別に頼みたい仕事なんか無い。ちょっと働かせすぎたから、少しは休むがいい」
「ありがとうございます、お嬢様」
ユーディトがにっこり笑った。
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