28.決意

 気が付くと、俺は楽器屋の前に立っていた。大学から徒歩数分ほどの距離の、大きくも小さくもない店だった。


 脳がぼんやりと、まだ何も状況を理解できないままただふわふわと存在しているようだ。先ほどまでのハーブの香りと彼女の部屋の光景が、今目の前にある店の景色と薄ら重なり合っている。


 店では、「弦の張り替え無料サービス」というポスターが、空気を読まずにでかでか自らの存在を主張していた。


 大学帰りの学生をターゲットにしているのだろうか。頭の片隅でそんなことを考えながら、俺の頭は未だぼんやりと雲に包まれていた。

 

 と、その時


 ピロン


 スマートフォンの通知が鳴った。見ると、画面いっぱいに


「電話に でられなくてすみません。

               しらたま」


という文字が浮かび上がっていた。自然と目が大きく開かれていくのが、自分でも分かった。


「しらたま、よかった。もう連絡が取れないのかと思っ」


 慌てて指を動かす。返信を打っている最中に、次の通知が届いた。


「あの男を みつけました。

 ぼくが みちあんないを します。あとをおって ください。」


 はっとした。

 あの男。あの男のことだ。


 間違いない。それは、未来の「夢」に現れた、あいつだ。りずを裸にし、そして刃物で切りつけて解体した男だ。


 奴のジーパンのポケットから落ちた祭りのチラシが脳裏を過ぎる。あの紙を持っているということは、Xデーはおそらく、8月の終わりの夏祭りよりも数日前辺りのことだろう。町内会の人間のふりをして、彼女に近付いたのかもしれない。


と、目の前にいつものうさぎの幻影が現れた。今はもう彼の正体は分かっている。


 前世での名は

 そして、現世では…


「今行く」


 短いメッセージだけを返して、俺はしらたまの背を追って走った。


 過去は、リズに起こってしまった運命は、もう変えることは出来ない。


 彼女は、あの後。


 断片的にではなく完全に、俺は過去のことを思い出していた。


 俺があの暖かく小さな彼女の家を訪ねたその数週間後、リズは人々に捕らえられた。彼女自身、そうなることを分かっていながら、あの家に留まったのだ。


 彼女には、自分の未来が既に「見えて」いたのかもしれない。彼女自身の持つ、ほんの「ちょっとした能力」によって。


 リズはその華奢な身体で、「魔女」として全てを背負おうとしていた。人々の悲しみも不安も、何もかもをその一身に受け止めようとしたのだ。


 その結果——————


 俺は、それをどうする事もできなかった。


 けれど。


 未来は、りずの運命は、これから変えることが出来るかも知れない。きっと、まだ間に合う。


 日時は、大学を出た日と同じだった。Xデーまで、まだたっぷりと時間はある。


 あの時と同じように、俺は、再び足を進めていった。未来を、彼女の運命を変えるために。

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夢少女リズと不条理な日常(旧題:夢の彼女と雑草をめぐる物語) ゴンkuwa @Gonzaleskuwawa

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