23時限目 イムドレッドの行方


 ダンテの懸命な調査にも関わらず、イムドレッド・ブラッドの行方は依然として知れなかった。フジバナや王都兵団のツテも使ったが、イムドレッドに関する情報はほとんど入ってこなかった。


(これはひょっとすると、あいつ相当やばいところまで手を突っ込んでるんじゃないか)


 嫌な想像がダンテの脳裏をよぎった。裏社会に行きついていたら、さすがに手にあまる問題だった。


 問題はさらに積み重なっていく。

 日が進むにつれて、徐々に今年度の対抗戦の全容も明らかになっていった。「パラディン」「ルーク」「ボーン」「ナッツ」の全生徒が参加する一大イベント。ルールはほとんど例年と同じはずだった。


 寝耳に水だったのは、案内人から通達された追加ルールだった。


「対抗祭終了時、成績が基準値を突破しなかった場合、当該の生徒を退学処分とする、と教員会議で決まったそうです」


「なんだよ、それ」


 朝方かかってきた連絡に、受話器を持つダンテの手は震えていた。


「それじゃあ、うちのクラスの連中はポイントを取れなかったら、全員退学じゃないか!?」


「そうなります」


「そうなりますって……」


「教員会議で決まったことです」


 会話は打ち切りになり、がちゃりと無機質なコール音が鳴った。こんな嫌がらせをする人間は一人しか思い浮かばなかった。


「バーンズ卿か……! いちいち手を回してきやがって!」


 ダンテは乱暴に叩きつけて受話器を大きく舌打ちした。

 リリア、マキネス、ミミ、シオンはようやく初等魔導が形になってきた程度だ。前年度の遅れが目立っていて、到底他のクラスに勝てるとは思えない。


「顔色が優れませんよ」


 魔導学が終了した後、だるそうな足取りで廊下を歩いてくるダンテを見て、フジバナは心配そうに言った。


「すまんな、大丈夫だ」


「昨日はお休みになられたのですか」


「四時間くらいな」


「本当は二時間でしょう。対抗戦が来る前に身体を壊してしまいますよ」


「俺の身体が壊れるくらいなら良いんだ。問題は……」


 そこまで言ったところで、ダンテは廊下の隅に人影があることに気がついた。パリッとしたスーツを着た男だった。その男はダンテを見つけると深々とお辞儀をして、一人の人物を呼び出した。


「アイリッシュ卿、ダンテ先生が来られました」


「ご案内どうもありがとう。外で待っていてくださる?」


「かしこまりました」


 うやうやしく進み出た夫人は、黒と青のロングドレスに身を包んでいた。綺麗な白髪は後ろ手で団子にまとめてあり、一歩ごとに気品を感じるようゆったりとした動作で足を運んでいた。


 彼女の姿を見て、ダンテとフジバナは思わず身を凍らせた。


「あ……アイリッシュ卿?」


「どうしてこんなところに?」


「依頼をした側であるから、当然でしょう? 可愛い生徒たちの様子を見に来たのよ」


 ほがらかな笑顔で彼女は応えた。ニコッとダンテの顔を見ると、フジバナの方を見た。


「そちらのお嬢さんは?」


「あぁ……フジバナ・カイ、俺の部下です。実は魔導学を手伝ってもらっていて……」


「お初にお目にかかります。アイリッシュ卿、お会いできて光栄です」


「そうだったんですか。この分だと心配していた勉学の方も問題なさそうね。兵団の方はどうしていますの?」


「今は休暇を取得させてもらっています」


 フジバナの言葉を聞くと、アイリッシュ卿は「そうなの」と悩ましげに視線を天井に動かして言った。


「そうなると、給金の方が出ないでしょう。私の方から兵団の方に口添えしておくわ。しばらくの間、あの子たちのこと見てくれる?」


「は、はい! ありがとうございます!」


「お礼を言うのはこっちの方よ。噂は色々届いているわ」


 穏やかな微笑みで彼女はダンテのことを見た。ブルーの瞳は邪気がなく澄んでいて、その分何を考えているか彼には読み取れなかった。


「バーンズ卿には困ったものだけれど、あなたならきっと大丈夫。対抗祭、楽しみにしてるわ」


「はぁ……」


「そんな沈んだ顔をしないで。まだ三週間あるわ」


「なんとかやってみます。それと、また別の件なんですが……」


「えぇ、イムドレッド・ブラッドの話でしょ。今日来たのはそのことでもあるの。通話機を使っても良かったんですけど、少しデリケートな問題でしたから、直接言いにきたんです」


「あいつの居場所が分かるんですか……?」


 アイリッシュ卿はうなずいた。その瞳の奥が複雑に揺らぐのがダンテにも読み取れた。少しためらった後で、アイリッシュ卿は小さな声でその名前を口にした。


「ロス・エスコバル。王都旧市街の麻薬組織です」


「まさか……」


「イムドレッド・ブラッドはそこで用心棒として雇われてます。もっとも加入したのは最近ですけれどね」


 血が凍るような感覚だった。


 旧市街にはびこる麻薬組織の噂は、当然聞いたことがあった。違法の魔導薬の成分を調合して作られた麻薬の存在は、王都兵団時代にも頭を悩まされていた。一瞬でトリップすることができる極めて依存性の高い麻薬は、王都での取引が全面的に禁止されている。


 しかし旧市街は違う。


 王都東部に広がる旧市街は、入り組んだ路地裏が多く、犯罪件数が多い。王都兵団のパトロールも手薄になっており、秩序は崩壊しつつある、代わりに跋扈ばっこしているのは麻薬組織、つまりギャングの集団だった。


 イムドレッドはその組織の一つに属している。


(どんだけ厄介なところまで足を踏み入れてんだ……!)


 ダンテやフジバナが手を尽くしても、見つからないのは当然だった。住んでいる世界が違いすぎる。しかもロス・エスコバルというのは麻薬組織の中でも、過激派として位置づけられていた。


「その事実をブラッド家は知っているのですか……?」


「知らなかったわ。とはいえ知ったところで、さして動揺もしていなかったみたい。殺人の技術さえ身についていればどうでも良い。信じがたいことですが、あそこはそういう家なのです」


「随分と達観しているな……」


「そこでダンテ先生にお願いがあるのです」


「嫌な予感しかしない」


 アイリッシュ卿は「そこまで身構えないでください」と言った。


「連れ戻して来いという話ではないんですか?」


「いえ、今回は特例を認めます。イムドレッドの真意を探ってきてください。そして

彼が退学を望むのであれば認めても構いません。彼は途中退学ということであなたへの依頼の例外にします」


「……意外だな。俺はてっきり……」


「今回ばかりは手にあまる問題です。下手を打てば王都をも巻き込む抗争に繋がる可能性もあります。アカデミアを危険にさらすのは、私の本意ではありませんから」


 無念そうな顔で肩をすくめたアイリッシュ卿は、小さなメモ用紙をダンテに手渡した。


「これがイムドレッドがいるアジトになります。安全とは言えませんが、頼まれてくれますか?」


「……分かりました」


「ありがとうございます。やはりあなたに頼んで良かった」


 それではよろしくお願いします、と深々にお辞儀をしてアイリッシュ卿は帰って行った。彼女が帰っていくのを見届けた後で、ダンテは渡されたメモの内容を確認した。思い悩むような表情を浮かべるダンテを、フジバナが覗き込んだ。


「隊長、大丈夫ですか?」


「あぁ、いや……何でもない」


「私も付いていきましょうか?」


「……いや」


 み切った青空を見上げてダンテは応えた。


「俺一人で行くよ。俺が話をつけてくる」


 その表情は何かを迷っているようにフジバナには思えた。雲ひとつない空の中に答えを探しているような、迷いのきざしがダンテの言葉にはあった。


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