小さな村の老婆

 早朝、日が昇る前に家を出る。

 防寒対策は完璧。必要な荷物もリュックに詰め万全だ。

 シングルバーナーとダッチオーブンももちろん持ってきている。

 この二つで今回のキャンプはより快適となるはず。


 二人で街の中を歩きつつ最終確認をする。


「今回は二件の仕事ね。一つ目は途中にある村、二つ目はミストレイク、二人の標的を殺せばクリアで間違いないわよね」

「そうそう」


 今回も簡単な仕事だ。面倒な潜入もないし見つけて殺すだけのお手軽ミッション。

 俺としてはそんなことよりどうアウトドアを満喫するかが重要だ。


 そして、フィネたんをアウトドア沼にどう引きずり込むのかが課題なのである。


 まだまだこの世界では、アウトドアはどマイナーな趣味であり認知している者の方が少ない。悲しいがそれが現実だ。

 そこで俺はキャンプ人口を増やすことを決意した。使命への目覚めだ。

 しかし、いきなり見知らぬ者へ布教しても逃げられるだけだ。沼から腕を伸ばして掴んだところで蹴られて逃げられるのがオチ。

 ならば身近なところから引きずり込もう、俺はそう考えた。


 フィネたんを洗脳できればきっとキャンプ人口も一気に増えるに違いない。


 可愛い女の子がアウトドアをすればいい宣伝になる。

 そうなれば趣味を分かち合う人々も増え、アウトドアはより大きく発展するだろう。


「そう言えば朝食はどうするの? 今ならパン屋が開いてると思うけど」

「寄る予定だよ」


 いくつかの煙突から煙が昇り香ばしい匂いが漂ってくる。

 通い慣れた店の裏口を叩けば、店主のおじさんが顔を出す。


「二本くれるかい」

「四百ジルだ」

「ありがと」


 おじさんからバケットを二本もらう。

 一本はリュックに入れて、もう一本を二人で分け合いながら食べる。

 焼きたてなので外はカリッとしながら中は柔らかい。


 パンをちぎる度にバリリリと気持ちの良い音がする。


 店を開けている青果店のおばさんを目にした。

 二人で近づいて良さそうな果物を探す。


「イチゴも捨てがたいけどビワもいいわね」

「両方買えばいいだろ」


 イチゴとビワを十個ずつ購入。紙袋を受け取る。

 フィネたんはイチゴを口に入れるなり幸せそうな顔をした。


 街を出て道なりに移動する。


 空は次第に明るくなり、吐き出す白い息がはっきりと見えた。

 雲はまばらなので、どうやら今日も快晴のようだ。

 遠くの山頂を太陽光が照らす。夜明けは近い。


「イズル! タンポポが咲いてる!」

「ほんとだ」


 風に黄色い花が揺れる。

 朝日が地上を照らし花も輝いて見えた。


「タンポポって可愛いわ――」


 ぶりち。俺は根っこから引き抜いた。


 いきなり食材を手に入れられて幸先がいい。

 タンポポは花も葉っぱも食べられるからとっておいて損はない。

 まぁ、葉っぱの方は苦みがあるから数時間水にさらさないといけないけどさ。


「タンポポォオオオオオ!!?」

「見つけてくれてありがと。フィネたんって目がいいよな」

「フィネたんって呼ぶなぁぁ!」


 朝っぱらから元気だな。

 しばらく休憩はなくても問題なさそうだ。


 お、もしかしてあれはツクシか。


 よく見れば近くにツクシが沢山生えている。

 袋を取り出してぶちぶち引きちぎる。

 数分ほどで袋の中はツクシでいっぱいになった。


「ここは食材の宝庫だな。覚えておこう」

「タンポポ……」

「ほら、行くぞ」


 しょんぼりするフィネたんを連れて再び歩き出した。



 △△△



 街を出て数時間、俺達は道なりに進み続けていた。


「一面真っ黄色ね!」

「壮観だな」


 道の両側に黄色い絨毯があった。

 春の象徴、菜の花である。


 生ぬるい風が吹き、俺はニット帽とマフラーをとる。

 今日は気温が高めで暖かいようだ。

 フィネたんも同様にニットをとって長い銀髪を風に流した。


 すると彼女は俺に向かって構える。


「この花たちは引きちぎらせない!」

「馬鹿め。貴様の守る花をちぎるとは限らんぞ」

「やめてぇぇ!」


 俺は逆方向の菜の花を掴む。

 奴の目の前でぶちぶち引きちぎってやった。


「なのはぁなぁあああああ!!」


 ちなみに菜の花というのは、アブラナ科の植物のことで特定の花の名を表わすものではない。観賞用や食用やなたね油用など種類は多く、カブ、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、ダイコンなども含まれている。


 問題は道ばたに生えている菜の花が食べれるかどうかだが、もちろん食べることができる。ただし、花の咲いた状態は固くなり美味しくない。

 できれば蕾の状態が望ましいだろう。


 俺は蕾をちぎりまくる。


 フィネたんはがくりと膝を折った。


「お昼には食べさせてやるからな」

「ごめんね……私には助けられなかった……」


 ほどほどに収穫してリュックに袋を詰める。

 いやはや今日は食材に恵まれた日だな。気分がいい。


「イズル、あそこに人がいる」

「ん~? あの豆粒か?」


 目がいい俺でもぎりぎり見えるくらい小さい点だ。

 さすがは強化された人間、一般的な人の五感とはレベルが違う。


 二人で近づくと、そこには地面に座り込む老婆がいた。


「大丈夫?」

「いたた、足をくじいてしまってね。立てないんだよ」

「住まいは近くなの?」

「ここから少し行った先に村があるんだ」


 俺とフィネたんは見合わせる。

 面倒なので放っていこうと思ったのだが、彼女は連れて行きたいようだ。

 彼女が自ら老婆を背負おうとしたので肩を掴んで止める。


「俺が背負う」

「じゃあ荷物を預かるわ」


 リュックを彼女に渡し、俺が老婆を背負った。

 すでにここから村は見えているので大した距離ではない。


「ありがとね。動けなくて困ってたんだよ」

「あんなところにいたら魔物に襲われてたかもしれないわよ」

「そうなんだけど、近くに孫の墓があってね。たまに見に行ってやらないと寂しがっちゃうから」

「そうなんだ……」


 フィネたんは老婆の言葉に小さく返事した。

 いくら殺しを生業にしているとは言え人の心を失ったわけではない。暗殺者だって泣きもするし喜びもする。時には他人に同情だってするのだ。特に家族を失った彼女は、老婆に己を重ねてしまうだろう。

 感情の薄い俺からすれば逆に羨ましいことだ。


 村は三十軒ほどの家で構成される小さなものだった。

 老婆の家は村の端の方にあり、入ってすぐの場所にあった。


 俺は家に入り、老婆を窓際のロッキングチェアに座らせる。


「なんとお優しい旅人。こんな老いぼれをわざわざ家まで、背負って連れてきてくれるなんて。心から感謝するよ」

「足は痛くない?」

「骨は折れてないと思うんだけどね」

「おばあちゃん、よかったらこれ飲んで」


 フィネたんはポケットから小瓶を取り出す。

 それは擦り傷程度なら一瞬で治癒させるポーションだった。


「ポーションだなんて! そこまでしていただくわけには!」

「遠慮しなくていいから飲んで。どうせそろそろ使わないと使用期限が切れる頃だったし」

「それなら……」


 老婆は小瓶を開けて中の液体を飲み干す。

 すぐに効果は現れ、老婆は椅子からゆっくりと立ち上がった。


 どうやら本当に骨折ではなかったらしい。もしそうじゃなかったら医者を呼ばなければならなかった。


「重ね重ねありがとう。たいしたお礼もできないけど、こんなところでよければ泊まっていくれるかい」

「ごめんなさい。私達、今日中に向かわなければならない場所があって……時間があったらご厚意に甘えたかったのだけれど」

「それならしょうがないね。でも、せめてお茶くらいは飲んでいっておくれ」

「うん。それくらいは時間あるかな」


 フィネたんが目配せする。

 俺は意味を正確に理解し頷いた。


 ここで少しばかり時間を使っても問題ない。

 走れば予定時刻までにはミストレイクに到着するだろう。


 席に座り老婆の淹れたお茶を啜る。


「こんなものしかないけど食べておくれ」

「いただきます」


 差し出されたのは干し柿だった。

 表面には白い糖が付着しており見るからに甘そうだ。

 フィネたんは囓るなりだらしない顔になる。


「これ、すごく甘い!」

「そうだろそうだろ。この辺りじゃ柿はよくとれるんだ。孫もよく嬉しそうに食べたもんだよ」


 俺も囓ってみる。渋みはなく程よい甘さが広がる。

 街で売っている干し柿よりも美味い気がした。


「おばあちゃん家族はいないの?」

「息子夫婦は揃って流行病で逝っちまってね。あたしには孫だけが残されたんだ。でもその孫も先月殺されてしまって」

「誰に?」

「村長だよ。身内びいきじゃなくウチの孫は本当に可愛い気立てのいい子だった。だから村長に目を付けられちまってね、ある日家に連れ込まれて……きっと抵抗したから……」


 場の雰囲気がどんどん暗くなっているな。

 このままだと家を出るタイミングを失いそうだ。


「村長ぶちころしてやる!」

「おい」


 怒り心頭のフィネたんが立ち上がる。

 完全に老婆に感情移入しているじゃないか。

 こんな時の彼女は碌な事をしない。


「おばあさんは村長を訴えなかったのか」

「問い詰めたところでしらを切られるだけだよ。ここは小さな村、取り仕切ってるあの男には誰も逆らえない。この歳で村を出ることもできず、孫の仇もこの手で討てない、何だったんだろうねあたしの人生」


 そう言う割には老婆の目は憤怒でギラギラしている。

 このまま何もできずに死ぬなど御免だ、そう言っているように思えた。


 老婆は話を続ける。


「でもね、あいつは近いうちに天罰が下るんだ」

「天罰?」

「そう、死神がやってくるんだ。あたしが雇った死神が。あいつには可愛い孫を殺した罰を受けてもらわないといけない」

「……おばあちゃん、大丈夫?」


 老婆はハッとしてから、笑みを浮かべる。

 喋りすぎてしまったとでも思ったのだろう。


「悪いね、変な話をしてしまって。そうだ、畑で採れた野菜があるんだよ。お礼に持っていっておくれ」


 老婆は家の奥に行き籠一杯の野菜を持ってきた。

 中にはキャベツ、アスパラガス、タマネギなど旬の野菜が詰め込まれている。

 思わぬところで豊富な食材を手に入れてしまった。


「そろそろおいとまさせてもらうか。時間もあまりない」

「うん。おばあちゃん、お茶美味しかったわ」

「もう行くのかい。せめて外まで見送らせておくれ」


 三人で家の外に出る。

 老婆はフィネたんを孫を見るような目で見送る。

 フィネたんも別れを惜しんでいた。


「また来るからね。元気で」

「いつでもおいで。待ってるよ」


 老婆に別れを告げ歩き出す。

 そこで無精髭を生やした中年の男が視界に入った。


 男は恰幅がよくやけに小綺麗な服を着ている。

 一瞬、オークが人間のフリをしているのか、と思ったくらい中身と外装が釣り合っていなかった。


「よぉ、エイラのばあさんじゃないか。まだ死んだ孫のことを恨んでるのか。言っとくがありゃあ事故だ。おめぇの孫が抵抗せずに大人しくしてりゃあ、あんなことにはならなかったってのによ。儂の責任じゃねぇよ」

「口を開くんじゃないよ! そのツラ見せんなと言っただろ!」

「なんだとババア。村長に向かって口の利き方がなってないんじゃねぇのか」


 男は俺達をちらりと見つつも、視線は老婆に戻る。

 たまたま村に立ち寄った旅人とでも認識したのだろう。


 俺とフィネたんは男とすれ違った。


「――あぐっ!?」


 数秒後、後方にいる男が地面に倒れもだえ苦しむ。

 醜い悲鳴をあげて周囲に助けを求めていた。


 俺達は振り返らず村を出る。


「まさか依頼主と直接顔を合わすことになるなんてね」

「たまにはこんなこともあるさ」

「それでなにをしたの」

「心臓にある太い血管を切断した」


 今頃あの男は壮絶な苦しみを味わっているはずだ。

 そして、老婆の前で息絶えることだろう。


 これで一つ目の依頼は達成された。


「あのおばあさんにまた会えるかな」

「さぁな、でも約束したならちゃんと待ってるんじゃないのか」

「そうだといいな……」


 彼女は突然に走り出す。


 道の先で振り返り「急ぐわよ!」と笑顔で手を振った。


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