第28話 やっぱ家が一番落ち着く

 それからの俺は上の空だった。気がつくと二日目、三日目と日程は過ぎていき気がつくと俺は帰りの新幹線に乗っていた。行きとは違い帰りの新幹線は皆疲れ果てており、車内は静まり返っていた。


 夏も終わりすっかり陽も短くなり、すでに窓の外は薄暗く街の灯りとガラスに反射した自分の顔が重なって見える。


 どっと疲れた。


 あっという間のようで、これまでの人生を全て凝縮したような修学旅行だった。窓の外を凄まじい速さで通り過ぎていく景色のようなそんな修学旅行だった。


 通り過ぎていく名古屋の街並みを呆然と眺めながら物思いに耽る。が、不意にあることを思い出して俺は後ろの席を振り返る。


 俺の座席の四つほど後方の通路側のシートで織平さくらは静かに眠っていた。首からはこの街でプレゼントした猫のペンダントが下がっていて俺は何だか安心した。


 先生は疲れ切ったようで規則的な呼吸をしているのがここからでもよくわかる。何の夢を見ているのだろうか時々、ニヤニヤと笑みを浮かべているのがなんとも可愛らしい。


 再び、車窓に目を戻す。ちょうどどこかのホームを通り過ぎるところだった。車内の電光掲示板には『三河安城』と書かれているが知らない街だ。もの凄いスピードで通りすぎるホームの中に出張帰りなのかスーツ姿のサラリーマンの姿がぽつぽつと見えた。


 そんなよく見る光景が今の俺にはとても新鮮に見える。


 俺もいつかはスーツを着てあんな風に出張に出かけて、お土産片手に帰宅するようになるのだろうか。


 今の俺には自分のそんな姿は想像もできなかった。だけど、今だけは不思議とそんな自分の姿が羨ましくも思えた。


 俺は織平さくらに告白をした。正確に言うと二回告白したのだが、一回目のはなんというかノーカンということでよろしくお願いしたい。


 きっと先生のキスは俺にとってもっとも望ましい返答だったと思う。人差し指で唇に触れると先生の唇の感触がわずかに蘇ってくる。


 初めてのキスはこれまで感じたことのないような幸せな感触だった。が、同時にその感触は先生のそれまでの全てを委ねられたような、酸いも甘いも混ざったような味がして高校生の俺には少しだけ怖くもあった。


 だけど、人と付き合うということはそうことなのかもしれない。


 きっと、これから俺は平たんな道を歩くことはできないと思う。先生には借金があるし、そもそも俺と先生は担任と生徒としてこれからも学校で生活していかなければならないのだ。


 だけど今だけは……今だけは、そのことを忘れて幸せな感情で胸を満たしていたかった。


 気がつくと俺もまた他の生徒と同様に眠りに落ちた。



※ ※ ※



 気がつくと最寄りの駅に到着して俺たちは寝ぼけ眼を擦りながら今度は待っていたバスに乗って移動して学校へと帰ってきた。それから学年主任が家に帰るまでが修学旅行的な定型文を口にしていたような気がするがよく覚えていない。俺は作業の残っている先生を置いて一人重い荷物を担いで自宅へと帰った。


 家に着いてからも疲れは取れず俺は床で二時間ほど雑魚寝した。が、ガチャリと扉の開く音がして俺はビクッと飛び起きる。


「ただいま……」


 先生は凄く眠そうな顔で目を擦っている。そんな先生を見て俺は心臓が口から飛び出しそうなほどに緊張していた。


 いや、こうやって家で先生を迎えることは珍しくもなんともない。だけど、今日だけはいつもと少し、いやかなり状況が違う。これまでは家主と居候という立場で接していれば良かったのだが、昨日俺は先生に告白してキスまで交わしたのだ。


 つまりこれはもはや同棲なのではないか……。


 まだ付き合っているという実感すらないのに、もう同棲とはもはやトントン拍子のレベルではない。


 ってか、俺たちは本当に付き合っているのか? とりあえず俺は気持ちを伝えて先生はキスで答えてはくれたから勝手に付き合い始めたと俺は認識したが、それでは付き合いましょうと、どっちかが言ったわけではないし、そもそも誰かと付き合ったことがない俺にとってスタートラインがよくわからない。


 そんなことを考えていると先生は重そうにリュックを背負いながら部屋に入ってくる。


 部屋に入ってきた先生は寝ぐせ姿の俺を見て何やらニヤリと笑みを浮かべる。


「近本くん、もしかして床で寝てたの? ダメだよ。ちゃんと布団でないと風邪ひいちゃうよ?」


 と、緊張で心臓バクバクの俺に全く気がついていないようで先生はいつも通りの口調で俺にそう言った。


「あ、いやそ、それは……」


「まあ疲れが溜まってたんだよね。お風呂でも入れて疲れとったら? 重い荷物を運んで汗もかいてるでしょ?」


 と、先生は柔和な笑みを浮かべると、風呂場へと向かい風呂を入れ始めた。


 なんだ先生のこの余裕な感じは……。


 俺はそんな先生を眺めながら、なんだかんだ言って先生には大人の余裕があるのだなあと感心していると先生は風呂場から戻ってくる。


「近本くん、お腹は減ってる?」


 先生は膝に手を付いて屈むと俺の顔を覗きこんで首を傾げる。


「え? あ、ああ、まあなんというか……」


 いつも通り会話をすればいいのはわかっている。だけど、今の俺にはそのいつも通りの自分が思い出せなかった。俺の家に、というか目の前に昨日告白をしてキスした相手がいるという事実に上手く言葉が発せない。それどころか目の前の美少女がこれまで一緒に同居してきた居候と同一人物だとすら今の俺には認識できなかった。


「近本くん?」


 と、そこで先生は俺の異変に気がついたようで何やら不思議そうに俺の顔を眺めていた。


 が、不意に。


「なっ……」


 と、先生は何かを突然思い出したように目を見開くと、見る見る頬を赤らめていく。


 あくまで俺の予想ではあるが、どうやら先生はたった今まで昨日俺との間に何があったのかをすっかり忘れてしまっていたようだ。


「そ、そういえば、私たちもう家主と居候の関係じゃないんだったよね……」


「そ、そうですね……」


「「…………」」


 何やら気まずい沈黙が続く。


 これはマズイ……。


「お、俺、少しお腹が減りました……」


 とりあえず、俺の方から声を発する。


「そ、そうだよね。で、でも、今日は先生もちょっと疲れてるからお茶漬けぐらいしかつくれないけど、それでもいいかな?」


 先生は顔を真っ赤にしたまま首を傾げるので俺はうんうんと頷いた。


「じゃ、じゃあちょっと待っててね……」


 先生はなにやらロボットみたいな、ぎこちない歩き方で冷蔵庫へと向かうと冷凍室から保存しておいたご飯を二つ取り出してレンジに入れた。そして次にスーパーの袋から鮭の入ったタッパーを取り出すと調理を始める。


 そんな先生の後姿を眺めながら俺は自分が次に発するべき言葉を考えていた。


 このままではよくない。こんなぎこちないやり取りを続けていたら俺は緊張で死んでしまいそうだ。何か場を和ますいい話題はないものかと思考を巡らせてみるが、何も思いつかない。


 と、そこで。


「そ、そういえばさぁ……」


 と、先生は鮭をフライパンの上に乗せながら俺に話しかける。


「な、なんですか……」


「昨日のことなんだけど……」


「…………」


 唐突に昨日の話題を口にする先生。


 なんだ、先生は何を言おうとしているのだ。


 気が気じゃない俺。が、先生はそんな俺に背を向けたまま会話を続ける。


「昨日はね、近本くんの正直な気持ちが聞けて先生凄くうれしかったよ。だ、だけどね……」


 と、そこで先生は鮭をフライパンに二枚並べてくるりとこちらを振り返る。


「だけど、私、まだ近本くんに自分の気持ちを伝えてなかったなって思って……」


 そう言って先生は相変わらず頬を真っ赤にしたまま俺を見つめていた。


「そ、そうでしたっけ?」


「そうだよ。ほら、あの時はなんというかそのキ、キ、キ、キス……をしたから何となく会話が終わっちゃったけど、私、ちゃんと自分の気持ち近本くんに伝えられていなかったから……」


 そう言うと先生は菜箸を持ったまま俺のもとへと歩み寄ってくる。そして、俺の目の前で腰を下ろすと正座した。それを見て俺も慌てて先生の前に正座する。


「な、なんだか改まって向き合うと恥ずかしいね……」


「そ、そうですね……」


 と、そこで先生は緊張を沈めるように両手で頬を覆った。そして、頬の色が少し落ち着いたところで「近本くん」と俺の名を呼ぶ。


「なんですか……」


 そう尋ねると先生は柔和な笑みを浮かべた。


「私も近本くんのこと大好きだよ」


 その顔は今まで見たどんな先生よりも愛らしくて今すぐにでも抱きしめたいぐらいだった。


 が、俺もちゃんと改めて気持ちを伝えておかないと、と先生を見つめると恥ずかしいのを我慢して自分の気持ちを口にする。


「俺も先生のことが好きです」


 俺は一応真剣な表情でそう伝えてみた。すると先生は「それは知ってる」とクスクスと可笑しそうに笑うと俺の頬をツンツンと指先で突いた。


 が、すぐに俺の頬から手を放すと先生は「でもね」と急に真面目な顔になる。


「でもね、今はまだ担任と生徒だよ。私は近本くんを立派な大人に育てて大学に送り出す義務があるの。もしかしたらそれは近本くんにとっては少し辛いことかもしれないけど、我慢しなきゃいけないことがいっぱいあるかもしれないよ? それでも私と付き合っていける?」


「それが先生にとって最良だと思うなら」


「先生だって時々は寂しくなっちゃうことだってあるよ? もしかしたら先生だって我慢できなくなって近本くんに甘えようとしちゃうことだってあるかもしれないよ?」


「それは自分でなんとかしてください」


「そ、それはそうだね……」


 と、先生は苦笑いを浮かべる。が、すぐに小指を立てた右手を俺の方へと差し出す。


「じゃあ約束ね」


「はい」


 俺と先生は指切りをした。


 それから俺たちは二人で仲良く鮭茶漬けを食べて、風呂に入って、いつものようにベッドに入った。


 ベッドに入るとき、俺は妙に先生を意識してしまい、なかなか寝付けなかったが、先生がすっと手を伸ばして俺の手を握ってくれて少し落ち着いた。


 先生の手はとても暖かかった。

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ホームレスになった先生を拾った結果、キャラメルよりも甘々な生活が待っていました あきらあかつき@5/1『悪役貴族の最強中 @moonlightakatsuki

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