第24話 修学旅行2

 かなりやばい選択をしたのはわかっているが、結果的にこの選択は正解だった。その後、先生は名古屋駅のトイレに駆け込んで十分ほどゲロ、いやお花を摘んだ。その間、俺はホームの立ち食いうどん屋で名古屋らしくきしめんを食っていたのだが、先生が戻って来たのが見えて店を出る。


 ここのきしめん超うめー。


 店を出ると少しやつれた先生がかろうじて笑みを浮かべていた。


「ご、ごめんね……迷惑かけたね……」


「まあ、強引に駅に出たのは俺ですし、お互い様です」


 ひとまずは先生が新幹線に黒歴史を刻むことだけは回避できた……のだが、


「どうしましょうか……」


「どうしようかな……」


 名古屋駅のホームで俺と先生は立ち尽くす。


「と、とりあえず、他の先生には電話で事情を説明しておいたよ」


「怒ってたでしょ……」


「そうだね。だけど、事情を説明したら何とか許してくれたよ。あとで合流するとは言ってあるから大丈夫だと思う……」


「合流……できればいいんですけどね……」


「そ、そうだね……」


 駅に降り立ったはいいが、俺たちにはなすすべがなかった。何せ団体移動の俺たちは一人一人チケットを配られているわけではないし、仮に持っていたとしても、俺たちは一度新幹線を下りてしまったのだ。きっと普通の指定席券と違って別の列車に乗って新神戸まで行くのは不正乗車になるだろう。


「先生、いくらぐらいお金持っていますか?」


 俺は青ざめた先生に尋ねる。すると先生はポケットから小銭入れを取り出すとそれをひっくり返して掌に出した。百円玉三枚と十円玉数枚と、スーパーのレシートが手のひらに落ちた。


 話にならない……。


 そして、俺はというと……。


「全部で五千円ですね……」


 これが二人の全財産だ。つまり俺たちはこのまま新神戸に向かうことも、名古屋で降りることも出来ない。


 詰んだ……。


「わ、私たち一生名古屋駅から出られないのかな……」


 先生は俺の袖を掴むと本気でそんな心配をする。


「いや、そんなことはないとは思いますけど……」


 とにもかくにもこのままではマズイ。


「先生、この辺に知り合いとかいないんですか?」


「いるわけないじゃん……」


 まあそうだよな……。俺はスマホを開いてとりあえずアドレス帳を眺めてみる。いや、さすがに名古屋の知り合いはいない。俺は顔を上げるとあたりを見渡す。


 見えるのは大手予備校の看板とねじ曲がった変なビルだけだ……ん?


「先生あれって……」


 俺はとあるビルを指さす。そのビルの最上階にはデカデカと『廣神建設』の文字が見える。


「先生」


「なあに?」


「もしかしたら弥生さんなら何とかしてくれるかもしれませんよ?」


「え? そ、そうかな……」


「とりあえずダメ元でかけてみましょう」


 俺はそう言うと弥生さんの電話番号をタップする。そして、ニ、三回コールをしたところで弥生さんが出た。


『おう、巧じゃねえか。なんだ? 私と飲みたいのか? 私ならいつでも歓迎だぞ。なんなら昨日婚活パーティで大失敗した私の話を朝まで聞いてくれたっていいんだぞ』


 そう言って弥生さんは受話器の向こうで嗚咽を漏らし始めた。そんな弥生さんを何とかなだめて俺は事情を説明する。


『なるほど……それは災難だったな。ちょっと待ってろ』


 弥生さんはそう言うと、どうやらもう一つ持っているスマホでどこかに電話を掛け始めたようだ。


『あ、お母さま。これこれこういう理由だから今すぐに名古屋駅に誰かを行かせてやって欲しいんだ。そうだ、お金は後で返すから二人に交通費を渡してやって欲しい』


 と、弥生さんは母親らしき人に事情を説明してくれているようだった。どうでもいいが、弥生さん母親のことお母さまって呼んでいるのか……。なんだか可愛いなあ……。


『ということだからお前らは今から改札の近くへ向かえ』


 なんだかよくわからないが、助かったようだった。そうそう、電話を切るときに弥生さんからこの恩はお前の身体で返してもらうと物騒なことを言われたが冗談なのか本気なのかは最後まで分からなかった。


 十分後、約束通り指定された改札へと向かうと、スーツ姿の人が俺たちを迎えてくれて、ここまでの交通費と新神戸への交通費……にしては少し多すぎる現金を俺たちに手渡して去っていった。俺たちは改札を抜けるとスーツの人に心から感謝の意を伝えてその人を見送った。


 俺たちはすぐに窓口で二人分のチケットを発券しようとしたのだが、先生の顔色は依然として悪いままだった。多分、すぐに新幹線に乗ったらまた酔ってしまいそうだ。


「どうせだから、少しここら辺を散策しましょうか……」


 そう尋ねると先生はこくりと頷いた。


 こうして俺と先生は初めて降り立った名古屋駅周辺をしばらく散策することとなった。俺が歩き出すと先生は俺の手を握るので俺はドキッとする。


「知らない街だし、はぐれちゃったら大変だよね……」


 先生はさっきまで真っ青だった顔を今度は真っ赤にして俺を見やる。


「そ、そうっすね……」


 それから俺たちは手を繋いだまま、街を歩く。こういう知らない街だと手を繋いでいても他人の目を気にしなくて済むからありがたい。先生は時々、俺の手をぎゅっと力強く握ってくる。それはここ一週間ほどの二人の心の溝を埋めるための行為に思えたから俺の強く握り返した。


 特に見るものはない。いや、探せば見どころなんていくらでもあるのだろうが、俺たちには精神的にも時間的にも、そして経済的にもゆっくりと名古屋観光をしている余裕はなかった。俺たちは広い地下街を彷徨いつつ、たまたま見つけた一軒の雑貨屋に入る。


「わぁ~可愛いなあ……」


 店に入りしばらく商品を眺めていた先生だったが不意に目を輝かせると、何かを手に取った。


 それはペンダントだった。


「近本くん見て、このペンダント可愛いよ……」


 それは小さな猫のシルエットの飾りがついたペンダントだった。俺にはこの手の良し悪しはよくわからないが先生はとても気に入ったようで目をキラキラさせながらペンダントを眺めていた。


 先生がペンダントを眺めていると店員のおねえさんが俺たちのもとへと寄ってくる。


「このペンダントはエスカ地下街店限定の商品なんですよ。今は商品入れ替えの時期なので値札さらに半額でお買い得ですよ」


 と、おねえさんがセールスをしてくる。俺はさりげなく値札を見やる。なるほど2000円ってことは今は1000円か……。


 先生はしばらく羨ましそうにペンダントを眺めていたが、不意にペンダントを元の場所に戻すと俺の顔を見上げる。


「そろそろ行こうか?」


「そ、そうですね……」


 俺は先生に手を引かれながら店を出ようとする。が、不意に立ち止まる。


「先生、ペンダント欲しいですか?」


 そう尋ねると先生は驚いたように目を見開く。


「え? どういうこと?」


「そんなに高い物じゃないですし、せっかくだから買ってあげますよ」


 何故だか先生が指を咥えながらペンダントを眺めているのを見て、俺は無性にそれを先生にプレゼントしたくなった。が、先生は慌てて首を振る。


「そ、そんなのダメだよ。せっかくの修学旅行なんだよ。もっと有意義にお金を使わないと」


「俺、先生が喜んでいる顔見るの好きですし」


「だ、ダメだよ。ただでさえ迷惑かけっぱなしなのに、これ以上迷惑かけられないよ……」


 先生は両手に胸を当てると伏し目がちになる。


「別にいいじゃないですか、迷惑かけたって……」


 俺は気がつくとそう呟いていた。


 そんな俺に先生は「え?」と顔を上げる。


「先生、いつか言ってくれましたよね。人間ってのは自分のためにならなくても他人のために何かをしてあげたいって思うって……」


 俺はじっと先生を見つめる。そんな俺の表情に先生は少し驚いたように見つめ返す。


「別に俺は迷惑でも何でもないんです。そりゃ、先生と一緒に暮らすようになって将来のことがよくわからなくなりましたし、使えるお金だって結構減りました。だけど、俺はそれでも先生のためにできることは何でもしてあげたいと思いますし、迷惑だなんて思っていません」


 俺は先生のことを迷惑だなんて思ったことはない。それが楽しいから続けているだけなのだ。先生は何かにつけて迷惑を掛けていると言うが、迷惑を掛けたからなんだっていうのだ。と、俺は思う。俺はその迷惑を含めて先生との生活が楽しいと思っているのだ。


 先生は少しあっけにとられたように俺を見つめていた。


 俺は俺で今更ながらなんでいきなりこんなことを口にしてしまったのかわからなかった。だけど、きっとこの一週間もやもやしていたことがつい言葉になって出たのだと思う。


 俺は迷惑を我慢しているのではないのだ。先生からこれからも迷惑を掛けられたいのだ。


「近本くん……」


 先生は動揺しているようだった。が、しばらくすると一歩、また一歩と俺のもとへと歩み寄ってくる。


 そして、


「近本くんっ!!」


 先生は俺の身体をぎゅっと抱きしめると、俺の胸に自分の顔を埋める。


「先生はやっぱりまだ未熟だよね。自分でも理解しているはずだったのに、本当に大切なことを理解してなかったんだよね。私だってそうだよ。私だって毎日、近本くんのお弁当作ったり夕食を作っているのだって迷惑だなんて思っていないよ。私がそうしたいからしているんだよ……」


 人に迷惑を掛けるというのは怖いことだ。誰だって人から嫌われるのは怖い。だけど、信頼したい相手には、信頼している相手だからこそ人は、ときには迷惑をかけなければならないのだ。迷惑をかけられることも信頼の証だから。お互いの気を遣っているだけでは相手との距離は縮まらない。


 先生はしばらくすると俺の胸から顔を離した。先生の涙が俺のシャツをわずかに濡らしていた。


「ご、ごめんね……」


 先生は申し訳なさそうに俺を見上げる。


「大丈夫です。先生がこうやって泣いてくれるのも、信頼してくれている証拠でしょうし」


 そう言うと先生は「からかわないでよ……」とわずかに笑みを浮かべる。


 その後、俺はペンダントを買って先生にプレゼントした。先生は新神戸駅に着くまで、ずっとそのペンダントを大切そうに握りしめていた。

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