第11話 猫と戯れるところまでは良かったのだが……

 ある初夏の蒸し暑い朝のこと。ふと目が覚めた俺は隣に先生がいないことに気がついた。


 まあいつも家を出る直前まで眠っている俺にとっては特に珍しいことでもないのだが、枕もとの目覚ましを見て、先生が家を出るには少し時間が早いことに気がついた。


 職員会議か何かか?


 少し不思議には思ったが特にそれ以上になんとも思わず、登校まで一分でも長く眠っていたかった俺は、再び瞳を閉じて眠りに就こうと思っていたのだが。


「わぁ~可愛いな。よしよし、きみはいったいどこからやって来たのかな」


 と、先生の声が玄関の向こうから聞こえてくるので、再び瞼を開く。


 何やってんだ?


 ふと、気になった俺は立ち上がって玄関へと向かう。そして相変わらずペラペラの扉を開いて俺は思わず「なっ!?」と声を上げた。


「あ、おはよう。今日はずいぶん早いんだね」


 俺の顔を見たそいつは俺を見やるとそんなことを言うが俺は驚きのあまり返事ができたない。


 ドアの前には不審者がいた。


 そいつは蒸し暑い朝だというのに膝まで丈のあるベンチコートを羽織っており、顔はサングラスにマスク、さらにはハンチング帽で完全に覆われていた。しゃがみ込んでいるそいつはイボイボのついた軍手で足元の三毛猫を撫でているのだが、明らかに猫は毛を逆なでて目の前の不審者を警戒しているようだった。が、そんなことお構いなしに不審者は背中や顎をこれでもかってくらいに撫でまわしていた。


「なにやってるんですか……」


 俺も猫同様に警戒心全開で尋ねる。まあ声から察するに先生で間違いないのだが。


「見ての通りだよ。猫触ってるんだよ。この子すごく人懐っこいよ。近本くんも一緒に触ろうよ」


「いや、そういうことを聞いているんじゃないんです……」


「え?」


 不審者は首を傾げる。


「そのストーカーか露出狂みたいな恰好は何なのかって聞いているんです」


 と、そこで不審者は「あ~そういうことか」とようやく自分の異様な格好のことを聞かれていることに気がついた。


「私、猫アレルギーなんだよね……。でも、猫触るの大好きだから、触るときはこうやって完全防備して触るんだ」


「あ、あぁ……なるほど……」


 先生の話を聞いて頭では納得した。が、そのあまりのビジュアルは頭では納得できても違和感は拭えない。しかも、よくよく見てみれば先生がかけているのはサングラスではなくて視力矯正用の小さな穴の無数に開いた開いた間抜けなメガネだった。


「この子、迷子なのかな……」


 先生は嫌がる猫を撫でながら俺に尋ねる。


 そして、俺はその猫に見覚えがあった。


「あれ? 先生知らないんですか? こいつは奥の部屋に住んでいる一人暮らしのおばさんが飼ってる猫です。時々、こうやって住民から撫でられたり、餌を貰ったりしているのを見かけませんか?」


「そうなの? なんだ、よかった。私、迷子の猫だったら飼い主を探してあげないとって思ってたんだ」


 と、安心しているのか不審なのかよくわからない顔で俺を見やった。


 俺は先生の横にしゃがみ込んで猫を撫でる。実は俺も先生同様に猫は好きだ。だから、こいつが家の前で鳴いているときはよくこうやって撫でている。


 猫は俺の顔を覚えていたのか、それとも隣の不審者から逃れたかったのか、先生のイボイボの手から逃れると、俺の膝に頭を擦りつけ始める。


「なっ……近本くんいいな……」


 先生は健康メガネ越しに羨望の眼差しを俺に送ってくる。残念ながら猫とは正直な生き物だ。が、これでは先生があまりにも可愛そうなので、俺は猫を抱きかかえると先生の前に突き出した。


「ほら、イボイボのついてない手の甲なら嫌がられないんじゃないですか?」


「そ、そうかな……」


 そう言って先生は猫へと手を伸ばすが、猫はそんな先生に「シャーッ!!」と明らかに威嚇するように牙を見せるので先生は「ひゃっ!!」と怯えたように手を引っ込める。


 先生が今にも泣き出しそうな悲しい表情を浮かべているのが、マスク越しでもよくわかった。


 それから俺はしばらく猫と戯れた。が、俺は不意に先生のようすが少しおかしいことに気がついた。


 初めはパシャパシャと写メを撮ったり「わ~かわいいなあ……」と羨ましそうに俺を眺めていた先生だったが、徐々に口数は減っていき、ついには黙り込んでしまう。


 不審に思った俺は猫を地面に置くと、先生を見やった。


「大丈夫ですか?」


「…………」


 返事はない。俺があれ? っと思いながら先生を眺めていたその時だった。


 しゃがみ込んでいた先生はバタンとその場に倒れた。


「ちょ、ちょっと先生。大丈夫ですかっ!!」


 俺が慌てて倒れた先生を抱き起こす。が、先生は「はぁ……はぁ……」と荒い息を繰り返すだけで返事をしない。そこで俺は先生の額から汗まみれなことに気がつき、先生がこの炎天下の中、真冬並みの厚着をしていることを思い出す。


 どうやら熱にやられたようだ。


 俺は慌てて先生を抱き上げると、部屋へと戻る。そして、先生を床に仰向けに寝かせると帽子とメガネとマスクを外す。先生は顔を真っ赤にして目を回していた。


 このままだとマズイ。俺はベンチコートのボタンを上から一つ一つ外していく。するとぐしょぐしょにブラウスを濡らして下着が丸見えの先生の身体が露わになる。そんな無駄に卑猥な格好の先生に少しドキッとしたが、すぐにハッとして冷蔵庫へと走った。冷凍庫の扉を開くとそこから凍らせておいた氷枕をとりだす。


 それを先生の額にあてがってやると、先生は「ん、んん……」といやらしい吐息を漏らす。


 しばらくその状態を続けていると、先生は不意に瞼を開いた。


「ち、近本くん、ちょっと首元が苦しいかも……」


 先生は虚ろな瞳で俺を見つめた。


 どうやらブラウスの一番上のボタンを外してくれということらしい。俺は氷枕を先生の額にのっけたままブラウスのボタンへと手を伸ばす。が、ブラウスが濡れてしまっているせいでボタンが引っかかって上手く外れない。


 どうやら角度が悪いらしい。俺はしょうがないので先生に跨るように膝を床に付くと再びボタンへと両手を伸ばした。今度はうまくいった……のだが。


「なっ……」


 先生の明らかに胸元だけ窮屈そうなブラウスの第二ボタンが上のボタンを外した勢いで弾け飛んだ。


 そんなバカな……。


 そのせいで先生の窮屈そうな胸の谷間が大きく俺の前に露出する。


 なんという卑猥な格好……。


 さすがの俺もこれには動揺を隠さずにはいられなかった。そんな俺を見て先生は恥ずかしそうに顔を背けると「ご、ごめんね……」と謝った。


 この日、俺と先生は遅刻した……。

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