第37話 哀劇

 弱みに付け込むようで気分のいいものではないが、これも刑事の宿命、と自分に言い聞かせて多村は近藤に諭した。

「俺にできることがあれば手を貸す。最善を尽くす。だから知っていることを洗いざらい話してくれ」

 自分の推理は本当に正しかったのか、事件の詳細を知りたかったが、近藤が打ち明けたのは意外な事実だった。


「実はもう1台カメラを回していたんです」


「どういうことだ?」

 勢いあまって、身を乗り出した多村の膝が近藤の膝にぶつかった。


「撮影は2台でしていたんです。僕の後ろにもう1台、固定カメラを置いていました。それには最後の場面まで全部映っています。万が一僕のがちゃんと撮れていなかった場合そっちの映像を最後の部分を切って警察に見せるつもりでした」


 たしかに、用意手套な滝沢なら保険をかけもう1台カメラを回すはずだ。


「その映像は、残っているのか」

 刑事は唾を飲み込んだ。残っていたら、まさに動かぬ証拠。のどから手が出る程欲しかった“物証”になる。しかし滝沢が残しておくとは思えなかった。


「とっくに捨てたと思っていたんですが、事務所の引っ越しの時、ゴミ袋にDVDが捨てられているのを見つけて気になってこっそり取り出して再生してみたら、その映像でした」


「今どこにある?」

 多村の胸が高鳴っている。


「稽古場の僕のロッカーに入れてあります」


 ようやく光が射した。事件が一気に解決へと近づいた。


「僕の想像ですが、滝沢さんはあの現場を自分の作品と考えていたんだと思います。自分の書いたシナリオが計画通りに進むのを最後まで記録したかったんだと」


 一連の演技は一つの舞台で、殺されることを知らない会田を突き落とすのがラストシーンということか。


「滝沢さんもDVDに焼くかデータ保存するかして自分の作品としてどこかに残しているのかもしれません。あるいは事務所の移転を機にすべて処分するつもりだったのか。部外者に見られたら面倒なことになりますから。僕がDVDを拾ったことは知らないと思います。DVDには『哀劇』というタイトルがつけられていました」

 近藤は膝に指で漢字をなぞった。


 『哀劇』か。『別れの哀殺』と会田をかけたものだろうが、内容を考えればうってつけだ。


「それを見てもらえれば、僕は何もしていない、ただカメラを回していただけと分かってもらえます。本当なんです。助けて下さい」

 お願いします、お願いしますと近藤は命乞いをする様に何度も頭を下げた。


「出来る限りの手は尽くす」

 そう言うしかなかった。


 近藤は思い出したようにポケットからスマートフォンを出して時間を確認した。その光がまぶしくて、いつの間にか外が暗くなり始めているのに気がついた。


 自供を取るのが目的だったから逮捕状などとっていないし、とれる段階でもない。緊急逮捕の必要性も認められなかった。

 5時に中野なら、そろそろ出なければ間に合わない。近藤をどうするか。逃亡の恐れもなく、このまま帰しても構わないが証拠を隠滅されるのが気がかりだった。様子がおかしいのに気付いた滝沢に問い詰められ、顛末を明かしてDVDを処分させられる。近藤自ら処分する可能性も否定はできない。冷静になって、これさえ処分すれば。そう考えるかもしれない。今から一緒に稽古場へ行ってDVDを受け取るか。考えを巡らせている多村に近藤が明かした。


「稽古場の鍵はポストに隠してあります」


 複数の人間が出入りする部屋は、場所を決めて合鍵を隠しておくことが多い。大金を保管している部屋でない限り、鍵の隠し場所に郵便受けが選ばれるのは常套といってよかった。


 その事実を明かした意味を汲み、多村は大きく頷いた。


「僕はどうすればいいでしょうか?」

 大学生は心もとない視線を刑事に向けていた。


「今はボランティアに行く気になれないだろう?」

 

「ですが僕が道具を持って行かないといけないんです」

 近藤は足元に置いたスポーツバッグに視線を落とした。


 荷物運びは一番下っ端の仕事か。施設では、子供たちがクリスマスパーティーを楽しみに待っているのだろう。

「行けるのか」


「僕は道具を運ぶだけです。パーティーでも撮影をする係です」


 ボランティアでも撮影係とは皮肉なものだった。まだ近藤は劇団員たちの信頼を得ていない見習いのような立場なのか。あの現場でも重責を担っていないことがよくわかる。


「いま稽古場には?」


「みんな施設に向かっているので誰もいません」


「ロッカーは?」


「『更衣室』と書かれたドアの中にあります。『近藤』と書かれているのが僕のロッカーです」


 このまま近藤をボランティアに行かせても問題ないだろう。

「子供たちが待ってる。行ってやれ」

 多村はドアの方を顎でしゃくった。


「いいんですか?」

 驚く近藤に「急げば間に合うだろう。子供たちを楽しませてあげてくれ」多村は父親の顔をのぞかせてそう言った。

「後のことはどうにかする。君を守るため最善を尽くす」

 力を込めて、そう言い加えた。他に何か指示したところで、従える状況ではないだろう。今はなるようにしかならない。


「本当によろしくお願いします」近藤は車を下りると最後にもう一度深々と頭を下げ、スポーツバッグを抱えて、その場を後にした。


 多村は近藤が駅に向かって歩いて行くのを見届けると、すぐに車を発進させた。カーナビの履歴は1番上が今日ここにくるまでのルート。多村は2番目にある逢友社の稽古場がある「マンションサンフラワー」を選択した。


 赤信号で止まるとスマートフォンを開いた。確認したのは、時間ではなく日付。今日が火曜日である事が重要だった。

 信号が青になり、アクセルを踏み込む。冬の日暮れは早く、空は暗くなっている。間もなく逢友社のクリスマスパーティーが始まる時間だ。

 通りを彩るイルミネーションを横目に、多村はクリスマスソングを口ずさんだ。娘と一緒に歌った『サンタが街にやってくる』。逢友社の団員も子供たちと一緒に歌うのかもしれない。

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