第34話 標的

 稽古場の移転を知ってから、多村は焦燥に駆られていた。ぼやぼやしていたら取り返しのつかないことになる。いても立ってもいられず、翌日さっそく飛鳥大学へ向かった。


 12月も半ばを過ぎ、すでに冬休みかと懸念したが、まだ学生の姿が見られた。いずれにせよもうすぐ休みに入るだろうから、のんびりしている暇はない。


 幸い飛鳥大学はワンキャンパスで、近藤武史が通学しているのなら、このキャンパスのほかはない。3つある門のうち正門が最寄り駅から1番近い。とはいえ駅からは距離があり、多村は駅と正門の間にパーキングメーターを見つけてクルマを停めた。外は晴れていて、通行する学生たちの姿がはっきりと確認できた。


 朝の9時を回ったところで、大学へ向かって学生が流れていくが、時期柄かあまり多くはなかった。多村もクルマを降りて道なりに歩いてみた。大学の周辺は普通の住宅街で、路上での騒音とゴミのポイ捨てを禁止する学生に向けた警告看板が並んでいた。


 正門から最寄り駅まで歩いて8分ほどかかった。多村は顔が確認できるよう、正門から駅に向かって歩いたが近藤を見つけることは出来なかった。


 近藤武史は身長が180cm前後、華奢で体重は65㎏程度か。メガネをかけてはいるものの印象に残る顔立ちではないが、多村の記憶には焼き付いていて見落とすことはないし、180㎝の身長はそう多くない。張り込みは楽ではないが、今日の相手は逃亡の恐れはなく普段ほどの緊張はない。


 昨夜見かけたが向こうは気づいていない様子だったから警戒していないだろう。以前に稽古場を訪ねた時に顔を合わせて言葉を交わしたが、顔を覚えられているか。飛鳥大学は中堅よりやや下の大学で、近藤も賢そうには見えず、記憶力がいいようには思えなかった。


 別の門を使っているかもしれない。今日は登校しないかもしれない。あのスウェットはもらいもので実際はこの大学に在籍していないかもしれない。そういう人間を探すのは、捨てたかもしれない書類を探すのに似ていて、見つからないことを頭に入れる必要がある。しかし多村には予感があった。膨張した雫が落ちるのを待つようなこの予感はかなりの確率で的中した。


 車窓から通り過ぎる学生たちをひたすら眺めていたが、友だち連れだったり、イヤホンで音楽を聴いていたりと周囲に気を配る人は少なく、不審な眼差しを向けられることはなかった。いくらか見かけた『ASUKA UNIV.』とプリントされたスウェットも運動部と思われる学生の集団が多く、一目で別人と分かった。


 昼を過ぎると大学へ向かう人は減り、駅方向への流れが多くなった。冬の日没は早く、日が暮れ始めれば人の見分けが困難になる。


 不意に窓の外をかけていく姿が見えた。学生風の男が駅の方向に猛然と走って行く。多村はとっさにクルマを降り、後を追おうとしたが「待てよ」と後ろから別の学生が追いかけ、離れたところで捕まえた。笑いながらヘッドロックを掛けている。友達同士でふざけ合っていただけのようだ。


 多村はクルマに寄りかかってため息を吐き、自販機で缶コーヒーを買って車内に戻った。


 張り込みを再開して15分ほど経過した頃だった。見覚えのある男を見つけた。駅の方に歩いて行く。コートにマフラーの私服姿は見慣れないが、あのメガネと身長は間違いない。肩に下げたスポーツバッグの中身は稽古着だろうか。連れはなく、音楽を聴くでもなく、ただ前を向いて一人で歩いている。キャリアが浅いせいか、俳優には見えなかった。


 多村の体温が上がった。

 やっと現れた近藤に、急ぎながらも冷静さを心がけて多村は車を降りた。ドアを閉める音が響いたが、近藤は振り向かない。

 ここで逃がせば次からは警戒されてしまだろう。多村は気を引き締めた。


「近藤さん」


 背後から声を掛けると近藤は立ち止まった。そしてゆっくり振り向いた。真顔のまま、まず多村の顔を見て、それから全身を一瞥した。


「逢友社の近藤武史さんですよね?」

 確認するように尋ねた。


「そうですけど」

 表情を変えずに答えた。劇団員に似合わないぼそぼそとした小さな声は、周りを気にしているからか、まだ新人で発声が出来ていないせいか。


「私のことはお忘れですか?」

 多村の問いに、首をかしげた。覚えていないと言いたげだが、真意なのか演技なのか計りかねた。


「警察の者です。以前に一度稽古場に伺いました」

 警察手帳を見せると、ああ、と近藤は思い出したように頷いた。

「何かご用ですか」

 またぼそぼそと小さな声で言った。


「心当たりはありませんか」

 あえて意味ありげに言ったのは感情を煽ろうとしたからだが、近藤はそれに乗らずに首をひねった。

「用がないんなら行きますけど」


「会田さんのことで話を聞きたいんですよ」


「特にお話しするようなことはありませんけど」

 会田という名前にどう反応するか注視したが表情を変えなかった。それが逆に不自然に思えた。自殺した主宰者について訊きたいといえば何らかのリアクションを見せるのが普通だ。無反応なのはこういう事態に備えていたからではないか。


「それでは私の話を聞いていただけませんか」


「急いでいるんでもういいですか」

 近藤は苛立った顔を見せ、多村を置いて歩き出そうとした。


「待ってくださいよ」

 多村は近藤の腕を掴んだ。力を込めたのには脅かす意味も含まれている。一歩間違えば違法だがリスクは覚悟の上。案の定、一瞬怯えた顔をしたのを見逃さなかった。

「少しでいいんでお願いしますよ」

 穏やかな顔から一転、多村は真剣な顔で近藤の目を見た。これも威嚇のため。アメとムチのムチの方だ。


 近藤は目を逸らし、ため息をついた。二人の横を、学生たちが好奇の目を向けながら通り過ぎて行く。


「ここだと人目があるのでクルマに行きませんか」

 多村は手のひらでその方を指した。近藤は仕方ないといった表情で多村の後をついてクルマに乗った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る