第26話 シナリオ

 多村には、まるであの映像に付いた小さな染みのように、心の隅に引っ掛かっていた場面があった。


 滝沢と西野が演出に関しての口論から掴み合いに発展した。険悪な雰囲気に、会田が立ち上がった。目の前の喧嘩を止めるためだったはずだが、止めるのをやめ、苦笑を浮かべてそのまま腰を下ろした。直後に古山博美が間に入って喧嘩は収まった。


 なぜ会田は仲裁せずに引き下がったのか。引っ掛かってはいたものの他の場面に埋もれ、そこに焦点を合わせることはしなかった。


 しかしいまその理由が分かった。喧嘩が演技だと気付いたからだ。だから止めるのをやめたのだ。


 なぜ気付いたのか。


『お前は台本がないと何もできないのか』


 西野のこのセリフの後、会田は劇団員を見回し、バツが悪そうに頭をかいて椅子に座っている。


 逢友社でもエチュードは行われていただろう。そこでは主宰者・会田のダメ出しがあったのではないか。『お前は台本がないと何もできないのか』とは、いかにも会田が言いそうに思える。

 耳に馴染んだこのセリフで喧嘩が演技であることを会田に暗に伝えた。このセリフは逢友社の団員にだけ通じる暗号のような意味を持っていた。そう考えると腑に落ちる。


 今しがた目にしたエチュードがあの日の稽古場でも繰り広げられていた。そういう視点で見るとあの映像がまた違った色を帯びてきた。


 そしてストーカーの話だ。唐突にストーカーの話をしたのはなぜか。これは会田を巻き込むための入り口だろう。


 会田は付き合いの悪い男だ。稽古の最中にエチュードを始めても加わらないだろう。腹を立てるかもしれない。しかし会田は喧嘩を真に受けてしまった。苦笑いからも、気恥ずかしさを抱いたのが分かる。それで怒ることができず、振られるままにストーカーの話に乗った。さらに『今度見かけたら、チケット買ってもらうよ』というアドリブが受け、一層乗り気になった。それを狙った付き合い笑いもあったのだろう。


 次にピンハネの話だ。

 最初古山博美が話を振ったが、会田はこれを否定した。この時は乗らなかった。実際ピンハネをしていないからだろうが、その後滝沢の振りで話に乗っている。


 ここも巧妙に仕組まれている。

 エチュードのルールは『イエス・アンド』、相手の話を否定しない。しかしピンハネなど簡単に認めるものではなく、あっさり認めてしまうと逆に不自然になる。

 そこでまず古山が話を振った。『ひいらぎ』の舞台に出演したことを皮肉交じりに批判され苛立っていた会田は古山の話を否定した。その後滝沢に振られて仕方なく認めた。これでピンハネにリアリティが生まれる。


 そしてセクハラだ。

 国村に話を振られた会田は思わず吹き出していた。己の悪事を暴露されたことに対して苦笑した、そうとらえていたが、そうではなかった。荒唐無稽な話に思わず笑ってしまったのだ。

 そこから仕切り直して演技に付き合った。国村の演技力を分かっていたからこそ、会田もそれに応える真剣な演技をした。結果、それまで以上に迫真の芝居になった。

 劇団の主宰者が若手女優の身体と引き換えに役を与えた。それも主演であれば言い訳の余地はなく、劇団員から非難を浴びる。


 直後に柳田のことを持ち出して感情的にさせた。会田は台本を床に叩きつけたが演技ではなく、素だろう。実際に会田の前では柳田優治はタブーになっている。本気で怒らせることで、更なるリアリティが生まれた。


 そして飛び降りへとつながった。


 ここまで考えて多村は愕然とした。


 虚実が混ざり合ったあまりにも見事なシナリオだった。劇団員はそれに演技で応え、会田を巻き込み、自殺に偽装して殺した。

 どこまでが計算でどこまでが偶然なのだろう。滝沢はこれらを全て計算に入れてシナリオを書いたというのか。

 もしも全てが創り上げられたものだとしたら恐ろしい男だ。多村の背中に冷たいもの流れた。


 そしてまだ大きな謎が残されていた。


 会田はなぜ飛び降りる演技をしたのか。

 映像の中に、飛び降りの話はどこにも出てこない。飛び降りが自分の意志ではなかったと立証できなければ、殺人であることを証明することは出来ない。これまでの推理は何の役にも立たない。


 滝沢はどうやって会田に「死の演技」をさせたのだろうか。

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