第21話 台本

 多村はまた劇場に足を運んでいた。ここも定員100人ほどの小劇場で、長椅子の座席に、隣の観客と肩を寄せ合うようにして座って舞台を眺めていた。


 今日の劇団は若い役者ばかりでほとんどが男だった。舞台狭しと駆け回り、汗が客席まで飛んでくるドタバタ劇で、内容は分かりやすいが面白いとは思えなかった。それでも客席では所々で笑いが起きていた。


 彼らは会田の死を知っているのだろうか。同じ演劇人が稽古場から飛び降りたショッキングな自殺は、耳にはしているだろう。しかし知ったところで所詮は対岸の火事、彼らの舞台に影響を及ぼすはずがなかった。


 終演後はやはり出演者たちが客席に降りて観客と談笑していた。記念撮影にも気軽に応じている。20代と思しき若者たちのびっしょりと汗をかいた顔には充実感が浮かんでいた。多村がとっくに失くしてしまった若さが劇場の中に充満していた。


 彼らはこれからどのような未来を辿るのだろう。この中から柳田優治のように、映画の主演に上りつめる役者は現れるのだろうか。彼らにとって演劇は青春の1ページにすぎないのか、今後もこの道を歩み続けていくのだろうか。


 多村は劇場を後にし、喫茶店に入った。劇場の側にあったチェーン店のコーヒーは多村の好みではなかったがのどが渇いていたし、一息吐きたくもあった。

 ブレンドコーヒーを買い、ミルクを入れると、琥珀色と白が混じ合った。


 演劇に触れる事で会田の事件について何かヒントが見付かるかもしれない。そんな淡い期待は叶わなかった。相変わらず大きな疑問が残ったままだ。


 滝沢たちが芝居をしていたのは、会田の死を自殺に偽装するためだ。間違いない。あれは自殺などではない。映像の不可解な録画と停止。訪ねた稽古場の空気。『復讐するは我になし』での国村里沙の演技、滝沢の評価。そして『別れの哀殺』の再演。それらが全てを物語っている。

 しかしそれだけでは何も証明できない。


 なぜ、会田は死へとつながっている芝居をしたのか。滝沢たちはどのようにして会田に飛び降りる芝居をさせたのか。


―どうやって会田を殺したのか―


 すでに自殺と認定されている会田の死を、殺人事件として捜査を始めるにはそれを明らかにする必要があった。


 何らかの方法で会田に伝えたという線は考えられなくはない。例えば『ひいらぎ』の舞台からの帰りに台本を渡す。逢友社の団員でなくても、会田に接触することができれば誰でもいい。

 あるいはスマートフォンで伝える。メールやメッセージであれば時間も場所も制約は少なく、簡単に内容を伝えることができる。


 手段はどうであれ、内容を伝えればいいのだが、果たしてこれで目論見通り、会田が芝居に付き合うだろうか。


 元々後輩との付き合いは悪い男だ。大事な公演を控えていて、おまけに客演帰りで疲れている。そこへ何らかの方法で依頼したところで、倉本が言っていたように腹を立てこそすれ、付き合うことはないだろう。


 しかし会田は芝居に付き合った。存在しないストーカーやピンハネやセクハラを認め、最後は飛び降りまでも。


 会田は、滝沢たちが演技をしていることなど知らず、稽古場に入ってから演技に加わった、と考えるのが妥当だ。「巻き込まれた」と言う方が適当か。


 何か隠された方法があり、それを思いついたからこそ滝沢は実行したに違いない。


 多村は空になったカップをカウンターに返して店を出た。見上げた空を丸い月が照らしていた。


 逢友社はいま何をしているのだろう。


 多村が稽古場を訪ねて以降、警察は接触していない。完全犯罪を成し遂げたと安心して『別れの哀殺』に向けた準備を始めているのかもしれなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る