第20話 舞台裏

 多村は滝沢淳という人間について知ろうとした。


 かつては破竹の勢いだった劇団も今は低迷し、所属俳優の情報は簡単に手に入らない。ネット検索しても逢友社に関することといえば柳田優治と、あとは会田の自殺に関するニュース程度。滝沢のことを知るために出来る事は何か。多村は千代田区神田の神保町を訪れていた。

 今や全国的に知られる古書店街で、最近はカレーの街としても知られるこの地に多村は普段から度々足を運ぶ。


 せわしない秋葉原を出て、スポーツ用品店が並ぶ靖国通り沿いを通り抜けると古書店街に出る。人が多くても落ち着きが感じられ、用がなくてもぶらぶら歩くだけで気分転換になった。


 今日は散歩ではなく、古書店を1軒1軒見て回った。店の中まで入る必要はなく、表の看板を見れば何を専門としているか分かる。『文学』『歴史』『美術』『哲学』等々。


 多村は『演劇』の文字を見つけて足を踏み入れた。映画を中心に舞台やミュージカルに関するものも扱っている店だった。

 この界隈の店の多くがそうであるように、ここも所狭しと本が並べられていて横歩きしなければ奥へ進めない。何らかの規則はあるようだが、背伸びしても届かない棚にまで本が並んでいて圧迫感を覚える。


 店内には書籍、雑誌にとどまらず、パンフレットやチラシも置かれていた。映画のものがほとんどだが、少ないながらも演劇のものもあって、多村はちょうど目の高さの棚にあった『舞台のチラシ』と表記されたファイルを手に取った。先日の劇場でも配っていたような舞台公演のチラシがファイリングされ、1枚200円の値が付けられていた。


 なぜだかファイルを1枚めくる度に、一歩ずつマニアの世界へ足を進めている気にさせられた。元々舞台のチラシは数が少なく、逢友社のものは見当たらなかった。『舞台のパンフレット』と書かれたファイルも見たが、結果は同じだった。


 ファイルを戻し、雑誌の棚を物色していた多村の目に『柳田優治』の文字が飛び込んできた。背表紙に『別れの哀殺 リバイバル上演決定!柳田優治ロングインタビュー』とタイトルが打たれているのは『バックステージ』という演劇専門誌だった。


 棚から取り出したそれは5年前のもので、逢友社のメンバーが表紙を飾っていた。中央の脚の長い椅子に柳田が脚を組んで座っている。その左にいるのが会田。柳田の後ろが小林美恵子で、右にいるのが滝沢。ひし形状に4人が並んでいる格好だ。


 ビニールの袋に入っていて立ち読みは出来ず、多村は780円で購入し、向かいの喫茶店に入った。コーヒーを買って座席に着き、さっそく袋を開けた。演劇専門誌を見るのは初めてで、もの珍しさにペラペラめくると、やたらと舞台の広告が目に付いた。


 この号は逢友社特集で、目次を見ても大部分を『別れの哀殺』に関する記事が占めている。映画化もされたこの舞台の注目度がうかがえる。


 冒頭で再演についての紹介があった。5年前の初演から再演を経て東京演劇大賞を受賞。映画化され、ファンの声に押されてこの度のリバイバル上演に至ったと説明がなされていた。

 その次が柳田のインタビュー。ロングと言うだけあって、5ページに渡っていた。

 取材が柳田に集中したことに会田が嫉妬した、それが柳田の自殺につながった、と小林美恵子が話していた。この雑誌もその一つかもしれない。


 柳田はこの舞台にかける想いを、思い出を交えて語っていた。脚本の執筆中のことから初演時のこと、映画化そして再演にいたるエピソードまで。

 小林によると、柳田はこの頃すでに心身に不調をきたしていたはずだが、そんな事は感じさせず、表情には渋みも出ていて、改めてイイ男だと思わされた。


 インタビューは多村の頭の中で、映画版で耳にした柳田の声で再生された。小林が語っていた稽古中の会田とのキャッチボールの話も感慨深げに語られていて、読むうちに胸が熱くなった。男臭い顔の中に優しさが滲み出ていて、多くの人を惹き付けたのがこの記事からもわかるようだった。

 この時柳田は38歳、今の多村と同年代だが、自分がずいぶんと劣っている気にさせられた。

 これから始まる稽古が楽しみだ、と話してインタビューは締め括られた。柳田はこの時はまだ、待ち受ける運命を知る由もなかっただろう。

 


 次の記事は、滝沢淳のインタビューだった。会田や小林を差し置いて、大きな写真入りの見開きで掲載されていた。逢友社の次代を担う注目株と紹介されている。表紙に載っているのも期待の表れだろう。


 滝沢が演じるのは、主役の二人の後輩で、険悪になると間を取り持ち、暴走しそうな時はブレーキを掛ける、二人のバランスを取る重要な役どころで、映画で演じた俳優の竹井慶介はいくつかの助演男優賞を受賞した。


 公演に関することだけでなく、滝沢個人の事も語られていて興味深いものだ。多村はコーヒーを口に含んでから目を落とした。


―まず演劇を始めたきっかけを教えてください。

「もともとは作家を目指していました。ミステリー小説を書いていたんですが、取材を兼ねて舞台を観たんです。それがたまたま逢友社で、その時に観た柳田さんの演技に感動して。全く知らない世界でしたが、表現にはこういう方法もあると知って作家の道を辞め、逢友社に入団しました」


―それまで芝居の経験はなかったわけですね?

「学芸会でやったぐらいです(笑)演劇に興味はありませんでしたから、入る前は、腹式呼吸もできないずぶの素人でした」


―実際に劇団に入ってどうでした?

「まず稽古がハードなのに驚きました。劇団の稽古に筋トレがあるとは知らなかったので、初めはついていくのが大変でした。ですが舞台だと2時間以上動きっ放しのこともあるので体力が必要だと後から痛感しました」


―逢友社の印象は?

「僕が入ったころは全くの無名でした。入団希望者も少なくて、それで僕みたいな素人でも入れたんですけど。ただ、この劇団は将来必ず飛躍するという予感はありました。柳田さんからはスケールの大きさというかオーラを感じましたから」


―飛躍のきっかけになったのが今度再演される『別れの哀殺』ですが、滝沢さんにとってどういう作品ですか?

「初演の時はまだ入って2年目で、裏方として参加しただけで、出番はありませんでしたが、初日のことを今でもはっきり覚えています。本番中は裏も慌ただしくて舞台を見る暇なんてなかったんですが、凄く熱かったんです。舞台も客席も。熱を感じました。そして終演後の鳴りやまない拍手。自然と涙が溢れてきました。いつかこの舞台に自分も立ちたいと強く思いました」


―それが今回叶ったわけですね。

「夢にまで見た舞台ですから再演が決まった時は飛び上がりました(笑)前回この役を演じた方はすでに退団されているので、もしかしたらと言うのはあったんですが、僕に決まった時は飛び回りました(笑)少しでも舞台に貢献できるように必死で全力で挑みます」


―柳田さんに話を伺ったら「この次上演する時は、自分の役は滝沢にやってもらいたい」と仰っていました。

「本当ですか。物凄くうれしいです。畏れ多いいですが、そうなれるように頑張ります」


―最後に意気込みを聞かせて下さい。

「『別れの哀殺』に出演できること自体光栄ではありますが、自分にとっては大きなチャンスでもあります。大勢の方が観に来てくれると思うので少しでも自分をアピールして、一人でも多くの人に滝沢淳という名前を覚えてもらいたいです」



 『別れの哀殺』への想い、今回の舞台にかける決意が語られ、写真の晴れ晴れとした表情からも期待感が伝わってくる。滝沢は舞台俳優として飛躍するチャンスと捉えていたのがよく分かる。


 しかしこの舞台は上演されなかった。柳田の死によって中止となった。


 スポンサーがついた規模の大きな舞台だった。この手の公演は万が一に備えて保険に加入していると聞く。中止になっても逢友社は大きな損害を免れたかもしれない。

 しかしそれはあくまでも金銭面でのことで、逢友社は柳田優治というかけがえのない俳優を失った。小林美恵子も劇団を去った。


 これを機に、逢友社は人気劇団から転落した。


 次代の担い手と期待され、目の前にあったはずの成功が手のひらから零れ落ちた。憧れの存在、夢の舞台、大きなチャンス。すべてを一度に失った滝沢の心中はどのようなものだったか。


 会田は、柳田に執拗にあたった。そして柳田は自ら命を絶った。滝沢はそれを目の当たりにしただろう。

 会田はすべてを奪った人間。憎しみを抱いたのは想像に難くない。西野や古山も同じ感情を抱いたはずだ。


 それならばなぜ逢友社を辞めなかったのか。小林美恵子によると、柳田の遺志を継ぐため、そしていつか『別れの哀殺』を上演するため。

 滝沢は、次に上演する時は自分の役を、と柳田の期待を受けていた。それがどれほど嬉しいものだったか。実現をずっと胸に秘めて生きてきたに違いないが、それを阻み続けていたのが会田安宏だった。


 会田さえいなければ。


 いつしかそう思うようになり、結成20周年を前に実行に移したのではないか。


 もう一つ興味深いのは、滝沢がかつてミステリー作家を目指していた事実だ。その取材のために、舞台を観賞している。であれば当然劇団や演劇にまつわるミステリー小説を書こうとしていたことになる。劇団内で起こる殺人事件、そういった内容であることが想像できる。滝沢が書こうとしていた小説が一連の計画のヒントになったのではないだろうか。

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