第5話 来客

 その日の夜、多村は逢友社の稽古場へ向かった。

 本郷東警察署の最寄駅から15分ほど電車に揺られた。管轄区域ではあったが電車で行くには乗り換えが必要だった。階段を昇って地下鉄の駅を出ると冷たい風が吹きつけ、クリーニングから返って来てビニールのかかったままクローゼットに仕舞ってあるベージュのトレンチコートが頭に浮かんだ。そろそろコートが必要な季節。吐く息はまだ白くはないが、両手をズボンのポケットに入れて道なりに歩いた。横を走る幹線道路の交通量は多くない。人通りも少なかった。


 所在地は頭に入れてある。仕事柄多村は地図を覚えるのが得意で、ドライブでも極力カーナビには頼らない。それでも道に迷うことは滅多になかった。

 目印の喫茶店を右折し路地へ入った多村は歩く先に花が供えてあるのに気付いて、ポケットから手を出した。街灯の明かりで、そこだけ白く浮かび上がって見え、一人の人間が命を落とした場所だと否が応にも意識させられる。供花の前まで来ると多村は静かに手を合わせた。


 背中にあるのが、逢友社の稽古場が入ったビルだ。マンションなら自殺者がでれば大事だが、オフィスビルはどうだろう。よそへ移転する会社も出てくるのかもしれないが、実際のところは分からない。


 多村は事故があった夜の8時過ぎを狙って来た。稽古中の事故ゆえ、同じ時間なら劇団員の在室が期待できる。会田の死からまだ日が浅く、無駄足になるのも覚悟していたが、ほとんどの窓の明かりが消えている中、最上階7階には明かりが灯っていた。事前連絡をしていないのは、その方が余計な警戒をされずに本音が聞けるという目算からだ。


 幸いオートロックではなく、ガラスのドアを開けて中に入った。ドアの隙間から風が吹き込み、中も外と変わらないぐらい肌寒く、電灯も薄暗かった。築年数も経過しているようだが都内のビルの最上階だから家賃はそれなりのはず。劇団の経営状況は悪くないのだろうか。映像ではチケットの売れ行きは芳しくないと話していたが。桜井の話ではビルのオーナーが柳田のファンとのことで、今も何らかの配慮を受けているのかもしれない。


 案内板を見ると、1つの階にはフロアが1つだけで、入っているのも聞き慣れない会社ばかり。1階にも会社があるが、今は人がいる気配はない。

 7階に『劇団逢友社』と書かれているのを確認し、多村は案内板のすぐ横にあるエレベーターに乗った。


 ゆるやかに上昇したエレベーターを降りると、目の前がドアだった。シルバーのプレートに黒い文字で『劇団逢友社』と刻印された表札が掲げられている。ドアの前に立って聞き耳を立ててみたが、物音は聴こえない。明かりついているから人はいるはず。防音が施されているのか、もしくはエレベーターの到着音が聴こえて警戒しているのかもしれない。


 多村はインターホンを押すと、チャイムが響いた。

 ゆっくりとドアが開いた。開けたのは近藤武史だった。映像には映っていないが、葬儀で確認している。現役の大学生だけあってジャージ姿の方が馴染んでいた。


 ドアの先はすぐ稽古場になっていた。来客は珍しいのか、場にいる全員が立ち尽くして玄関を凝視している。舞台側にいるのが西野佑樹と古山博美と国村里沙、その向かいにある中央の椅子の前に滝沢淳が立っていた。


 目の前に広がっているのは映像で見たのと同じ光景だったが、稽古を再開しているとは意外だった。会田が死去して間がないのに、予定通り公演を行うつもりなのか。


「どちら様ですか?」

 近藤の目が全身を一瞥した。団員たちも何者か見定めようと押し黙っている。悪目立ちしないよう葬儀には黒のスーツを着て行ったから、顔は覚えられていないようだ。


「本郷東警察署のものです」

 多村が告げると、場が緊張を帯びたのが分かった。近藤はとっさに稽古場を振り返った。

 滝沢がつかつかと歩いて来て近藤の隣に立った。稽古場に向いた多村の視界が遮られた。

「会田さんの件ですか」

 冷静な口調の中にもとげが感じられ、警戒しているのが分かる。事前連絡もなく警察が来るのは予想していなかったようだ。

「用件は何ですか?」

 滝沢は答えを急かすように矢継ぎ早に問うた。


「その後何か変わったことはありませんか?ああいった事故ですから、警察としてもそれっきりというわけには行きません。事後の状況を把握しておく必要があるんですよ」

 多村はもっともらしい、間に合わせの言い訳をした。


「特にご報告することはありませんが」

 滝沢はそっけなく返答した。警察の手を煩わせたのだからもう少し丁寧な対応をしてくれてもよさそうなものだが。多村は表情には出さなかった。


「今は何をされているんですか」


「公演に向けての稽古です」


「予定通り、公演を行うんですか?」


「会田安宏が遺した舞台を観たいという声をたくさんいただいたので、追悼公演という形で予定通り上演することに決めました」


「追悼公演ですか」

 多村は立ちふさがる二人の端から稽古場を見た。その視線に気づいた滝沢が微かに顔を歪めた。


「会田さんも出演予定だったと聞きましたが」


「そうですけど」


「その役はどうするんですか?」


「多少台本を手直しました」


「誰がですか」


「僕です」

 滝沢は表情を変えずに答えた。


「もう出来上がったんですか」


「少し手を加える程度ですから」


「追悼公演なのに、会田さんが書いた台本に手を加えるんですか」


「稽古中なんで、そろそろいいですか」

 滝沢は質問に答えず、話を終わらせようとした。


「今日はカメラは回っていないんですね?」

 多村はもう一度稽古場に目を向けた。


「いつも回しているわけではないので。何かあればこちらから連絡します。申し訳ありませんが稽古中なので」

 滝沢は身体を押し当てるようにして多村を玄関の外へ立ち退かせ「それでは失礼します」と頭を下げてドアを閉めた。


 多村はしばらくその場に立って『劇団逢友社』と書かれた表札を眺めていた。稽古場は静まり返ったまま。人の気配を感じるのは、ドアの側で聞き耳を立て、帰るのを確認しているからかもしれない。

 多村はエレベーターに乗り、1階を押した。いま頃7階では、そっとドアを開けて本当に帰ったか確認しているに違いない。


 今の対応で、会田の死に触れられたくないのが分かった。それは悲しいから、とは異なる、秘密に触れられたくない類のもの。長年事件現場を渡り歩いてきた目はごまかせない。

 ビルを出て献花の前を通り過ぎようとしてから思い直して立ち止まり、また手を合わせた。それから明かりのついた7階を見上げた。


 追悼公演と話していたのに、稽古場に会田の遺影も供花も見当たらなかった。映像に映っていた会田のディレクターズチェアは畳んで隅に置かれ、代わって同じ場所に滝沢が座っていたのも多村は見逃さなかった。


 会田が慕われていなかったのは分かる。しかし自分たちが非難を浴びせたせいで目の前で飛び降り自殺をしたのだ。悔やみの気持ちはないのだろうか。葬儀でみせた涙はなんだったのか。

 来る前には疑心に過ぎなかったものが、確信に変わりつつあった。やはり会田の自殺には裏がある。何かを隠している。事前連絡をしなくてよかった。


「お前は台本がないと何もできないのか」


 映像の中の言葉が多村の頭に響いていた。

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