第2話 因果応報

「おはようございます」

 稽古場に現れた男に団員が一斉に頭を下げた。


 男は返事もせずに不機嫌そうに稽古場を一瞥した。170センチに届かない身長で細身、疲労の浮かぶ顔には髪の毛がいくらかだらしなくかかっていた。中央のディレクターズチェアに腰を下ろしたその男は劇団、逢友社を主宰する会田安宏あいだやすひろだ。

 追い出されるように、それまでその椅子に座ってた黒いジャージ姿の滝沢が横によけた。


「お帰りなさい。で、どうでした?あっちの舞台は」

 博美が会田に声を掛けた。


「何とかうまくいったよ。間に合わせの割には悪くない出来だった」

 会田は満足そうに言った。

「それで、こっちはどうなってるんだ?」


「演出家がいないんじゃ満足な稽古ができないって話してたところです」

 博美は大げさな笑顔に皮肉を込めた。


「俺だって気は進まなかったんだ。倉本さんの頼みだから仕方ないだろ」

 会田は椅子に座ったまま、神経質そうな一重まぶたで博美を見上げた。


「その割には楽しそうでしたけど」


「なにぃ」

 会田は細い目を一層鋭くして立ち上がった。滝沢が慌てて二人の間に割って入る。

「今は里沙が妊娠を打ち明けるシーンをやっていて。あんまり笑顔を見せない方がいいんじゃないかって話していたところです」


「こっちは帰って来たばっかりで疲れてるんだから、くだらないケチつけるじゃねえよ」

 会田は博美にそう吐き捨て、行き場のなくなった視線を台本に移して椅子に座り直した。


「こんな男の子供を身ごもっているんだから、本音は哀しいと思うんです。そうそう笑顔なんて見せられないと思うんですよね」

 滝沢は会田に言った。内容はさっきと同じだったものの、口調は里沙に対するものとは異なっていた。


「いつまで演出家気取りしてるんだよ」

 会田が答える前に、声を荒げたのは西野だ。


「なんだよ」滝沢は眉間にしわを寄せ、西野を振り返った。


「会田さんが帰ってきたんだから演出はまかせろって言ってるんだよ。お前の出る幕じゃないだろ。でしゃばりすぎなんだよ」


「お前こそ、なに偉そうに言ってんだ」

 滝沢が西野の胸を突いた。


「何すんだよ」

 西野が滝沢のジャージの肩口を掴んで応戦した。


 穏やかではない事態に、会田が真剣な表情で立ち上がり、二人の間に入ろうとした瞬間


「お前は台本がないと何もできないのか!」


 西野が滝沢に大声を浴びせた。


 それを聞いて会田は団員の顔を見回した。滝沢と目が合うと、苦笑しながら椅子に座り直した。


「まあまあ二人とも落ち着いて。ここは客演からお帰りになったばかりの演出家サマの意見を伺いましょう」

 博美の言葉で、西野は肩口をつかんでいた手を放し、二人は距離を取って会田の方を向いた。


「まぁそうだな、あんまり笑顔は見せない方がいいな」

 会田はバツが悪そうに頭をかいた。


 滝沢は「だから言ってるだろ」と西野に向けて言ってから、「それと、昨日からラストシーンについて色々と話しているんですけどね、どういう感じにすればいいんでしょうか」と会田に訊ねた。


「いきなりラストシーンの話か。ラストシーンはな」とつぶやきながら会田は台本をめくった。稽古場に静かな時間が流れる。


「そういえば例のストーカーはどうしました?」

 西野が訊いた。


 唐突な質問に、会田はえっ、と言葉を詰まらせた。


「まだいるんですか?」

 西野は顔の汗を首にかけたタオルで拭った。


 会田は西野の目を見詰めた。時間にして10秒ほど。それから「そうだな、まだ時々家の周りをうろちょろしてるよ」と呆れた顔をした。


「どんな人でしたっけ?」


「えっと、中年のおばさんだよ。小太りの」


「なんなら、うちに入れて手伝いでもさせたらどうですか」


「今度見かけたら、チケット買ってもらうよ」

 その言葉で稽古場に笑いが漏れ、会田も満足そうに笑った。


「チケットって言えば、前売りは売れてるんですか?」

 博美が割って入った。

「また自分たちでチケット売らなきゃいけなくなるかもねって話してたんですよ」

 また皮肉っぽい笑顔を作った。


「余計な心配しなくていいんだよ」

 会田は顔をしかめて博美を見上げた。


「経理はちゃんとしてるんでしょうね」

 博美が食い下がる。


「当たり前だろ。何を言ってるんだ」


「まさかとは思いますけど、チケット売上の中抜きなんてしてませんよね」

 滝沢が大きく開けた目で会田を見た。会田も視線を返し、二人は束の間見詰め合った。会田はふっと溜息を吐いて頭をかいた。

「してたらどうだっていうんだ」


 顔を見合わせる団員たち。


「俺はこの劇団の主宰なんだ。少しぐらい多く貰ったところで文句言われる筋合いはない」


「最低の主宰者ね。まるで裸の王様じゃない」 

 博美は座ったままの会田を見下ろした。


「裸でも家来より王様の方が上だ」

 得意気な会田に、博美は目を瞑って頭を振った。


「それでも俺は逢友社を愛してるんだ」

 滝沢が声を上げた。

「本当ですよ、会田さん」

 滝沢の言葉に、会田は白髪の交じる頭をかいた。


「何言ってるのよ。こんな劇団潰れた方が演劇界のためだわ。里沙ちゃんもそう思うでしょ?」

 話を振られた里沙は身体を硬直させた。それから博美と会田を交互に見詰めて俯いた。その目に光るものがあるのを博美は見逃さなかった。

「どうしたの?」

 博美が顔を覗き込むと、里沙は目に涙を溜め、両手で顔を覆った。

「何があったの?何かあったんなら話して。大丈夫、私がついてるから」博美が背中に手を添えたが、里沙は覆った顔を振るばかり。

 

 そのまましばらく時間が流れた。里沙のすすり泣く声だけが耳に届く。


 ようやく顔から手を離すと、里沙は涙で濡れた目で会田を見据えた。

「私、もう我慢できません」


 言葉の意味を理解した博美が会田を睨みつけた。

「また悪い虫が顔を出したみたいね」


「どういうことですか」

 西野の問いかけに、会田は思わずフッと吹き出した。それから頭をかき、崩した表情を真剣なものに戻してから里沙に向かった。

「お前だって、まんざらじゃなかったくせに、今更何言ってるんだ。いい役が欲しくて俺に近づいてきたんだろ」


「そんな・・・」里沙の目から涙が溢れた。


「いいかげんにしなさいよ」

 博美は震える里沙の肩を抱きかかえた。

「そういう想いにつけこんだのは、あなたでしょ」


「こういう世界にはよくある事だろう。それとも自分が相手にされないから、嫉妬してるのか」

 会田は薄ら笑いを浮かべた。


「最低ね。柳田優治は絶対こんなことしなかった」


「あいつの話は止めろ」

 会田が急に顔をひきらせた。それを見て今度は博美が口元に笑みをたたえた。

「あなたこそ柳田優治に嫉妬してたんじゃない」


「止めろって言ってるだろ。いい加減にしないと本当に怒るぞ」

 会田は台本を床に叩き付けた。


 稽古場を静寂が包んだ。


「少し熱くなりすぎましたね。冷たい風に当たって一旦冷静になりましょう」

 滝沢が窓を開けた。全開にした窓から冷たい空気が流れてきた。外には夜の空が広がっていた。

 滝沢は椅子に座ったままの会田の元に歩み寄り見降ろすように静かに語り掛けた。

「会田さん、あなたはこの劇団の主宰者なんだ。団員の手本にならないといけない。そうでしょう?ちゃんと僕たちに見せてくださいよ」


 劇団員全ての視線が会田に注がれていた。蔑むような視線だった。


「『因果応報』それが今のあなたに相応しい言葉ね」

 抑揚を欠いた博美の声が稽古場に吸い込まれていった。


 会田は思い出したように「そういうことか」とつぶやき立ち上がった。千鳥足のようなゆったりとした足つきで滝沢の横を通り過ぎ、窓を抜けてベランダへ出た。手すりから頭を出して下を覗き、団員たちを振り返った。

「分かったよ。俺が邪魔者ってわけだな。いなくなればいいんだな。だけどな、お前だって楽しんでただろ。被害者ヅラするんじゃねえよ!」

 突き出した人差し指を里沙に向けた。

「お前だって誰のおかげで飯が食えてるんだ。えぇ!」

 その指を博美に移し、何度も突き立てた。

「俺だってよ、一生懸命生きて来たんだよ。少し道を間違えたかもしれないけどな。それを悪者扱いか。分かった、分かったよ。もうお前らの相手をするのは疲れたよ」

 会田は脱力したように背中を向けてた。ベランダの手すりを掴み、エアコンの室外機に足を掛けた。

「会田さん!」

 団員たちは口々に叫びながら会田のもとへ駆け寄った。


―そこで映像が止まった―

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