記憶の堆積と付箋。

先日、パジャマに着替える時に鏡を眺めたら、ついに。。。


前屈みにならなくても、胴体の前面にうっすらとではあれ、2つのが形成されつつあるのが見えました。

もうすでに救いようがなくなっていた下っ腹に加え、胃の前も明らかに出っ張ってきてまして(滝汗)


夫のM夫くんによると——

「段が複数できてるうちは、まだいいんだよ。そのうち『大きな1段』になるからね」


うんうん、それって、私が惚れたM夫くんのポンポコリンなお腹のことだよね。


えっ。夫婦が似てくるって、そゆこと!?



——でも、うちの夫婦は、似てないところも多い。


春、あったかくなってきたころも。。。

「やっぱり私は、20〜25度くらいが好きだなぁ〜。昔の夏はよかったけど、最近は暑過ぎるから、常春の世界へ行きたいなぁ〜」

と、私がアピールしていたら、

「えっ。5〜15度が好き。。。」と、二回くらい小さい声で口を挟んできた。


というわけで、間を取って、私たちは日本に住んでればいいわけだよね。


さておき。

こんな話をしながら思い出してたのは、以前、友だちが言っていた話。

その子の知り合いに、確かシンガポールだったかな? 東南アジア在住の人がいて、季節の変化の乏しい土地に住んでると、何かの出来事を思い出す時に「いつ(何月)がわからない」らしいって話。


たとえば、日本だったら、桜が咲いてたから春ごろだったと思う……とか、半袖着てたから夏だったとか、あれは数年に一度の大雪が降った年のことだったねぇ、みたいに、季節感によって記憶が引っ張り出しやすかったり、より具体的に鮮明になったりするけど、常夏の地域ではそういうのがなくて、思い出しづらかったりする。そして、それって日本人からすると、ちょっとさびしいってことらしい。


こうしてみると、四季がハッキリしてるってことは、記憶に季節が付箋を付けてくれる、みたいな感じなのかなぁ、なんて思いました。。。


記憶の話ついでに、もう一つ思い出したのは、お久しぶりの友だちに会って話すと、「よくそんな細かいこと覚えてるよね〜」って言われることが多かった件。

私の場合、確かにそうなんだけど、代わりに大事なこと忘れてたりするからね(なにせ、自慢できるほどの「忘却力」ゆえ!)。

覚えてなくていいことが占領してる脳のメモリを、大事なことの記憶に割り当てた方がいいんじゃないか? って、一応真剣に考えたりもしたんだけど、ある時、気づいたのです。


私にそう言ってくる友だちは、ほとんどみんな子供を産み育ててる。

それって、人生の一大事じゃないですか!? 日々大変で、でも日々成長を見る喜びがあって、さらには、子供を通して実に多くの行事や出来事を経験して、人脈も増えて……私なんかと比べたら、激動の人生になるわけじゃないですか。。。


だから、過去の細かい記憶なんか、どんどん上書きされてどっか行っちゃうんじゃないんでしょうか!?


対して私は、だいたいいつも決まったことしか起こらない人生だったわけですよ。会社行って、仕事して、帰ってごはん食べてドラマ見て寝る……みたいな。

たまに上書きしてくれる出来事があったとしても、せいぜい「やらかしちゃった〜〜汗」みたいなことだけで。。。


それでも会社行ってたころは、やった仕事とかの記憶が付箋になってくれて、かろうじて「あれは○年のことだった」って思い出せたりしたけど、結婚して在宅になったらございませんで、だいたい2〜3年分の記憶が1年分の地層として堆積してる有り様なわけで。


そのうえ、最近は10年前のことも「最近」という認識になってきました。。。(つまり、10年前からそうなってるってこと!?)


記憶について考えると、自分も調トシを重ねてるんだなぁと実感する次第なのでした。。。

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