魔法少女の魔法

天野蒼空

魔法少女の魔法

街はずれにある散らかった教会。

庭の木々は好き放題に枝を伸ばし、草はぼうぼう。もう何年、いや、何十年も人が手入れをしていないかのような有様だ。

ボロボロになっているベンチ。くすんでしまった十字架。音が鳴るのかどうかも怪しいオルガン。


だれもいないそこに1人の少女が入ってきた。

少女は裾の長いワンピースの上にフードのついたマントを羽織っている。

少女はゆっくりと深呼吸をしてからフードをとった。フードの中にしまっていた長い銀色の髪がはらりと落ちる。エメラルドのような緑色の瞳が空を睨む。


「出てきて。ルイズリー」


すると、何も無かった空間から1匹の黒猫が出てきた。そのルイズリーと呼ばれたそいつはただの黒猫じゃなかった。黒猫なのに宙に浮いて、その上、人間のように2本の足で立っている。おまけに少し仕立てのいい服を着ていた。


「なんだい?ユノ」


ユノと呼ばれた少女は力なく微笑んだ。


「ここならいいかな?」


「うーん……。ここ一応教会だよ?」


「やっぱりダメかな。神様、いるのかいないのか知らないけど、私がやるのは神様がいたら叱られるようなことだもの。」


少女は小さく肩を竦めて出口へと足を向けた。


「いや。ここでやろう。こんな誰も使ってないような教会、神様なんてもういないよ。それにこの街は……。」


その言葉を少女が繋ぐ。


「神様に見捨てられた街だものね。」


少女はマントをやや乱暴に投げ捨てた。




私、なんでこんなことになったんだっけな。雨が降ったら絶対雨漏りしそうなボロボロの天井を見上げて考えた。

ルイズリーと出会ったのは丁度一年前のこと。それまではどこにでもいるような「普通」な女の子だった。この大きな大陸の西の端にある小さな国の、山に囲まれた小さな村。学校に通い、家の手伝いをして毎日を過ごす。そしていつか素敵な旦那さんの所へ行き、そこの家業を継ぐ。この村の、いや、この国の一般的な女の子の一生。そうして過ごすことが親だけではなく自分をも幸せにする近道だと知っていたのに。

なのに、故郷を連れ出されて、こんなことしている。


「魔法少女、ね。」


何度も名乗ってきた今の『職業』。未だに違和感がある。


「どうしたんだい?魔法少女、辞めたくなった?」


「辞められないでしょ、死ぬまで。」


そういう契約だから。


「まあ、そうなんだけどさ。」


ルイズリーは鼻で笑ってそう言った。


「それに辞めないよ、魔法少女。奇跡を起こすってなんだかかっこよくない?」


魔法少女は奇跡を起こすための存在。神のいないこの世界で、煌めきを与える存在。その煌めきで世界を平和に保つのが魔法少女の使命なのだ。


「始めた頃もそう言ってたね。」


そうでも言ってないと続けられないから……。口の中でそっと言う。


魔法少女は呪いだ。普通の女の子に戻れない呪いだ。私は普通に生きていたかっただけなのに。友情も恋愛もないこの生活は、退屈ではないけど少し悲しい。


「ユノ、早く済ましちゃおう。」


「そうだね。仕事は魔術人形の修理でしょ。呪術系のものだったら少し面倒だな。普通の魔術ならいいけどさ。」


呪術系の魔術なら奇跡を起こす煌めきを奪ってしまう。魔術人形にかけられたその式を解き、煌めきを消さないように術式を書き換えるのも魔法少女の仕事なのだ。


「いや、あれだけ古いものだと術式がかけられていてももう効果は薄いと思うよ。」


その言葉に頷き、腰のベルトにつけていた革製のホルスターから透明な鉱物でできた杖を取り出した。私が杖を強く握るとそれに応えるかのように杖の先がぼんやりと青白く光った。


「光れ、光れ、白い花。煌めきの中、蕾を開け。」


そう呪文を唱えて、杖で何も無い空間に円を書く。するとその円のなかから青年の人形が出てきた。


普通の魔術人形じゃない。髪の毛、肌、瞳はもちろんのこと、指の先や首筋といったところまで精巧に作られていて、人間にも見間違うほどだ。明るい茶色の髪は丁寧に整えられていて、無機質に光る深い青い瞳は、まるでサファイアのようだ。


「こんな綺麗な魔術人形は初めて見た。」


普段目にする魔術人形は、錆びた金属やら破れたの布なんかをくっつけているお粗末な造りの人形に、強烈な呪術系の魔法がかけられているものばかり。だからこんな綺麗な造りのものは初めて見た。


「まあ、そうそうこんなに精巧に作られているものはないよね。」


「これを作った人はなにを思って作ったんだか。というかなんで手放したんだろう。」


そう言って私は杖を振り、術式をそこに浮かび上がらせた。

術式をそこに浮かび上がらせることは出来ても、私にそれがどういったものなのかということがわかるほどの知識はない。魔法少女になって日が浅い訳では無いけれど、さすがにこの辺はルイズリーの仕事だ。

ルイズリーはひょいと私の頭の上に乗って、ぼんやりと光るその術式を眺めた。


「この人形、もしかして術はかけられてるけど使われてはないんじゃないかな。」


ルイズリーはそう言った。


「どういうこと?」


「そのまんまの意味だよ。これを作った人は術式をきちんとかけている。だけどその術式を使った形式がないんだ。だから煌めきを奪うことも、誰かを襲うこともしない。」


「ふーん……。使ってない術式だけど解くの?」


「魔法少女はユノでしょ。決めるのはユノだよ」


私は床に横たえてある魔術人形を見下ろした。生きているようなのに命も心もないそれ。宝石のような瞳は私のことを見つめているようだ。


「術式解いたら動かなくなっちゃうんだっけ?」


「そりゃそうだよ。魔術人形は魔法石の中にある魔力を力にして術式通りに動くもの。術式がなきゃ動けないんだよ。」


「じゃ、この術式は壊さないでおこう。」


「それでいいの?なんの術式かわからないよ。」


金色のふたつの目が光る。


「ルイズリーにはなんの術式かわからないの?」


「残念だけど、見たことがない術式だね。館に帰って調べてみたらわかるのかもしれないけど、多分これはオリジナルの術式じゃないかな?調べて完璧にわかるのかって言われると、イエスと言いきれないな。」


「ふーん。それじゃ、やっぱり壊さないでおこう。術式を使わないでこの人形、動かせる?」


「ユノの魔法ならできるよ。」


それなら、と、私は杖を高く掲げた。ひとつ大きく深呼吸してから魔力を杖に集中させる。杖の先が仄かに光る。そして、杖の先でそっと魔術人形に触れた。


青白い光が部屋いっぱいに溢れる。薄い緑色をした魔力の帯が魔術人形と私を繋ぐ。ここからが重要なんだ、と自分に言い聞かせて呪文を唱える。


「願いよ届け、白い花。繋いで、結んで、光る糸」


光が一瞬で今までの倍ほど強くなり、そして徐々に薄くなっていく。やがて元通り薄暗い部屋に戻ると魔術人形がゆっくりと立った。


「成功したみたいだね。使えるんじゃない?名前でもつけたら?」


と、ルイズリー。


「名前かぁ……。目の色、綺麗。」


「え?目の色?ああ、大抵の魔術人形の瞳には魔法石を使うからね。そこにある魔力で動くからその色がくすんできたら動きが悪くなるよ」


私はもう一度その瞳を見た。昔、故郷の山の上から見た海のような深い青。その輝きも魔法石と言われたら納得する。


「そうなんだ。魔術人形動かすなんて初めてだから知らなかったや」


「いつもは壊しているからね」


ちゃかすようにルイズリーが言う。


「壊すだなんて人聞きの悪い。悪事に使われないように『処理する』という『仕事』をしてるんだよ。この暗い街で魔術を使おうとする奴らはたんまりといるけど、実際に素人が使ったら大変なことになるし。なのに、拾った魔術人形に魔法石はめ込んだら動いちゃう。ほんと厄介なんだから」


魔法石のエネルギーが切れた魔術人形は動かないのだが、エネルギー源である魔法石を入れればまた動き出す。呪術系の魔法がかかっていなくても魔術そのものは危険なもの。悪用なんてされたりしたら大変なことになってしまうのだ。


「そうだね。だからこそほかの街から捨てられてきた魔術人形を持ってくるやつとかがいる。そいつらが使えないとわかって捨てた魔術人形がある。それを僅かでも魔力を持った人が触ったら大変なことになる」


もっともらしい顔をしていうルイズリー。


「そりゃ魔力を持ってる人に反応するからね。だけど、壊せって命令してるのは一応ルイズリーだからね。壊しているのは私の責任じゃないよ?」


「ま、まあ、そうなんだけど。だってそれは魔法少女だから、ね?それより、早く名前付けちゃいなよ」


「名前ね。……アオ。」


「え?」


私の言葉にルイズリーが首を傾げる。


「アオ。名前、アオ。今日から君はアオだよ。」


魔術人形、いや、アオは表情一つ変えずに返事をした。


「はい」


それはやや低めの落ち着いた声だった。


「アオってもしかして瞳の色から?」


「そうだよ」


「単純」


「別にいいでしょ。めんどくさい名前よりスッキリした方がいいに決まってる。ほら、シンプル、イズ、ザ、ベスト」


「たしかにそうなんだけど……」


ルイズリーはなにか言いたそうに私を見るが、そんなことは気にしない。


「ほら、あとの仕事終わらしちゃお!どれくらいあったっけな」


私は脱ぎ捨てていたマントのポケットから古い皮表紙の手帳を取り出した。この手帳、どんな魔術がかかっているのか詳しくは知らないが、私のやるべき仕事が文字列で浮かび上がってくるのだ。


「うわっ。こんなに」


「魔力たりそう?補給する?」


魔法少女の魔法の力、つまりは魔力と言うやつは、自分で生み出すのではない。使い魔から補給されたものを使うのだ。例えるなら、魔力が石炭だとしたら魔法少女が汽車。魔法少女は魔法を使い、神の代わりに奇跡を起こす。ただそれだけの存在なのだ。


「よろしく頼む」


「了解」


ルイズリーが私の頭の上に乗る。そして歌のように節をつけて呪文を唱える。

「その契は強くなる。月と太陽の下でその力、白い花となりて、散る。」

体の中が熱くなる。まるでメラメラと燃える炎が体の中にあるようだ。背中に羽が生えたみたいに、ふわっと体が軽くなる。


「どうも。そう言えばルイズリーの魔力ってどこから出てきてるのよ。これだけの魔力を私に渡してもまだ魔力があるんでしょ」


「そりゃ、使い魔ってのはそういうものだよ。植物が光合成をして、動物が心臓を動かすように、使い魔は魔力を作り続けるんだよ」


「そーゆーものなのか。じゃ、仕事しますかね」


私はいくつもの呪文を唱え、何度も杖を振った。名前も知らない人のために。この街に少しだけ奇跡を起こすために。


両手で数えられないほどの流れ星が空を駆けていった。そうして、1日の仕事が終わった。




ボロボロの教会を出て歩く。


「ルイズリー。アオってどうやって使えばいいの?」


「例えばだけど、ユノのことを捕まえたり追いかけたりする人達の目くらましに使う。それだって魔力持ってるからね。魔力の大きさで判断するやつらなら目くらましになる」


「なるほど……。現に今日も追いかけられたわけだけどね。」


魔法少女を信じる人からすれば、魔法少女に自分のために奇跡を起こしてほしいだろう。科学が少しだけ発展してきた今、魔法を認めない人達にとっては、いらない、というよりむしろ消えて欲しい存在だろう。魔法少女というのも楽じゃない。こんな時は消えてしまった「神」とかいう存在を少しだけ恨む。


「でもでも、そんなことのためだけに使うってのもなぁ。折角魔術人形になったんだよ。なにかしなくっちゃ」


「いや、そもそも魔術人形に命も心もないわけであるから折角も何も」


「命も心もないなんて、ルイズリーは冷たいなあ」


「事実だよ!ただの道具なんだから。使い魔だって同じさ。ただの道具」


冷めたような目でルイズリーはアオのことを見た。


「え?ルイズリーは道具じゃないでしょ。私の友達だよ」


「ま、まあ、そうなんだけど。」


そっぽを向こうとするルイズリーの目を強引に覗き込んで私は言った。


「それに、命も心もないなんて、そんなの考え方しだいだよ。なんにだって心はあるの。だからアオも友達になるの。それにこの前読んだ本には、魔術人形に心はちゃんとあるって書いてあったよ」


「ふーん。それ、心じゃなくて『イシ』って書いてなかった?」


「え?石?硬いの?」


「なんでそうなる……。ま、なんでもいいんだけど。とにかく、この辺でテレポートしておかない?」


私の住んでいる館までは遠いから、テレポートしないと帰るだけで疲れてしまう。今ですら疲れているのに。


「そうだね」


小さな裏路地に入ってから私は杖を振った。


「白い花の花びら、風にゆられて、遠くまで。願いの場所へ導いて」


白い大きな花びらが私たちを包む。柔らかな白い光と花の甘い香り。一瞬にして私たちは街のはずれの森の中にある館に戻ってきた。館と言ってもたいしたものではない。レンガ造りの二階建ての館なのだが、外観はボロボロでおばけなんかが出てきそうだ。中の部屋は部屋によって家具の色は異なる。落ち着いた焦げ茶色の机やベットの部屋がある一方、派手な赤いカーテンやカーペット、ベッドカバーなんかで揃えられた部屋もある。ちなみに私の部屋は白で揃えてある。部屋にいる時間は短いが、汚れが目立つし、部屋が寂しいのがすぐにわかるのであまり好きじゃない。

私はその中の一つ、青色でまとめられた部屋に入った。


「一人増えたから少しは賑やかになるかな」


私は部屋を見回して言った。誰も使ってない部屋だがほかの部屋と同じく、必要最低限のものはある。でも本当に必要最低限すぎてがらんとしてる。


「この広さじゃ、変わらないんじゃない?というか、魔術人形を1人って数えるの?」


「1人だよ。あ、アオはここの部屋つかって」


「はい。おやすみなさい。マスター」


「マスターなんてやめてよ。ユノでいいって」

アオは少し首をかしげてから言った。


「はい。おやすみなさい。ユノ」




翌日、私はアオの声で目が覚めた。


「おはようございます、ユノ。朝食の支度は出来ています」


ドアをノックしてアオはそう言う。身支度をしていつも食事をしている台所へ向かおうとすると、


「ユノ、そちらではありません。こちらへ」


何故かいつも使わない食堂へ案内された。しかも机の上にはクロワッサンやサラダ、スープ、それにデザートのフルーツまで。今まで見たことのないような豪華な朝ごはんだ。


「えっと、これは?」


「僕が用意しました。お気に召さないようでありましたら、すぐに違うものを」


少ししょげたようなアオ。私は慌てて言った。


「いやいや、気に入らないとかそんなんじゃなくって……」


いつ用意したんだ、こんなもの。と聞こうとしてやめた。アオがこちらを向いてにこにことしている。なんだか聞くな、と言われているような気がした。

顔に出やすいんだな。ほんとに魔術人形?

そう思ったけど途中で気づいた。

彼は見つけた時から普通じゃなかったや。


「それに、これ、私の分しかないように見えるんだけど?」


「はい。食堂で食べるのはユノ1人ですよ。」

何を当たり前のことを、というかのように首を傾げるアオ。


「ルイズリーとアオの分は?」


「ルイズリーは道具です。魔法少女であるユノと一緒に食べるのは宜しくないかと。僕は魔術人形ですから食事は必要ありませんよ。」

「ええっと、一人で食べるのはさみしいからルイズリーとも一緒に食べたいな」


「わかりました。すぐに用意します」


そう言ってアオは台所へ消えた。


「なんなんだ?」


態度といい仕草といい、まるで執事のようだ。




その後もアオの行動は執事そのものだった。お昼ご飯のバスケットを用意したり、一息つく時には紅茶を淹れてくれたり。何気なくエスコートしてくれるけど話さない時は必ず後ろに下がっている。白いシャツに黒いズボンという簡素な格好をさせているのが申し訳なくなるくらいだ。だが生憎この館に執事服はない。


「主従関係は結んだ覚えないんだけどなぁ」


そうぼやく私にルイズリーが笑って言った。


「もともと魔術人形ってのは手下として動くために作られるものなんだからさ。最初にユノのこと『マスター』って呼んでたでしょ」


「そう言われれば確かに。だけど……。」


「だけど?」


「私はアオと友達になりたいのっ!」


思いっきり叫ぶ。


「それ叫んでも悲しいだけじゃない?」


と、ルイズリーは冷めた目でこちらを見ているが気にしない。


「そうよ!悲しいだけよ!魔法少女なんてただのぼっちなんだから。友達とは離れなきゃならない。存在は知られちゃいけない。恋のひとつもできないじゃない」


ぷい、とそっぽをむく私をみてルイズリーは笑った。


「そんなに言うなら頼めばいいじゃないか」


「頼む?アオに?」


「そういうこと。なんの術式かけられてるんだか分からないけど、ま、それくらいはできるようになってると思うよ?」


「そ、そうだよね!」


私は拳を握りしめて立ち上がった。




その晩、私はアオを私の部屋に呼んで話すことにした。


「アオは私と友達になってくれないの?」


「僕なんかが友達だなんて」


「あのね、私アオと主従関係結んだ覚えないんだけど」


頬を膨らませて私は言う。


「わかりました……。いえ、わかったよ、ユノ。こ、これでいい?」


悪戯な光を目に宿してアオが笑った。顔に出やすいとは思っていたけど、ここまで嬉しそうに笑うものなのだな、と、感心。やっぱり魔術人形にも心はあるんだ。


「うん。それと、アオ自身はなんの術式がかけられているかわかるの?」


「勿論。この瞳を入れられてからのことは全部覚えてるからね」


胸を張ってアオは答える。


「じゃあ、アオを作った人のことも?」


「そうだよ」


「それで、その、術式は?」


「僕にかけられている術式は、真実を見抜くというやつだよ。嘘も本当も全部わかる」


「真実を、見抜く」


サイドテーブルの上のランプの火がゆらりと揺れる。椅子に座るアオの影が床に伸びている。私の視界の中でやけに大きくアオが見える。


「なんでもわかるの?」


「なんでもわかるよ。ただ、使い方がちょっと面倒でね。作った本人も使わなかったんだ」


「面倒……?」


「多分すぐわかるよ。だってユノは僕を使うことになると思うから。あ、これはあくまで推測ね」


そう言うとアオは椅子から立ち上がった。


「明日、ひまな時間はある?一緒に散歩でもしよう」


「え、あ、うん……」


呆気に取られている私の目の前でドアが閉まった。静かにランプの火は揺れていた。




翌朝、コーヒーのいい匂いで目を覚ました。身支度を整えて台所へ行くとアオが朝食を準備しているところだった。


「おはよう、ユノ」


「おはよ、アオ」


アオは手際よくプレートにパンやサラダを盛り付けていく。


「ユノ、起きてたんだ」


そう言って台所に入ってきたのはルイズリー。


「えへへ。コーヒーのいい匂いで目が覚めちゃった」


「普段は寝起き悪いのに……。なんかあった?」


「アオの術式わかったよ。わかったって言うかアオが教えてくれたんだけど。アオの術式は真実を見抜くんだってさ」


「真実を見抜く……」


ルイズリーの金色の目がこれ以上ないほどに見開かれる。


「ねえ、ルイズリー?どうかしたの?」


「い、いや、なんでもない……。それにしては複雑な術式だったよなって思って」


何かを隠すかのように早口でルイズリーは言う。


「なんかよくわからないけど、使い方が面倒なんだってさ」


「つ、使い方が面倒?そ、そ、それは興味深いなぁ」


明らかに棒読みだ。


「ねえ、何かあったのはルイズリーの方じゃないの?」


「そ、そんなあ」


「棒読み」


ビクッとルイズリーの体が跳ねる。それから私の耳元に来てこう囁いた。


「アオを使ってはならない。いいね。使ったらユノの今までが全部崩れるよ」


それだけ言うとどこかへ飛んで行った。


「ユノ、朝ごはんできたよ。あれ、ルイズリーは?」


「よくわかんない。へんなルイズリーだな」


朝ごはんを食べ終わると仕事だ。私は街へテレポートした。


いつもの小さな路地へ来ると、私は深くフードを被り、歩き始めた。

灰色の街はいつもと変わらなかった。同じような形で、同じような色をした建物が道と両脇に並ぶ。あっちこっちに灰色の直方体が地面に突き刺さっている。そしてその直方体のなかで忙しそうに働く、笑顔ひとつ見せないこの街の人達。


本当に私は奇跡を起こせているのだろうか。名も知らない誰かを幸せにしているのだろうか。


ふと、故郷を思い出した。荒れ果てた平地が続く故郷。そのなかで無茶ぶりを繰り返していた幼馴染は元気だろうか。燃えるような赤髪とスラリとしたスタイル。頭が良くて、成績はいつも断トツだった。ああだけど、私が魔法少女になるころには赤髪を気にして真っ黒に染めていたっけ。こっちに来る時に彼女も一緒に来たのだけれど、魔法少女になってからは会っていない。


「このへんでいいか」


誰もいない公園。木の陰に隠れて私は杖を取り出した。


「願いよ届け、白い花。繋いで、結んで、光る糸」


杖を振る。それが私の仕事。いつも通り、変わらない日常。この街の空気に私の魔法が溶けていく。


「そろそろ休憩にしない?」


後ろから声がかかる。


「アオ、来てたんだ」


「まあね。テレポートできない分ちょっと大変だけど僕は魔術人形。走っても疲れないよは」


ひょうひょうと言ってのけるが館からここまでかなりの距離がある。走ったとしてもかなりの時間がかかるのに。


「そうだね。一休みしよっかな」


私はそう言って杖をホルスターの中に仕舞った。


「散歩とか、どう?」


「うん、行こうか」


私とアオは並んで歩き出した。


「魔法少女って大変なんだね」


「魔力切れると何も出来なくなるからね。そこは気をつけてるよ」


「そうじゃなくって、いつも1人でしょ」


「まあ、そうだね」


私は俯いて返事した。


「呪いみたいなものだよ。普通になれない呪い。友達も恋人も出来ない。私が下手なだけかもしれないけど、だけど、ちょっと寂しくなるよ」


「そっか」


アオはそういうとしばらく黙った。会話がないのがなんだかもどかしくなって、私は必死で会話を探した。


「アオを作った人、どんな人だったの?」


「そうだな。一言で言えば魔法使い、かな。魔女でも魔法少女でもないけど、魔力をもってて、魔法もつかえる。術式の研究ばかりしていて、外の世界には無頓着だったな」


「ふーん」


アオは懐かしそうに空を見上げた。そして、


「あ、ユノこっちこっち」


と、手を引いて進んでいった。

進むにつれて灰色の街はどんどん暗くなっていった。そして、鬱蒼とした森の中に入っていった。


「ねえ、アオ……。ここ、どこ?」


「もう少しだから」


アオは返事になってない返事をして歩き続けた。

不意に太陽の光が目をついた。思わず目を瞑る。


「眩しいっ。」


森が開けたようだった。


「綺麗……。」


眩しさの中、ゆっくりと目を開けるとそこはこの街とは思えないほどの美しい景色が広がっていた。


そこは一面の花畑だった。赤、黄、紫、ピンク、白、橙、青といった色とりどりの花が咲き乱れる花畑。風に揺れ、太陽の光を浴び、一つ一つが美しい。


「昔、随分昔、僕を作ってくれた人と一緒に来たところなんだ。」


そう言ってアオは花畑のなかに足を踏み入れる。つられて私も入る。


アオの明るい茶色の髪が風に吹かれている。深い青の目に映るのは鮮やかな青い空。その目はどこか悲しそうだった。


「魔法少女なんてなりたくなかったな。」


こんな綺麗な景色は、大切な人と並んで歩きたい。友達と一緒に駆け回ってもいい。でも、出来ない。だって魔法少女だから。


「それなら、ユノ。本当のこと、知りたくない?」


空を見たままアオは言った。


「本当の、こと?」


「そう。嘘だらけの世界の嘘じゃない姿。神に捨てられた街の真実。」


そしてアオは私の目をのぞき込んでこう言った。


「僕なら見せてあげられる。ユノに本当の世界を。灰色の街も、ルイズリーのことも、君自身の……魔法少女のことも。」


はっとした。


魔法少女。その言葉に私は頷いた。

知りたい。本当のこと。

魔法少女の、本当のこと。


「全部、わかるの?」


恐る恐る聞く。


「わかるよ。」


「知りたい!ほんとのこと、魔法少女のこと。」


そう言うとアオは真顔で言った。


「僕を使いますか?」


それが大切な言葉のような気がして、私は噛み締めるように答えた。


「はい。」


少しだけ悲しそうにアオが笑った。


「じゃあ、始めるね。」


天に向けたアオの手のひらに魔法陣が現れた。魔法陣は淡い青色の光を放つ。そしてその手を私の頭の上に置いた。アオの手が私の頭を撫でる。


すると、頭の中に直接映像が流れ込んでくるかのように、情報が流れてきた。それはとてつもない量だった。この世界のこと、この街のこと。ルイズリーのこと、魔術のことや術式の本当の意味。そして、魔法少女のこと。

震える声を絞り出す。


「これが、真実。」


目から自然と涙が溢れてきた。


「そう、これが真実。」


「そう、なんだよね。」


涙は止まらない。どこかでわかっていた。本当はこうだってこと。どこかで聞いたことがある、おとぎ話。全部全部、物語の向こうの話だと思っていたのに。


「大丈夫。ゆっくり落ち着いて。まずは頭の中を整理しよう。」


崩れ落ちるように地面に座る。


「これを知った上で魔法少女なんて、できないよ。」


「知らない方が、よかった?」


「そんなことない。知りたかった。だけど、やっぱりこうなんだなって。」


「魔法少女、やめるの?」


「うん。」


「辞められるの?」


私は下を向いた。


「一つだけ、知ってるんだ。」


そう、一つだけ。この方法をとるしかないのだろう。


「魔力返還の義?」


「しってるの?」


アオがこれを知っていることに驚いた。


「まあね。作ってくれた人はその手のことにも詳しかったから。でも、本当にいいの?」


「これならルイズリーも巻き添えに出来るから。」


太陽が西の地平線へ消える頃、私達は館へ戻った。


決行は明日の夕方。早い方がいい。

もう、戻れない。

戻る気は、ない。




「ルイズリー、ちょっといい?」


館のなかでルイズリーに話しかけたのは、日が西に傾いた頃。


「なに?補給?」


そう言ってルイズリーは頭の上に乗った。


「んーと、それもある。」


「も?まあいいや。先に補給ね。」


そう言ってルイズリーは呪文を唱える。その呪文も、今では忌々しく感じる。


「その契は強くなる。月と太陽の下でその力、白い花となりて散る。」


力が入ってくるのがわかる。でもこれが本当の要件じゃない。


「で、まだなんかあるんでしょ?」


「うん。」


昨日から考えていたことをゆっくりと話し出す。


「魔法少女なんてかっこよく言ったって、本当は呪いなんでしょ?」


ルイズリーの両方の目が大きく見開かれる。


「何を聞いたんだ。アオを使ったのか。」


「そうだよ。」


目ををそらさないように必死に話す。


「だからアオはもうこの館にはいない。記憶は消えて、アオの中では私と一緒にいたこの数日はなかったことになっているの。」


「真実を知ってどうする?」


「私にできることをする。今までも、これからも。そうでしょ?」


ルイズリーはほっとしたような表情を浮かべた。きっと私がなにをするかわかってないのだろう。


「魔力は色。この街が灰色なのは昔から魔法少女が魔力を使っていたから。」


「そうだよ。ユノは白。前の魔法少女は紫、その前は赤だった。」


ルイズリーは何事もないかのように話す。


「魔法は奇跡なんか起こしてない。」


「いや、あれだって奇跡だよ。僕の望んだ世界になるっていう。」


ルイズリーは細く微笑む。


「そうだね。魔法少女はルイズリーがこの世界を征服するための下僕ってところでしょ。」


「だから?」


「認めるんだね。」


「認めるも何も、もう全部知ってるんでしょ。少し勘違いしているようだけど、世界征服をしようとしたのは僕の主。」


やや投げやりにそういうルイズリーは、まるで悪魔のような笑を浮かべている。


「神なんていない。もうルイズリーが倒しているから。」


「そうだよ。あれはちょっと手こずったけど。でもそれも昔の魔法少女達が手伝ってくれた。」


「そもそも神は神でなかった。」


「だから倒したんだ。僕がやり直すため。この街のためだったんだ。」


ひょうひょうと言うルイズリーにどんどん腹が立ってくる。だからトドメとなるような一言を、ルイズリーに放つ。


「儀式を行うから。もう準備は出来ているよ。」


ルイズリーは刺されたような表情をした。何も言わないで呆然としているルイズリー。私は何も言わないでルイズリーの首根っこを掴んで館の1番上の部屋へと向かった。

その部屋には部屋いっぱいに魔法陣が書かれてあった。


「ユノ、考え直さないか?」


早口でルイズリーがいう。でも焦っているルイズリーとは対照的に私はゆうゆうとしていた。


「このことを知って考え直せって?笑わせないで。」


そして鼻で笑う。この上ない軽蔑の眼差しを向けて。

魔法陣の中央に立つ。杖を取り出してゆっくりと呪文を唱える。


「終わりは全ての始まりで、始まりは全ての終わり。解いて、切って、白い花。その花、燃え尽きるように。」


魔法陣が炎を吐く。それは館を包み込む。私の足元だけ残して。炎は縦横無尽に駆け巡る。まるで獣のようだ。


「全部、終わり。」


そう呟いた。


ルイズリーは逃げようと炎に触れた瞬間、鉱物のように砕け散った。どうせこれは体の一部かなにかなのだろう。神を倒したとすればどこかにもっと大きな本体があってもおかしくない。だけど、今までの魔法少女たちが貯めたものは壊した。ノーダメージ、ということは無いだろう。少しはあの灰色の街に色が戻るだろう。


空は茜色に染まる。紅の炎は蒼い空を忘れる。そして、その紅は大きくなる。何かを求めるかのように手を振り回し、一つ、また一つと飲み込んでいく。闇夜のような黒煙がすべての灯りを閉ざしていく。

やがて空の上の方で夕暮れ色と炎はひとつの赤になる。


私が望んだのはこんな結果だったのだろうか。


わからない。


今となってはもう何もわからない。他人の願いも自分の想いも、遠いところへ飛んでいった。ただ正解なんてないこの世界の中で正解をつけるとするならば、これが正解なのだ。あるべきものがあるべき所へ戻るだけなのだ。


そうして私は消えていく。 ここじゃないどこかへと旅立つのだ。

次の奇跡は誰かがおこす。私じゃない誰かが。代わりなんて誰にでもなれる。私だって誰かの代わりだったのだから。


でも、もしも、もしもあの娘が次の魔法少女に選ばれたなら、その時はきっと上手くいくはずだ。あの娘にしかできない。あの娘だからこそ出来る方法を私は知っている。

だから望むなら、それが最後の望みかな。




熱い風が私の体を包み込んだ。

炎の腕が私を抱く。


さよなら、本当の奇跡なんてない世界。

さよなら、神なんていない世界。

さよなら、魔法少女。


白い花は燃え尽きた。


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