いつもの笑顔で

「先生、大変っ」


 生物室にいた竜平が泣きそうな顔で準備室に飛び込んできて、いったい何事かと高槻はくわえていた煙草の火を消した。


「金太郎が死んでる」


 金太郎というのは生物室の水槽の中で飼っている金魚の名前だ。高槻にはどれが金太郎なのだか区別は付かないが、名付け親である竜平にはちゃんと分かるらしい。それぐらいの愛情を注いで育てていたのだ。


「そうか。今朝は何ともなかったのにな」


 しょぼくれる竜平の頭を撫でる。


「突つかれないうちに取り出して、埋めてあげようか」


 立ち上がろうとする高槻を、竜平の手が押しとどめた。


「いい、俺がやる。全部俺にやらせて」


 今にも泣き出しそうな顔をしているのに、竜平は力強くそう言って、再び生物室へ戻っていった。

 学校で飼っている一匹の金魚に対してあそこまで真剣に接することのできる竜平はすごいやつだと思う。

 全てのものに対して真摯なその態度が愛しくてたまらない。

 今の自分には欠けている部分だと思う。全てに深くなれないがために全てを捨ててしまった高槻には、そんな竜平がまぶしくて仕方がない。


「金太郎、か」


 時々、自分だけが特別なわけではないのかもしれないという錯覚に陥ってしまうぐらいに、何にでも真っ直ぐで、愛情深い。

 窓の外で土を掘り出した竜平を見ながら、高槻は新しい煙草に火をつけた。

 感情豊かな竜平は、きっとその分悲しみも深いのだろうと思う。

 同じ事象を経験しても、高槻が感じる痛みよりもずっと、竜平の苦しみは大きいに違いない。

 喜びが大きいのはいいけれど、悲しみが大きいのは見ていて辛い。

 きっと竜平には、高槻と違ってそれを乗り越えられる力があるのだろうけれど。


 金太郎を埋め終えたらしい竜平は、その前でじっと手を合わせていた。

 こういう場合、なんと声をかけるべきだろうかと考える。

 その悲しみを和らげるには、どうすればいいだろうか。

 煙草を一本吸い終わった頃に、竜平が戻ってくる。


「埋めてきた」


 さすがに泣いてはいなかったが、テンションは低く、俯き気味のままだった。


「ご苦労さん」


 高槻は竜平の手をとり、椅子に腰掛ける自分の膝の上に引き下ろした。

 結局言葉が見つからなくて、ずるいけれどそうして黙って背中から抱きしめることにした。


「先生、生き物が死ぬのって、悲しいね」

「そうだな」

「今までペットとか飼ったことないけど、ダメだね、今後も飼えそうにないや」


 小さな体をさらに小さくして落ち込む竜平の頭に軽くキスをする。

 泣きそうな顔の竜平も可愛いけれど、やはりいつものように笑っていてほしいと思う。


「生きているものは何でもいずれは死ぬんだ。だけどね、竜平、それを恐れていたらずっとひとりぼっちで生きていくしかなくなってしまうよ。何かと出会うのは、それを失う覚悟も一緒に背負うってことだ。動物でも植物でも人でも、同じだよ」


 大人として、教師として、そして恋人として、竜平に伝えたいことを伝えるしか高槻にできることはない。

 それで竜平の笑顔が取り戻せたらいい。


「俺だって、順番的にいえば竜平より先に死ぬことになる可能性が高いわけだけど、その時竜平は、俺と出会わない方が良かったと思うか?」

「思わないよ。思うわけないじゃん」

「だったら出会いを怖がっちゃいけないと俺は思うよ」


 真面目な話をしているのに、なぜか竜平は少しだけ笑った。

 いつの間に回復していたのだろうか。


「ねえ、なんでそんな先生みたいなこと言ってんの?」

「なんでって、正真正銘先生だからな、仕方ないだろ。生物部顧問だしな」


 抱きしめる腕が竜平に元気を与えたならそれでいい。

 この精神的タフさが竜平の竜平たる所以なのかもしれない。


「うん、確かに生物部だ。今まで植物部の間違いじゃないかと思ってたけど、生物部だった」


 誤魔化すように少しふざけて高槻の膝の上から立ち上がった竜平は、高槻を振り向き照れたように笑った。


「竜平が笑ってる方が、金之助や金次郎も喜ぶだろう」

「先生も?」

「金魚たちには負けない自信はあるね」

「そっか」


 いつも通りの曇りのない笑顔を見せて、竜平は勢い良く抱きついてきた。

 衝撃でキャスター付きの椅子が動き、がつんと背もたれを机にぶつけた。椅子が軋んで耳障りな音を出す。


「生き物じゃなくても終わりはあるからな」


 元気が良すぎるのも、たまに困る。



<終>

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