第8話


「さっ、座って座って」

「…………」


 連れて行かれた愛一朗さんの部屋にあったのは、年季の入った勉強机とそこにのっているパソコン……。


 後は、それとは別の小さな机と座布団ざぶとわと本棚に、ベッド……。コレはいわゆる『普通の男子の部屋』と言っていいモノだった。


 だた、テレビはない。でもまぁ、愛一朗さんからすれば、なくても別に困らないということなのだろう。


 まぁ、俺の部屋には机と勉強道具と本棚くらいしかないが……。


「しっ、失礼します」

「妹は今。準備で忙しいからさ」


「準備……ですか?」

「そうそう。本当は持って帰ってもらう予定だったらしいけど、急きょここで食べてもらう事になったからさ」


 なんて言いながら、愛一朗さんは楽しそうに笑った。


「……愛一朗さん」

「何?」


「ずいぶん……変わりましたね」

「やっぱり、そうかな?」


「はい。昔は、こんな風に楽しそうに笑っている姿を見たこともありませんでしたから」


 俺の記憶の中にある『二本木にほんぎ愛一朗あいいちろう』は、いつも俺だけでなく実の妹である恋にすら、こわいの表情を見せていた。


 むしろ、その表情しか見た事がない。


「……そうだよね。あの時の俺は、妹だけじゃなく、市ノ瀬君にもねたんでいたから」

「え」


「あの時の俺は、勉強も運動も出来る妹がキライで仕方がなかった。そして、そんな妹の先を行く君にも……苦手だった」

「…………」


 俺も、いつ会ってもこわい表情だった愛一朗さんに対し苦手意識はあった。ただ、そんな風に思っているとは……知りもしらなかった。


「でも、努力をしない人なんていない。確かに、必要すらない人もいる。ただ、それは本当に一握り。それに、本人は『努力』というつもりはなくても、実はみんな努力している。俺は……そんな事すら知らなかった。いや、知ろうとすらしなかった」

「…………」


「もしかしたら、俺は『努力が少ない自分を認めたくなかった』だけなのかも知れない」

「そっ、そんな事は……」


「いや、そんな事。あるんだよ。出来ないなら、考えて努力するしかないのに……俺はそこから目をそらして逃げていた」

「……」


 そう言って愛一朗さんは天井を見上げた。


「そんな時、市ノ瀬君。しばらく妹と離れていただろ?」

「……まぁ」


「俺は、そんな状況を『チャンス』だと思ってしまった」

「それで……」


「悪いとは……思った。でも、仲良くしたいとはずっと思っていた。だから、ちょうど市ノ瀬君の姿を見たらいてもたってもいられなくなって……すまん」

「そっ、そんな!いいですよ。本来であれば、それが一番いい形なんで……」


 そう、本当であれば俺が恋の『兄』みたいになっているのは、違う。ただ、その形が元に戻っただけの話なのだ。だから、謝られる様な事ではない。


「本当に、君の様な人が妹の……で良かった」

「はい?」


「いや? 君の様な人が妹の恋人だったらいいのに……ってね」


 愛一朗さんは、久しぶりに会った時の様に笑顔でそう言った。


「……」


 俺は一瞬「何を言った?」と思い、固まってしまったが、すぐに理解し……。


『はっ!?』


 そう驚きの声を出した……のだが。今、声が重なった様な……。


 振り返ると、そこには飲み物とデザートをのせたお盆を持ってワナワナと震えている恋の姿があった。


「なっ、何を言っているの。兄さん」


 恋は、笑顔を作っている様だが……かなりぎこちない。さすがに黒井の様には、出来ないようだ。


「ははは! どこのダレかも知らない人よりは……いや、俺としては市ノ瀬君がいいなと思っただけだぞ? それに恋だって……」

「わー! 待って! 余計な事、言わないで!」


 座布団に座っている俺の前にある机の上に急いで置いて、愛一朗さんにつかみかかる勢いで迫った。


「えーっと、恋?」

「なっ、何?」


「コレは……俺が食べてもいいのか?」

「うっ、うん」


 迫っていた愛一朗さんからすぐに俺へと視線を戻し、顔を真っ赤にしてうなずいた。


「じゃあ、ありがたく……と、コレは『フォンダンショコラ』か?」

「うっ、うん。温めて食べた方が美味しいらしいから……」


 黒みのかかった茶色い焼き菓子で、切ると中からチョコレートが溶け出てくる……。だから、そのままで食べるより温めた方が美味しい……らしい。


 俺の記憶が正しければ、そんなチョコレートのお菓子だったはずだ。しかも、横には生クリームがそえられている。


「……そうか」


 その美味しそうな見た目に思わず固まってしまっていたのだが……。


「あっ、そうだ。手袋に関しては気にしなくていいよ」


 この愛一郎さんの言葉にはすぐに反応出来た。


「え」


 どうして愛一朗さんがその事を知っているのだろうか。


「ああ、それはさっき恋から聞いたから……!」

「……」


 恋からの無言のにらみにどうやら愛一朗さんは気がついたらしく、笑顔のまま固まった。


「…………」


 俺はあえて何も言わなかった。ただ、どうやら俺が恋と離れている間に恋はどんどん強くたくましくなった様だ。


「えと、どう……かな?」

「うん、甘すぎないのがいいな」


 俺が素直にそう言うと、恋は「そっか、良かった」と、うれしそうに笑った。でも、たくましくなりつつも、かわいさは昔のまま……なんともズルい。


 愛一朗さんは「もうちょっと甘くても……」と言っていたけど「あっ、届いていない」と恋の様子を見ながらつぶやいていた。


 そして、朝にもらったチョコレートは……みんなの好みに合わせたからなのか、少し……甘かった。

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