《西暦21517年 薫2》その一



 龍吾と話しているのは、薫自身だった。

 この事実は薫を恐怖に凍りつかせた。


 薫を見て「なんだ、薫か」と言った龍吾のあの言葉は、そういう意味だったのだ。つまり、……。


(なんで……僕がもう一人?)


 窓の外のもう一人の薫は、のんきに鼻歌を歌いながら去っていく。その気楽なようすが、なんとも恨めしい。悩みなんて一つもなさそうだ。


(僕は東堂薫だよなぁ。でも、それじゃ、あれは誰なんだ? それとも、あっちが本物の東堂薫?)


 もしかして、だから自分の記憶はところどころ、あやふやなんだろうか?


 一瞬、自分の存在を疑ってしまう。

 それほどさっきの『薫』は、薫に酷似していた。


 薫がなんとも言えない無気味な感覚に襲われていたときだ。

 窓の外を今度は別の人間が歩いていく。裏庭に向かう姿の顔は見えない。が、まぎれもなく水魚だ。白無垢の着物に黒い羽織なんて、ほかに誰も着ていない。


 屋敷の用事で忙しいはずの水魚が、どこへ行こうとしているのか。

 八頭家の裏手には山があるばかり。タケノコでも掘りに行くんじゃないかぎり、これといった用はない。

 それに遠目だが、手に何か持っている。タケノコ堀りの道具には見えない。どうやら、あれはお膳だ。


(膳ってことは、誰かに食事を運んでるのか)


 むしょうに気になった。

 水魚がなんの目的で、誰に食事を運んでいるのか。もしや薫分裂の謎を解く鍵が、そこに隠されているかもしれない。


 あわてて薫はかけだした。別棟をぬけだし庭へ出る。裏庭へと走っていった。

 幸い、まだ水魚はいた。裏庭にある蔵のなかへ入っていくところだ。

 蔵のなかにお膳……いかにも犯罪の匂いがする。座敷牢的な?


 薫は建物のかげから、水魚が出てくるのを待った。やがて水魚は出てきた。蔵の扉に鍵をかけている。


 薫は水魚が立ち去り、完全に姿が見えなくなるのを待ってから、蔵に近づいていった。扉が閉ざされているので、のぞけるのは鍵穴しかない。そっと片目をあててみても、なかは薄暗くて何も見えなかった。

 しかし、こんなところに食事を運んでくるのだ。無人のわけがない。なかに誰かが閉じこめられているのだ。


(……もう一人、僕がいたりして)


 勝手に妄想して、ぞぉっとする薫だった。


 翌日から、薫は水魚の身辺をさぐった。最終的な目的は蔵の鍵を手に入れ、なかへ入ってみることだ。囚われているのが誰なのか知りたい。その人は水魚にとって……あるいは、この世界そのものにとって都合の悪いことを知ったために幽閉されているのかもしれない。


 水魚をつけるのは、猛の尾行より、はるかにラクだ。というか、自分が誰かから監視されるとは夢にも思っていないのだろう。背後にまるっきり無頓着なので、すごく助かる。


 二日ほど行動パターンを観察した。

 水魚は朝昼晩と、日に三度、食事を運びに例の蔵へ行く。三食とも別棟の住人の食事のあとだ。たいがい、二、三十分はそのまま、なかにいる。たぶん、囚われ人が食事を終えるのを見届けているのだ。


 三日めの朝食のあと、薫は水魚が蔵へ入っていくのを見計らって、そっとなかまで追っていった。

 蔵は二階建てだ。一階には、いかにも田舎の旧家らしい骨董品の箱がズラリとならんでいる。奥に二階に続くハシゴ段があった。かけ外しのできるタイプだ。


 二階から話し声が聞こえる。

 一方は、もちろん水魚だ。

 しかし……またもや、薫は混乱した。

 先日、龍吾ともう一人の自分の会話を小耳にはさんだときのように。

 水魚と話す声に聞きおぼえがある。


(なん……で? この声……)


 ドキドキしながら、薫はハシゴ近くの葛籠つづらのかげにしゃがみこむ。声がハッキリ聞こえるようになった。


「僕はいつまで、ここに閉じこめられてるの?」

「それは私には決定権がないから、なんとも。でも、きっと、そのうちゆるしてくれる」

「……どうかな。あの人、怒ったら容赦ないから。僕自身がそうだから、わかる」

「君は……それだけのことをした」

「まあね。でも、それを言うなら、カトレアだって同罪のはずだ。なんでカトレアは追放で、僕は監禁なの? いっそ、あのとき殺されてたほうがマシだった。このさきずっと、こんなところに、ひとりぼっちで閉じこめられてるくらいなら」


 しばらく泣き声が続いた。


 薫はもう我慢できなくなって、そっとハシゴをのぼっていった。ハシゴが軋まないかヒヤヒヤしながら、一段ずつ、あがる。

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