変身

やまもン

変身

 「……何にでも変身できる?」「デキル?」


 私はそう聞き返した。ベランダで男は頷いた。

 ついさっきの事だ。部屋の換気をしようと窓を開けると、まんまるな月を背に見知らぬ男が立っていた。

 ここはマンションの30階だ。とてもじゃないが人が登ってこれる高さではない。隣のベランダから侵入した線も考えられたが、すぐにそれは無いなと思い直した。隣人は若い女の子だ。こんな怪しい風体の男を連れ込む様には思えなかった。


 「お前は誰だ!」「ダレダ!」

 「さぁ?とりあえず僕の話を聞いてよ。僕が誰かなんてどうでも良くなるはずさ」

 「なんだと?怪しい奴め」「ヤツメ!」


 警戒心も露わに聞き返した。怪しい、怪しすぎる。窓際のケージからインコも追随する。

 男はひらりと背中を向け、その拍子に顔が月光に照らし出された。しかし、仮面の様につるりとしていて、まるで記憶に残らなかった。


 「そうさ、今から君に、この高いベランダまで上がってきた方法を教えてあげるよ」

 「……?」

 「まぁ見てなよ、百聞は一見にしかずって言うだろ?」


 そう言うやいなや、男はベランダの手すりを乗り越え、宙空に身を投げ出した。慌てて駆け寄った私の鼻先を一羽のカラスが飛び掠める。そのままカラスはくるりと空を一周してベランダに着地すると、その黒い嘴を開いた。


 「やぁ、僕だよ、僕。どうだい?」

 「な、ななな、なんだとぉー!?」

 「ピー!ピーー!」


 インコが激しい警戒音を立てた。動転して尻餅をついた私の眼前で、カラスがみるみる男の姿に変身していく。すっかり元の姿に戻った男は、続きを話し出した。


 「僕が変身出来ることは分かったかい?」


 ありありとその光景を見せつけられ、私はコクコクと頷くほか無かった。男は言う。


 「今晩僕が君の元へやってきた目的は、勧誘さ。君にもこの変身の力を上げたくてね」

 「……どうして私なんだ?」「ナンダ?」


 喉がゴクリと大きな音を立てるのが聞こえた。魅力的な話だ。古今東西、もしあれに成れれば、という話が沢山あるのがその証だろうか。

 だが、待てよ、と頭の一部が警鐘を鳴らした。そんなに上手い話があるだろうか。私は男に聞き返した。


 「ふふふ、本来なら何かしらの対価を払って貰う所だけど、今日は特別さ。一切の対価を取らないと約束しよう」

 「質問に答えてくれ。どうして私なんだ?」「ナンダ?」

 「ふふふふ、君はついているねぇ。今日契約してくれれば、一日十回まで変身できるよ」


 しかしながら、男はのらりくらりと質問に答えないまま、話を押し通してきた。そこで私は気が付いた。これは……訪問販売だ。登場の仕方や売り物が特殊なだけで、やっている事は他の訪問販売と何も変わりがない。

 そうと決まれば、後はこの男を追い返すか……。その思考に歯止めを掛けたのは、しかし、非日常への誘惑だった。


 「もう少し聞こう。変身によるデメリットは?」「リットハ?」

 「そんなのないよ。実際に使ってる僕が言うんだから間違いないよ」

 「十回使い切ったら、翌日まで人間に戻れないのか?」「ノカ?」


 さぁ、と言ってふふふと笑う男。その明らかな態度に私の心は固まった。やはり断ろう。

 


 「ふむ。もう少し実例がみたい。頼んでもいいかな?」「カナ?」

 「どうぞどうぞ」

 「じゃあ、蛇!」

 「シャー!」

 「羊!」

 「メー!」

 「ゴリラ!」

 「ウホッウホッ!」

 「女性!」

 「ウフフ」


 心の中でカウントする。これで8回。一か八か、私はペットを信じることにした。


 「次は変身の限界を知りたい。あの向こうのビルくらい大きくなれるか?」 

 「ルカ?」

 「いいよ」


 ベランダから飛び降りた女は瞬く間に大きくなり、視界を埋め尽くした。巨人だ。私はその間にインコの餌である種をケージの溝に注いだ。それからベランダの柵に寄りかかると、上を見上げながら、叫んだ。


 「つーぎーはー!ちーいーさーくー、たーねーになーれー!」


 インコは餌を食べるのに夢中で何も言わない。その間にも、巨人はみるみる縮み、あっという間に種になった。私は手の中の種を見ながら、ほくそ笑んだ。


 「馬鹿め!怪しい訪問販売はこうしてやる!」


 私は種に変身した男をケージの溝に入れた。インコがそれを嘴でつつき、殻をむいてほうばった。これで10回だ。

 古今東西、変身した者に良い結末は訪れないと決まっているのだ。

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変身 やまもン @niayamamonn

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