第4話 それぞれの道

そして次の休み、私は彼氏の家にいた。


いつものように駅で待ち合わせをして、

いつもと同じイタリアンのお店でランチをして、

そして今、いつものように彼氏の家にいる。


ひとつだけ、いつもと違っていることは、2人が会うのは今日で最後だということ。


彼はソファーベッドに腰掛け、壁にもたれかかっていた。

私はカーペットの上にちょこんと座っている。


私はきっかけの言葉を探していた。


沈黙が続く。


いつからか私たちの会話がほとんどなくなっていた。

私が何か話しかけても

「ふーん」

とか

「へー」

で終わってしまう。


だからこの状況に彼氏は何の疑問も抱いていない。


例えばもし、彼がバンドマンではなく普通の正社員だったとして、このまま順調に結婚したとしても、きっと私が思う幸せは彼との生活の中にはないだろう。


私は思い出していた……。

送別会で寿退社した先輩が見せていた眩しい笑顔、左手の薬指に輝く指輪……。


「あのね、ずっと前から思ってたんだけど……」


私は重い口を開いた。


「ん?」


彼はベッドの上から私を見下ろした。


「私たち、もう別れた方がいいのかなって……」


私は彼を見上げたまま目をそらすことなく静かに言った。


「え? なんで?」


彼は驚いたように言う。

やっぱりこの人は何もわかっていない。


「だって……」


そんな単純なものではない。

嫌いになったわけじゃない。

だから理由をたった一言で簡単になんて言えない。


大学時代のケンカのこと、束縛はされたくないと言われたこと、会話がないこと、今まで溜め込んでいたことを全て話した。

でも、どれを挙げてみてもそれは別れる決定的な理由ではなくて、別れるための口実でしかなかった。


「俺は美愛と別れたくない」


涙なんて見せたことがない彼の涙を見た瞬間、私は彼に愛されていたんだと思った。

こんな日に愛されていたことを実感するなんて皮肉なものだ。

もっと早く思いを伝えられていたら……。

でも、もう戻ることはできない。


「もう、夢を応援できなくなったの。」


これは最後の切り札だった。


彼はうつむいたまま。


「そっか」


と呟いた。


彼の夢がどれだけ大きなものか私は知っている。

だっていつも隣で応援していたから。

彼のバンドのライブがあれば、私はチケットを買って見に行った。

たとえ、成功するのが氷山の一角だって、誰かに無理だと笑われたって、彼はその一角になるために田舎から上京してきて、今も活動しているのだ。生半可な気持ちでないことくらいわかってはいたけれど……。


「わかったよ。別れよう」


彼は震える声でそう言った。

私は自分から切り出したくせに、やっぱり夢には敵わないんだと、少しだけ落胆した。

心のどこかでほんの1mmだけ、夢より私を選択してくれることに期待していたみたいだ。


「今までありがとう」


まるで私は別れの定型文みたいな台詞を口にして立ち上がった。

彼はその場から俯いたまま動こうとはしなかった。


そのまま私は彼の家を出た。


涙が止まらなかった。


最後に知った彼の愛、失った存在の大きさ、今までの思い出、夢に敵わなかった自分の存在……。


さっき彼とランチしたイタリアンの看板がディナーメニューに切り替わっていた。


(もうここに来ることはないんだな)


私は後ろを振り返ることなく歩き出した。


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