第8話-② 優しい目覚め:東坂芽衣

 栄吾君、倒れてから起きる気配がありません。そろそろ一時間近く経つのですが……お疲れなのでしょうか。駅前のベンチまで運んでくれた駅員さんには感謝しかありませんね。


「……栄吾君?」


 名前を呼んでも何の反応も示さないので、つい悪戯心に火がついてしまいました。男の子にしては白すぎる、体調が心配になるほどの綺麗な頬をぷにぷにとつつき、それでもまだ起きないのを確認します。

 太ももに頭を乗せている栄吾君を起こさないように鞄から静かにスマホを取り出し、カメラアプリを起動し、僅かにあどけなさが残る寝顔を撮影しまくります。言っておきますが、寝ている栄吾君が悪いんですからね?

 暫くすると、カメラのシャッター音に気がついたのか、栄吾君がうっすらと目を開きました。


「あ、おはようございます♪」

「おはよう……?」


 きょとん、とした目で私を見つめてくる栄吾君。その顔は戸惑っているようにも見えました。何故こんな状況になっているのか分からない、そんな考えがひしひしと伝わってきました。


「芽衣、これは?」

「膝枕です」

「うん、それは分かる。何故?」

「何故って……あ、まだ起きちゃだめですっ」


 まさか自分が倒れたことすら覚えていないとは。別に私、そこまで刺激的な格好をしているつもりはないのですが……。

 栄吾君が恥ずかしそうに起き上がろうとしましたが、まだ起こすわけにはいきません。人差し指で軽く額を抑えると、それだけで栄吾君はまた私の太ももに戻りました。ちょっとくすぐったいですね。


「えっと……栄吾君が倒れてしまったので駅員さんにお願いしてこのベンチまで運んでもらったのです。さすがに私一人で栄吾君を運ぶのは無理だったので」

「左様で」

「なかなか起きなかったので膝枕をしてみました」


 そう答えると、栄吾君は安心したような笑みを浮かべました。


「介抱してくれてたんだな。迷惑かけてごめん」

「迷惑だなんて……栄吾君の寝顔も見れましたし、役得でした」

「そ、そうか」


 栄吾君の笑顔が眩しくて、言わなくていいことまで口にしてしまいました。不覚です。

 言い訳をしようと口を開いたのですが、私の口から飛び出したのはこんな言葉でした。


「栄吾君って男の子にしてはまつ毛長いんですね。それに思ったよりも肌が柔らかくてちょっとびっくりしました。ほっぺたぷにぷにしても起きなかったので、つい悪戯をしてしまいましたが、栄吾君の寝顔が可愛すぎるのがいけないんです。だから許してくださいね?」


 …………あれ?

 何で全部言ってしまったのでしょう。メイドとして主の前で嘘をつくわけにはいかない。そんな考えが染み付いているのでしょうか……?

 栄吾君は少し呆れたような目で私を見てきました。栄吾君の視線が刺さります。


「芽衣さん芽衣さん」

「はい、何でしょう」

「ほっぺたぷにぷにとは?」

「言葉の通りです。こうやって──」


 こうなったら全て正直に打ち明けるしかないのでしょう。説明するというのを大義名分に、もう一度栄吾君のほっぺたをつんつんできる訳ですし。

 そんなことを考えながらつついていると、隣に座っていた穏やかそうなご高齢の女性からくすくすと笑い声が聞こえてきました。栄吾君もそれで我に返ったようです。


「って再現しなくてよろしい」

「あ、もう少しだけ……」

「だーめ」

「むぅ……」


 キッパリ断られてしまいました。栄吾君、すごい気持ちよさそうな顔してたじゃないですか。

 仕方なくつつくのをやめると、じとっとした目で悪戯について追及されました。


「んで、悪戯ってのは?」

「うぐ、それは……」


 勝手に写真を撮っていたなんて、メイド以前に人として問題です。盗撮……みたいなものですし。そんな罪悪感もあって言えずにいると、お隣に座っていらした例の女性が穏やかな声で栄吾君にこんなことを言いました。


「その子、貴方の寝顔を撮影していたのよ。すごく楽しそうにしてたわね」

「あの!? ……って、あれ?」

「は、はぁ……」


 何故貴女がばらすのですか!? そうツッコミかけて止まります。聞こえてきた声が、どこかで聞いたことがあるようなものだったので。

 と、栄吾君から少しとがった声が飛んできました。


「芽衣」

「ひゃい!?」

「後でスマホのアルバムを確認させて頂いても?」

「断固拒否します」


 そればかりは譲れません。私のお宝なのです。

 顔を合わせているとスマホを渡してしまいそうだったので顔を逸らして必死に抵抗していると、漸く諦めてくれたようで、女性にお礼を言っていました。


「教えて頂きありがとうございます」

「いいのよ。それにしても、仲がいいのねぇ」

「ええ、まあ」


 女性は微笑んで、「お幸せにね」と声をかけて立ち去って行きました……と思ったら途中で被っていた帽子を外したのですが、その後の光景に驚かされました。

 だって帽子を脱ぐと同時に髪の毛までも取れたのですから。ですがすぐにウィッグであることに気がつきました──そして女性(だと思っていた方)の正体にも。白髪の下から現れたあの黒々とした短髪は、あの方しか有り得ません。そして聞いたことがある気がした声も、そう考えれば納得です。


「やっぱり……」

「え?」


 そう呟くと、栄吾君が見上げてきたのが分かりました。栄吾君にも言っておいた方がいいでしょう。


「えっと……今のお方ですが、豪紀様です」

「……速水家当主の?」

「はい」


 速水豪紀様──私がお仕えする蒼真様の父にして、私の雇い主です。お忍びだと思われますが、一体どこから?

 いえ、それよりも気にするべきは何も言わずに立ち去ってしまわれたこと。幸成様と同じく、私たちの関係を許して下さっているということでしょうか。栄吾君も同じことに思い至ったようで、少し緊張感の込められた声が聞こえてきました。


「見逃してくれたってことでいいんだよな?」

「はい、おそらくは」

「「…………焦ったァ」」


 あ、焦りました。というか豪紀様、老婦人の声真似が本物だとしか思えません。

 数秒後、気を取り直した栄吾君の声が聞こえてきました。


「じ、じゃあそろそろ行くか」

「体調はもう大丈夫なのですか?」

「ん、万全だよ」

「良かったです」


 体調が万全ということで、少し名残惜しかったのですが、膝枕から解放してあげます。

 栄吾君に続いて立ち上がり、駅の敷地外へ向かいます。栄吾君、覚えてないですよね?


「芽衣、豪紀様が仰っていたことについて色々と聞かせてもらうからな」

「……っ! 忘れていなかったのですか」

「当たり前だ」


 やはり逃げられませんか。ですが仕方ないですね。この取調べが終われば楽しいデートが待っているのですから、これくらい何でもありません。

 そんな訳で、私はおとなしく栄吾君に聞かれたことに正直に答えました。


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 本日五月十日は何の日かお分かりでしょうか。

 ……そう! この小説にピッタリな “メイドの日” ですよ!(五月→May、十日→ど らしいです)


 そんな記念すべき(?)メイドの日に運良く芽衣のお話です。メイド仕事を頑張っている彼女に免じて、よければ高評価よろしくお願い致します。m(_ _)m

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