第3話 小さな少女と

  天井を見つめながらこれまでのことを考えていた。


  小さい頃に憧れた戦隊モノのヒーロー憧れて飛んだり跳ねたりしていたことを。


  怪人を投げ飛ばすことに憧れて柔道を始めたことを。


  負けたことが悔しくって頑張って練習して勝てるようになってきたこと。


  初めて全国大会で優勝した中学2年のこと。


  部活内対抗戦でレギュラーを勝ち取った高校一年生の時のこと。


  インターハイで個人優勝したこと。


  団体戦で準優勝したこと。


  世界ジュニア選手権で三位になったこと。




  叔父に投げ飛ばされた仰向けで悔し涙を流したあの日のこと




  もう二度と投げ飛ばされる事がないことを…







 今日も回復に向けてリハビリをしている。

 もう歩くことは二度と無いというのにである。

 奇跡を信じて頑張っている?いや違う。


 よくテレビなんかで、下半身不随の人が奇跡的に歩けるようになったというのを見かけるが、あれは脊髄が多少傷ついた程度の人たちなんだとか。自分の場合は脊柱、さらに言えば腰椎の部分が粉々に砕けてしまった状態らしい。損傷ではなく完全損壊。


 回復なんてするわけがない。

 それでもリハビリをやめないのは何故か。

 一つは意地だと思う。


 障害に負けるもんかとかいう大層なものではなく、ただこれまでずっとトレーニングを続けてきたから今更やめるという選択肢が無いだけかのかもしれない。もしくはただの現実逃避なのかもしれない。何もしないでいると、色々と頭の中で考えてしまう。多分自分は耐えられない。そこまで自分は心が強くない。だから逃げているのかも。怖いから。


 そしても一つは、柔道部の仲間達だ。

 面会が可能になったあたりから部員たちがお見舞いに来てくれだ。数ヶ月ぶりに意識を取り戻したということで、凄く心配していたのだとか。


 そこで自分は嘘をついた。


 怪我はしたものの実は大したことがなく、夏までには普通に柔道が出来るようになると。家族には下半身不随のことは伏せておいて欲しいとお願いしていた。

 ただもしかしたらインターハイには間に合わないかもしれないけど、最後の決勝戦までには間に合わせ美味しいところを貰っていくぞとみんなに行って聞かせた。それを聞いて部員たちはおどけるように笑ってみせた。お前に美味しいところなんてやらねーよと。俺たちが優勝した瞬間を羨ましそうに眺めてやがれ!と。それを聞いて自分も笑ってみせた。ぬかせっ!と。


 部員には迷惑をかけられない。自分が抜けてもこのチームは強い。優勝も狙えるだろう。なので全力でトレーニングに励んで欲しい。自分に気をやって練習を疎かにして欲しくない。足手まといなんて死んでもごめんだ。


 そんな意地で、元気をよそおうために今日もリハビリを続けている。







 その日も、ただひたすらにリハビリをしていると、見慣れない一組の夫婦が面会に来た。最初は誰だか分からなかったが、女性にはどこかで会ったことがあるような気がしていた。


「えっと、すみません。どちら様でしょうか…」


 誰だか思い出せないので、名前を訪ねようとすると母親が変わりに答えてくれた。


「瞬、この方達は檜山さんご夫妻よ」


「檜山さん…?えっと…」


 名前を聞かされてもいまいち思い出せないでいると、檜山と紹介された女性が、思いつめたような表情でこちらに顔を向けてくる。


「あの日…、篠崎さんご家族とバスでご一緒にさせて頂いた者です。」


「バス…、あっ!」


 そうだ、どこかで見覚えがあると思っていたらあの日、帽子を被った女の子、檜山美希の隣に座っていた二人だ。


「美希ちゃんのお母さん!」


 まさかまた会うことになるとは思っていなかったので凄く驚いてしまった。それにわざわざ見舞いに来てくれるとは。

 そう考えているといきなり二人は深々と頭を下げてきた。


「誠に、誠に申し訳ありませんでした!!」


 鬼気迫るとはまさにこの事だと言わんばかりの勢いで、声を張り上げて謝罪してきた。母親のほうは今にも崩れ落ちそうな身体を必死になってこらえて頭を下げているという感じである。


 いきなり深々と頭を下げて謝罪され、戸惑ってしまう。理由が思い浮かばない。そこでふと帽子を被った女の子が頭を過った。今更ながらすっかり忘れていたが、彼女も同じ事故に巻き込まれていたのだった。彼女は大した大怪我もなく数日後には退院したと聞いてすっかり安心して今の今まで忘れていたのである。自分の事で精一杯で小さい子のことを忘れていたなんて、なんて薄情なヤツだと自分でも呆れ果ててしまう。

 その恥ずかしさを紛らわせようと慌てて話題を切り替える。


「あ、あの、頭を上げて下さい!それより、美希ちゃんの身体の調子はどうですか?話によると大した怪我もなく数日後には無事退院出来たってお聞きしたんですが。」


 するとようやく頭を上げてくれた二人がお互いの顔を見合わせ、そしてまたこちらを伺うように顔を向けてくる。


「はい、篠崎さんに庇って頂いたおかげで、命に別状はありませんでした。その後身体の方は無事回復していきました。本当に有難うございました。」


 そして再び頭を下げてきた。


「そうですか。怪我がないようで安心しました。無事でよかったですね。」


 そう言うと二人は思いつめたように顔を見合わせ、何かを言おうとしていた。


「それで実は…」


 そういって父親の方が自分の顔を見た後、入口の方に視線を向かわせた。

 つられて入口の方を見るが特に変わった様子もない。


「……あ、もしかして、美希ちゃんも来てくれたんですが?」


 そう尋ねると少しの間を置いた後に母親の方が小さく「はい…」と答えてくれた。


「美希も来ていますので、会ってやって、下さいませんか…。」


 父親が消え入りそうな声でこちらに語りかけてくるので、肯定の意を伝える。

 すると母親が入り口の方へ向かっていきそのまま廊下まで出ていった。そしてなにやら向こうで会話するような音が聞こえてくる。おそらく外で待機していた美希ちゃんと母親が話しをしているようだ。


「すみません…」


 しばらくしても二人が室内に入ってくる様子が見られないと、父親がそういって謝罪してきた。


「あ、いえ、大丈夫ですよ。」


 そうしてしばらく待っていると、二人が入り口から姿を表した。

 母親に手を繋がれて、小さな女の子がこちらに向かって歩いてきた。

 久しぶりだね。そう声を掛けようとして思わず声が詰まる…。



 バスで会った女の子は、ピーポくんを腕に抱え、大きな帽子を被った女の子はその可愛らしい顔でこちらに笑顔で話しかけてくれた。思わずこちらも笑顔になってしまうよな素敵な笑顔だった。





 その女の子の顔に大きな傷跡がついていた。




 額の右上、こめかみに近い位置から頬にかけて大きな裂傷がみられた。事故から数ヶ月が経つというのに未だ完治していない様子から、かなり深い傷だと容易に想像がつく。数十針縫ったであろう傷跡は今なを痛々しい形で女の子の顔に刻まれている。


「あ、あの… あ、あの…」


 女の子が消え入りそうな声で何かを喋ろうとしているが、上手く言葉にすることが出来ない。それでも、なをこちらに話しかけようと頑張っている。


 何が大した怪我じゃないだ。


 何が無事で安心しただ。


 自分の浅はかな考えに嫌気がさす。


 物凄い不快感と自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだ。


 思い返してみると、記憶にあった女の子は頭から血を流して倒れていた。そのおびただしい量の出血で無事なはずがない。少し考えれば誰でもわかることだ。


 なのに自分は無神経にも彼女の両親に対してなんと言った?


  「「大した怪我もないようで良かったですね。無事で安心しました。」」


 無事なものか。女の子にとって顔は命だ。そんな女の子にこれ程まで深い傷が刻まれているのだ。おそらくこの傷跡は一生残ってしまうだろう。どれほどショックだっただろうか。どれほど傷ついただろうか。想像を絶する苦しみだろう。あの時、もっと頭を抱きかかえるように庇っていれば、もしかしたらこんな傷付かなかったかもしれない。もっと上手く庇えたのではないだろうか。自分の至らなさに、罪悪感で心が引き裂かれそうだ。


 なおも喋ろうとしている女の子の方に、身体を近づける。下半身が動かないので大した動きではないが、それでも精一近寄ろうとする。女の子も方もおずおずとしながらもこちらに近寄ってきてくれる。ベッドの側まで来た女の子の手を両手で包み込むと自分の胸の方まで手繰り寄せる。



「…ごめん」


 逃げ出したくなる気持ちをぐっとこらえてなんとか声を絞り出す。


「ごめん、俺がもっと上手く庇っていれば、そんな傷が付くことなんてなかったのに…」


「……」


「今更謝ったところで傷が消えることなんてないのに…。許してなんて言えないけど…。でも…それでも、」



「うわあぁあぁっっぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっぁあぁあぁぁぁ」


 突然女の子が号泣しだした。それまで小さな声で何かを喋ろうとしていた時とはまるで違う、感情という濁流が溢れ出したかのようにその泣き声は止まることはない。テレビの音量が壊れたのかと錯覚するぐらい、小さな女の子が出しているとはとても思えないような大きさで泣き続ける。


「うあぁぁぁごべんなぁぁあざいいぃっっうあぁああああ」


 時折繰り返される謝罪のような言葉ももはや聞き取れないぐらいの叫びだった。


 自分の中で何かか外れる感覚がした。

 これまで必死に抑えていた何か。必死に誤魔化そうとしていたモノ。決して外に出さないように内側に留めていた溜まりのような何か。それらのものが、いいよのうのない何かが自分の中で壊れて。



 

 決壊した





 「うぅっ ぅぅう  っっぁぁああああああああああぁあああああ」

 

 女の子を力いっぱい抱きしめ、言葉にならない叫び声を上げながら号泣した。


 もう自分では抑えることが出来ない。感情が爆発して制御することが出来ない。自分で何を考えているのかすらもわからない。悲しみや寂しさだけではない、ありとあらゆる感情が自制という枷から解き放たれそれらが全部ごちゃまぜになって叫びとなって外に吐き出されていく。


 自分と女の子はお互いの叫びを相手にぶつけるかのようにただただ泣いていた。

 お互いを抱きしめるように、お互いの身体に顔を埋めるように。

 今は泣くことしか出来ない。


 女の子の母親はその場で崩れ落ちるようにして床にうずくまり声にならない声をあげて泣いていた。女の子の父親はそんな母親の方に手を当てて、大粒の涙を堪えるように泣いていた。

 自分の母は両手で顔を覆い嗚咽を漏らしていた。

 病室にはただただ泣き声だけが響いていた。







 今まで溜まっていた感情を外に吐き出したおかげで、かなりスッキリすることが出来た。モヤモヤが全部なくたった訳ではないが、以前よりだいぶマシになったと思う。

 女の子、美希ちゃんはというとお母さんの膝の上でぐっすり寝ている。彼女もずいぶんと溜まっていたらしい。


 彼女のお母さんから事故のが起こってからの、その後の状況を教えてもらった。

 その話を聞いて自分はどうしようもない憤りや悲しみ、怒りが沸いてきた。



 事故が起きた後、彼女の様態はそこまで酷いものではなかったという。確かに顔に大きな傷跡が出来たのは悲しかったが、あの状況で命が助かっただけでも運が良かったと両親は思うようにしていた。実際女の子も多少気にはしていたがそれほど気落するでもなく、逆にこちらの安否を気にかけてくれていたという。


 しかし、ある日を堺に状況が一変した。


 今回の事件を嗅ぎ付けたマスメディアが取材に殺到するようになった。

 高校生が事故から小さい子を庇って重体。いかにもメディアが好きそうな題材である。だが、ただそれだけだったならばそこまで注目されることはなかったのかもしれななかった。


 それは自分という存在が原因だった。


 小さい頃から柔道をしていて、小学校高学年の頃から全国でも優勝するようになり柔道界隈ではある程度名の知れた存在になっていった。叔父が世界選手権で優勝経験のあるトップ選手ということもあり、取材も受けたことがあった。そして前回の世界ジュニア選手権でメダルを獲得したことで一般ニュースでも取り上げられた。次世代の日本を背負って立つ有望選手と放送されていたらしい。


 そしてこの事故である。


 メディアはこぞってニュースや報道でこの事故を取り上げた。日本を背負う優秀な少年の悲運な運命。まるで悲劇の主人公であるかのように。


 しかし当の本人である自分は意識不明の重体である。取材など受けることなど出来ようはずもない。それに叔父の力添えもあり病院に押し寄せるメディアを完全にシャットアウトした。

 しかし、これで納得できるマスメディアではなかった。こんなおいしい話を手放せる訳がなかった。そこで彼らはある行動に移った。


 檜山一家に取材で押しかけかのだ。


 それは凄まじいものだったらしい。家の周りを報道関係者が取り囲み無神経に騒ぎ立てる。それは小さな女の子にまで押し寄せた。

 未成年の場合、加害者の人権は法によって守られるが、被害者の人権が守られることはない。幼い子にカメラやマイクを向けてくる姿は異様なものである。しかしメディアが止まるということはない。彼らの取材は家だけではなく小学校にまで及んだ。彼女が通う小学校にまで押し寄せ学校に通う生徒や教員にまでコメントを求めた。


 そしてスタジオではよくわからない評論家なる人種たちが事件について上から目線であれやこれやと無責任なことを言って放つ。自身の言葉に責任を持たずに言いたい放題である。ああすればよかった、こうすれば回避出来たなどの結果論を偉そうに述べる。


 そんな状況に小さな女の子が耐えられるはずがなかった。

 次第に学校を休みがちになり、ついには完全な不登校になってしまった。

 周りから奇異の目でみられるような錯覚が常に自身を覆い、まるで加害者のように扱われる。じっさい心無い誹謗中傷で攻撃的な言葉をかけられることもあったらしい。いつしか彼女は家からまったく出られなくなってしまった。

 彼女の両親もかなりのバッシングを受けていた。それでも二人は娘を守るため必死に堪えていた。それでもはやり相当辛かったらしい、心身ともに参っていた。

 そしてつい先日、自分の意識が回復したと連絡を受けた。

 本来であればすぐにお見舞いに駆けつけ謝罪したかったらしい。しかし様態がまだ安定しないのですぐに面会出来るわけではなく、それに娘の体調もある。いきなり外に出ることは難しいかったので、少しずつ様子をみながら、今日やっとの想いで病院まで来れたらしい。


 そんな話を聞かされて、どうしようもない感情で、心が締め付けられる。

 彼女の方に視線を向けると、今は母親の膝の上でぐっすり眠っている。穏やかな表情だ。きっと今までゆっくり眠ることすら出来なかったのであろう。

 


 女の子が起きるまで色々と話しをして、しばらくして目が覚めたのでそろそろ帰るということになり別れの挨拶をして帰り支度をする。


「それではこれで失礼いたします。篠崎さん、本当に申し訳ありませんでした。また後日お見舞いに伺わせていただきます。」


「いえ、檜山さんも今日は有難うございました。」


 女の子は声には出さずこちらに顔を向け、頭を下げて挨拶をする。

 そんな彼女に答えるように挨拶をする中で、あることが頭をよぎる。

 彼女が置かれている状況をなんとかすることは出来ないだろうか。おそらくこのままでは学校に行くことも難しく家から出るのも辛いだろう。


 ふとバスの中での会話を思い出した。彼女はとっても楽しそうに会話をしていた。おそらく話すのが好きなのだろう。笑顔で色々と話してくれたことを。


「ねえ、美希ちゃん」


 女の子が振り向いてこちらを見てくる。


「あのね、お兄ちゃんさ、実は話し相手がいなくってすっごい寂しいんだ。だからさ、美希ちゃんが良ければなんだけど、お兄ちゃんとお友達になって、お話し相手になってくれないかな。美希ちゃんと話してるととっても楽しいんだ。…ダメかな?」


 彼女はこちらを見た後、しばらく俯いたままだった。その後しばらくしてからこちらに向き直りか細い声で返事をした。


「……ぅん」



 そして彼女と友達になった。

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