第2話 目を開くとそこには知らない天井が広がっていた。

 目を開くとそこには知らない天井が広がっていた。

 しかしうまいこと頭が回らないのか上手く状況を理解することが出来ない。身体を動かそうとするがこちらも自分の身体じゃないかのような感じがする。

 意識が定まらない中なんとか顔だけを動かしてみると、ここが自分の部屋で無いということが分かってくる。


 周りを見てみるとベットの周りを白いカーテンが覆っている。

 ベッドの左側には液体の入った透明な袋が吊るされており、そこから流れる細い管が自分の左腕へと続いている。それが点滴だと理解するのにしばらく時間がかかった。


 ここが病院なのだと理解出来するころにはさらに時間がかかった。未だに定まらない頭を無理に使おうとしたせいか、ふいに意識が遠のく感覚が身体を襲う。

 流れに身を任せるように意識を手放した。




 ぼんやりとした意識の中、白を基調とした天井が目に入ってくる。

 以前見たことがあるような気がするがあまりよく覚えていない。なんとなく気がするという程度である。

 なぜ自分が知らない部屋で寝ているのかいまいち理解出来ないが、それよりも気になるのが腕に付けられている点滴だ。

 点滴をするのなんていつぶりだろう。あぁ、小学校低学年の頃インフルエンザにかかった時にしてもらった時以来だ。

 

 ふと喉が乾いている事に気がつく。喉の奥がパサパサして乾いている感じだ。

 水を飲みたいと思い起き上がろうとして力を入れるが上手く力が入らない。

 一度気になってしまうとなかなか収まらない。喉の渇きはどんどん大きくなっていくように感じる。


 水が欲しい。


 あたりを見回すと、そこで初めてここに居るのは自分だけではないという事がわかった。

 ベッドの隣の椅子に両手で本を持って読書をしている母親がいた。

 若干こちらに背を向けているせいかこちらに気がついていない。

 そうしている間にも喉の渇きは強くなっていく。声を出そうにも喉が張り付いたような感じで上手く喋ることも出来ない。

 

「…ァ ゥウ…」


 声というよりもただ喉から空気を吐き出すと行った方が正確だろう。

 それでも声を出そうとしていると、ふと母親がこちらに視線を向けた。


 最初はなんでもないような雰囲気でこちらの顔を見ていた。その顔にはあまり表情がみられない。しかししばらくするとそんな表情が一変した。

 今まで消えていた、すべての感情がまるで爆発したかのような表情をその顔に移し大声で何かを喋っている。

 まるで蛇口の栓が壊れたかのように涙やら鼻水やらが酷い。

 

 そこでふと昔の自分を思い出した。

 

 初めての柔道教室でこてんぱんに負け悔しくて顔がぐしゃぐしゃになっていた自分を。

 あぁ、似たもの親子なんだなぁ思い少し可笑しくって笑ってしまった。

 

 しばらくすると、少しおかしい事に気がつく。先程から母親が何か喋りかけてきてくれているのだが、何を話しているのかよくわからない。話してる内容がわからないというより上手く声が聞こえないという感じだ。幾重にも重なった扉の向こうから話しかけられているようなくぐもった音しか聞こえてこない。


 そこに看護師やら医者やらが病室に入ってきて母と話したりこちらに話しかけてくる様子だが、こちらもよく聞き取れない。どうやら母が何を喋っているのかわからないのではなく、自分の耳が少しおかしいのだと理解できた。そうしていくらか話し終えた医者と看護師がこちらを診察するようにあれこれと色々見て回り、その後また母親と話たあと病室を後にした。


 いい加減喉の渇きが辛くなって来たころ、それを察したのか母親が吸い飲みを口に近づけてくれた。察してくれたことに感謝しながら吸い飲みに口を付けて中の水を飲み込む乾いた身体に染み渡るような感覚でなんとも言い難い多幸感が体全体に広がる。

 

水を飲めたことに満足していると、意識が遠のく感覚が身体に迫ってくる。次第に目がを閉じていくなかで母親を見ると、幸せそうな顔をこちらに向けて手を握ってくれているのが見て取れた。そんな母の顔を見ながら少しずつ意識を手放した。





 それから数日が経過した。


 最初は上手く喋れなかったが、長いこと喉を使っていなかったので上手く喋れなかったのだと医者に教えてもらった。

 耳も同様にしばらくすると普通に声や音が聞き取れるようになっていた。


 そしてなぜ自分がベットで寝ているのかということを教えてもらった。

 事故から約3ヶ月ほど過ぎているということも。


 数日前まで目が醒めることはなく家族にものすごく心配をかけてしまったこと。

 そんなにも長いこと寝ていたのかと驚いたが、それよりも別のことが気になってそれどころではなかった。


「あの子は!? あの赤い帽子を被った、バスで隣に座っていた子!」


 朧げながらも記憶を辿ると、頭から血を流して倒れていた子が頭に浮かび上がる。

 もしかしたらあの子も自分と同じように重体だったのだろうか。


 それとも、もしかしたら…


 動かない身体をなんとかして母親の方に向けて話を聞こうとする。

 すると母親が笑顔で、しかしどことなく何か、詰まるような表情で答えてくれた。


「ミキちゃんなら大丈夫よ。その日のうちに目を覚まして、事故から一週間後には退院できたわ。」


 どうやら大した怪我もなく無事に退院しいまでは普通に学校に通っているようである。

 その言葉を聞いてどっと安心して全身の力が抜けていってしまった。

 もし取り返しのつかないことになってしまっていたら、寝覚めが悪いなんてものじゃない。罪悪感に苛まれながら生きていくことになったかもしれない。


 あの帽子の女の子…、檜山美希という名前の女の子は無事大きな怪我ををすることなく退院できてよかった。一安心だ。


「ミキちゃんも無事退院出来たことだし、後は俺が元気になるだけだな」


 そう言って自分の身体を見下ろす。いまだ身体を動かすことは叶わないが、何ヶ月も寝たきりだったのだ、いきなり動けるわけがない。

 医者からも今は筋力が著しく低下しているから、少しずつ身体を動かして筋肉を付けていこうと言われた。


 たしかひと昔前の宇宙飛行士も長いこと無重力にて地球に帰還したら歩くことすら出来ないくらい筋力が低下したと言われているし、使わない筋肉は衰えるのは仕方がない。

 だが別にそれだけだ。筋肉が無くなって死ぬことはない。これからめいいっぱいトレーニングして前の状態に戻すだけだ。


「流石に、春の全国には間に合わないよなー…。ま、起きちゃったことは仕方がないか。でも夏のインターハイにはなんとかして間に合わせたいな。」


 先輩とも約束したし、次のインターハイは絶対に全員で優勝するんだ。そう再度心に誓う。

 あとジュニア選手権もある。もうあんな悔しい思いは二度としたくない。

 もっともっと練習して、叔父さんに勝てるぐらい強くなってみせる。

 早く退院して柔道の練習を再開しなければ。


 






 それから更に数日が経過していった。

 最初は指もまともに動かせなかったが、毎日動かすようにトレーニングしたおかげで今では普通にする分には不自由ないまでに回復していた。

 身体も起こすぐらいなら一人でも出来るようになってきた。


 まだ流石に歩くのは無理だがそこは仕方がない。ものには順序がある。寝たきりの状態からいきな80キロ近くある体重を筋力が低下した足で支えられるわけがない。

 でもたった数日で状態を起こせるまでには回復してみせたし、あと数週間もあれば歩けるようになるかもしれない。

 リハビリは凄く大変だけど、柔道の地獄の特訓に比べたら別に大したことない。身体が思うように動かせないもどかしさがあるが、それも少しずつ進んでいこう。




 そこからさらに数日。

 まだ歩けはしないものの、かなりのところまで回復していった。

 今ではそこそこ重い物も両手で持ち上げることも出来るようになっている。

 腕だけで身体を支えることも出来るぐらいだ。この回復ぶりに医者や看護師も物凄い驚いていた。

 トレーニングすることに関しては実は結構自信がある。どんなに辛い練習も音を上げずにやってきた経験がここにきて訳に立っている。


 叔父さんには本当に感謝しかない。地獄の特訓を味あわせてくれてありがとう。

 あまりの地獄っぷりに当時ちょっぴり呪い祟ってやろと考えたりしたことは内緒だ。

 流石にもう時効だよね?





 翌日、叔父が朝一番に面会に来てくれた。

 本当は目覚めたその日に父から連絡を受けていたのだが、流石にまだ面会出来る状態ではなく、また警察官である叔父が仕事を休むわけにもいかず、休日まで面会に来れなかったのである。

 病室に入ってきた叔父は今まで見たことがないような表情をしていた。そんな表情を見て、少し可笑しくなってしまった。

 あの巌のような男でもこんな顔をするのかと。

 まぁ、甥っ子が事故で意識不明だったのだ。そんな表情もするだろう。

 笑いをこらえつつ、明るい声で挨拶をする。


「おはよう叔父さんっ。お見舞いに来てくれたんだ」


「し、シュン!! お前 いや、それよりもう起き上がっても平気なのか?」


 叔父が心配したよな表情てこちらを見てくる。そこで両腕を上げて力こぶをつくるポーズをしてみせる


「うっしっし!この通り。だてにあの地獄の特訓を生き抜いてきたわけじゃないよ。」

一瞬くぐもった表情になったがすぐに笑顔を見せた叔父が近づいてきて頭をグリグリしてきた。


「なんだぁ?生意気言いやがって、このやろうっ!!」

「ちょ!いたっいたたたた!! こちとら病人だぞっ!!このっ!」

「うるせえ!お前なんて袈裟固め地獄の刑だ!!」

「あたっ!あたたたたああああああ!!!」


 最初はあたふたしていた母親もこのいつものような雰囲気に次第に笑顔になっていき、最後の方には声を出して笑っていた。

 まるで今までの生活が戻ってきたかのように。



 後で病院では静かにと看護師さんに二人揃って叱られたのには参った。







 そこからさらに数日。

 自分でいうのもなんだがかなりの回復力だと思う。

 筋力もそれなりに回復してきたし、一般人までとは行かないがそこそこまで来ていると思う。


 でもいまだ歩くことが出来ない。

 上半身に比べて足の治りはよくない。

 いや、足だけではない。




 下半身がまったく回復していない。




 もしかしたらうすうす感づいていたのかもしれない。頭の片隅では理解していたのかもしれない。

 でも、心がそれを否定していた。

 きっと今だけだ。もっとリハビリを頑張ればきっとまた歩けるようになる。

 また柔道が出来るようになる。

 そう自分に言い聞かせるように、柔道のトレーニングのように、いやそれ以上にリハビリに力を入れていた。

 まだ団体戦でインターハイを制していない。

 世界ジュニア選手権もまだ制覇していない。





 まだ叔父に一度も試合形式で勝てていない。





 まだまだやらなければならないことが沢山ある。

 こんなところで寝てなんていられない。

 もっともっと頑張らなければ。

 まだこんなとこれは終われない。

 諦めちゃ駄目だ。



 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ














 頚椎損傷による下半身不随だと聞かされた。

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