第26話  清水寺 ~寺籠(ごも)り~


 中宮様は、内裏にいらっしゃった長保元年のしばらくの間、主上様のお側で本当にお幸せそうでございました。離れていらっしゃった時でも中宮様のお顔に主上様のことでご心痛の色があらわれたことは一度もございませんが、私に中宮様のお心の奥がわかるわけではありません。それゆえにあれこれと思いをめぐらすのもつらく、内裏でお仕えする間は昔に戻ったような心の平安をおぼえるのでした。

 中宮様は「たとえ姿はお会いできなくても心はお会いしているのよ」と、よくおっしゃいました。内裏で一層深められた主上様とのお心の絆を持って、中宮様は御自ら再び職の御曹司しきのみぞうしへお移りあそばしました。私たちもお供をして職へ戻った五月は、その後訪れる新たな受難をまだ知らずにいた最後の月でした。

 あれは月もない真っ暗な夜。

「女房方は参上していらっしゃいますか」

 庭の方で大勢の声がいたします。

「いつになく、さわがしいことね。出てみなさい」

 中宮様が仰せになるので、私が参りました。

「これは誰ですか。たいへん大げさに騒いでいる声は」

 呼びかけると、御簾みすが持ち上げられて差し入れられたのは呉竹くれたけの枝でした。

「まあ、『この君』だったのね」

 殿上人てんじょうびとのいたずらがかわいらしく風流に思えて、ちょうどぴったりの言葉が浮かんできたのでした。王羲之おうぎしの歌だったかと思います。すると殿上人たちは、

「行こう、これを殿上の間で語らねば」

 と皆騒いでお帰りになってしまい、そこには行成様がお独り立っていらっしゃいました。

「おかしなことだな。『竹を題として歌を詠もう。どうせなら職の御曹司へ行き、女房など呼び出して』と言ってやって来たのに、呉竹の名をすばやく言われて散って行ってしまったのは。あなたはいったい誰から教えてもらって、そんなことを知っているのですか」

「さぁ、私は竹の名など存じません。本当におかしな方々ですね」

「そうだろう、ご存知あるまいとも」

 行成様は澄まして仰います。私より十歳ほどもお若くていらっしゃいますが、やはりさりげなく相手を楽しませたり感心させたりなさる、頭の良いお方です。

「ところで先ほど参上したところ、中宮のお顔色が良くないようにお見受けしたが」

 ふと、行成様は心配そうに仰います。

「暑さのせいではないでしょうか。さほどの心配には及ばないでしょう」

 私は、ほほえんでお答えいたしました。

 数日前、中宮様がお身体の不調で職の御曹司へお移りになることをご決心あそばしたときには私もご心配申し上げましたが、それはご懐妊によるものだとわかったのでした。とはいえ、中宮様はもとより夏にはお弱く、その上つわりも重いようです。

 けれどもそのおかげで、直後に起きた内裏焼失という災難をお免れになったのは、御仏のご加護と思わずにいられませんでした。六月から七月の末にかけて、中宮様はほとんどお食事もお取りにならず、ことさらの長いつわりに悩まされておいででした。私はいてもたてもいられず、清水寺へお籠りをしに発ちました。

 旅の途中で見るもの聞くものには心が留まり、歩く道すがらこれまでのことが振り返られて、無心で前に進むことなどできそうにもありません。思い立って参詣をするのは、これが二度目でございました。

 一度目は長徳二年の二月。伏見稲荷に詣でたのは、伊周様、隆家様のご処遇が決まる前の御祈願でした。里の家から暁(あかつき)には出たものの、やしろの坂の中腹あたりですでに昼近くになっておりました。普段着姿の同じ年配の女が坂を下りてきて、道で会った人に「私は七度詣をしています。もう三度参詣してしまいました。あと四度は何でもないことです。夕刻前には下山してしまうでしょう」と言っているのを聞いたときには、あの女の身とたった今変わりたい、と感じたものです。うらやましくて。

 うらやましいものといえば、私など経を習っていても覚えられなくて、同じところを何度も読むのに、法師は楽にすらすらと読んでいること。いったい、いつあの人のようになれるのだろうかと。気分が悪くて臥しているときに、何の屈託もなく笑って話しながら人の歩き回っているのもひどくうらやましい。中宮様も、今そのようなご胸中でしょうか。また、本当に世間を思い捨てている僧も。

 ああ、このようにあれこれうらやましく思う私は、まだ精進が足りないのでしょう。そんなことなど考えながら清水寺の坂にさしかかると、柴を焚く香りがしみじみと似つかわしく漂ってくるのでした。

 清水寺に逗留している間に、私は二通の文を受け取りました。いずれも和歌が詠まれておりました。最初に来た中宮様からの御歌はすばらしいものでした。


  山近き 入相いりあいのかねの声ごとに 恋ふる心のかずは知るらむ


 傍らには「なのに、ずい分の長居なのね」と書き添えてありました。失礼に当たらないような良い紙など用意していなかったので、紫色のはすの花びらに返歌をお書き申しあげたのでした。


 打つかねの音は届けずやわが心 朝な夕なに祈り馳せしを


 その後すぐに届いたものは、行成様からでした。


 思ひきや山のあなたに君を置きて独りみやこの月をみむとは


 ずい分意味ありげな歌だことと思い、そのままにしておきました。後で行成様から、このお手紙のいきさつをお聞きした時には笑いましたが。

「いやぁ、あの歌は中宮がご命じになったのですよ。こっそり私に使いをおやりになってね。これに似たような歌を少納言に送れと。中宮の御製はまるで恋歌ではないですか。他の歌でさえ、めったなことでは詠まないのに、まして・・・。いや、ひどく恥ずかしいなあ」

 顔を真っ赤になさったのでした。

 「それにしても、中宮はよほどあなたを恋しく思われたのだろうね」

 草子に記すのは、中宮様のお心のこもった御製の歌だけで十分でございましょう。


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