第13話  草の庵 ~明暗の日々~


 女人ばかりで暮らす宮中におりますと、噂話はあちこちから生まれ飛び火し、中には火種さえなくてもなかなか消えないやっかいなものもありました。経房君つねふさぎみと私とのことを、あれこれと詮索する人が出てまいりました。

 そういえば実方さねかた君のご存命中にもこんなことがありました。陸奥守むつのかみとして、下向げこうなさると人づてに聞いたときにはもう疎遠になってはいたものの、本当に遠くへ行ってしまわれるのだとしんみりとしていると「少納言様もいっしょに陸奥むつへ下られるというのは本当ですか」

 名も知らぬような新参の若い女房に不意に訊かれ、「どうしてそんな思いもよらぬことを」といった意味の和歌を詠んで返事としたのでした。男女のこととなると勘のはたらく兵部ひょうぶの君あたりから出た噂話かもしれません。

 実方君とはともかく経房君とは何もございません。仮に噂が事実であったとしても、こういった女房と殿上人との噂はとくべつなことでもないのですが、頭中将とうのちゅうじょう斉信ただのぶ様はどういうわけかひどく気に入らないご様子でした。私が通るときなどは顔を背けたり、黒戸をお通りになるときも私の声がすると袖で顔をふさいだりなさいます。殿上の間でも悪口を言っていらっしゃると経房君がお話されました。

「まぁ、経房君と私の仲を引き裂こうというのかしらね」

「そのような仲には決してなってくださらないのになぁ。噂になるくらいなら本当のことにしてしまいましょうか」

「そのようになってしまっては、私はかわいい弟君を失うことになってしまいます」

「姉君には、かなわないようだ」

 二人で笑ったきり斉信様にはとくに弁解も申し上げず、気にとめることもなく過ごしておりました二月の末頃。宮中の物忌ものいみに上達部かんだちめが集まっていらっしゃった中に、当然ながら斉信様も混じっておいででした。私の局で呼ぶ声がしますので、経房君かと思って出ると別れた夫の則光のりみつです。則光は、今は斉信様に仕えるようになった関係で用事の折など私の局を訪ね、子の則長の様子を伝えてくれます。というよりは、私に復縁をせまってくるのでした。

 その則光が、雨の中何の用だろうといぶかしく思いました。

「頭中将が、あなたのことを『ひどくにくらしいけれども、やっぱり物足りなくて寂しい感じがする。何か言ってやろうか』とおっしゃっているよ」

 にこにこしています。元妻が自分の主に嫌われていることに胸を痛めていたのでしょうか、自分の立場が無いと思っていたのでしょうか、それともまた迫ってくるのでしょうか。

「それは雨の中、ご苦労さまなことでした」

 自分でも冷たいとは思いながらも、何事もずるずると引きずることが嫌いな性質なのはどうしようもありません。憎みあって別れたというわけではないだけに、このように会っていると曖昧な関係になりそうなのです。殿上人は皆、私たちが夫婦だったことをご存知なので、則光は「きょうだい」というあだ名で呼ばれたりもしています。勤務中でもあったためか則光は、すんなりと帰っていきました。私は斉信様の今までのご様子だと、何か言ってこられることなどはあるまい、と思っておりました。

 それから夜になって参上したところ、中宮様はすでにご寝所に入っておいででした。がっかりして所在なく炭櫃すびつにあたっておりますと、主殿司とものづかさが華やかなふうに名乗りをあげて私を呼ぶ声がいたします。

「今こちらへ伺ったばかりなのに、殿上からいつのまに用事ができたのか」

 控えている女房に聞かせると、私に直接申し上げるべきことがあると言っているようです。出て行ってたずねると、頭中将斉信様からの手紙を持って立っているのでした。

「『直接渡して、返事をすぐにもらって来い』と仰せですので、お待ち申し上げます」

「追っつけ、ご返事いたしましょう」

 ひどく私をお憎みなのに、いったいどんなお手紙なのだろうと気になるけれども、懐に入れて中へ引っ込んでしまいました。また女房同士の話に加わっていると、主殿司は引き返してきたようです。

「『お返事がないのならば、さっきの手紙を頂戴して来い』とお命じになりました。早く、早く」

 それで、懐に入れた手紙を開いて見てみると、青い薄様うすようの紙に、漢字で美しくお書きになっていましたが、特別どきどきするような内容でもありませんでした。

「欄省ノ花ノ時錦帳ノ」

 と書いて、「末の句はいかに」と書き添えられています。こんな時、中宮様がいらっしゃったなら、すぐにお見せしてご相談するのにと困惑いたすうちにも、主殿司は急かします。この句の末は「廬山ノ雨ノ夜草庵ノ中」だと浮かぶけれども、そのままお返事するのも、ただ答えを知っていますということをひけらかすようです。思案する間もないので、半ば開き直ったつもりで、炭櫃の中から消えてしまっている炭を拾って、斉信様のお手紙の端の方へ書きつけました。

「草の庵をたれかたづねむ」

 斉信様からは、それっきり返事の来る様子もございませんでした。

 夜が明けてすぐ局に下がっていると、源中将げんのちゅうじょう宣方のぶかた君のお声が高らかに聞こえます。

「草の庵はいるか、草の庵はいるか」

 何やら昨夜のことのようです。

「そんな変なみすぼらしい者がどうしておりましょう。『玉のうてな』とお呼びいただければお答えもいたしましょうが」

「やれやれ、局にいらっしゃってよかった。探し回るところであった」

 宣方君は斉信様にいつもくっついていらっしゃいます。昨夜の、斉信様の宿直所とのいどころでの話を私に一部始終聞かせるために、わざわざこんな朝早くからいらっしゃったのでした。

「殿上人や蔵人くろうどが、斉信様のところへ集まっていて思い出話や世間話をしていると、『やはりこの女は絶交してしまうのには惜しいような気がする。何か言ってくるかと思っていたが知らん顔だ。まったくしゃくにさわるから、今晩どうするか、はっきり決着をつけてしまいたい』と突然言い出されました。皆、一瞬きょとんとなったのですが『ああ、清少納言ですね』と誰かが言って納得し、皆で『ああでもない、こうでもない』と考えてあの手紙を寄こしたのです。二度目に使いが戻ってきて、同じ手紙を差し出した時には『返したのか』と頭中将が仰いましたが、すぐに『おお』と声を上げなさいました。皆で寄ってみると『やはりたいへんな曲者だな。これでは無視するなどできそうにない』とお笑いなさった後、真剣な表情で『これに上の句をつけて返そう。宣方、つけよ』とおっしゃいます。夜通し考えても、誰もいい案が浮かびませんので、このことを語り伝えることに決めたのです。今後はあなたの呼び名を『草の庵』とすることにしました」

 ひと息にお話なさると、急いでお立ちになりました。そんな貧相なあだ名はいやだこと、と思っているうちに今度は則光がやって参りました。

「たいへんな喜びごとがあったので、御座所(おましどころ)の方にいるかと思って、まずそちらへ行ってしまったよ」

「何です。昇任でもなさったのですか」

 言った後、嫌みに受け取られて傷つけはしなかったかと心配しましたが、そんな様子は全くなく、にこにこと先ほど宣方君が話されたのと同じことを言うのでした。

「自分のことのようにどきどきしたなあ。頭中将が『きょうだいよ、聞け』と仰せになるので、『そうした文雅の才はどうもございませんので』と申し上げると、『批評したり、理解せよというわけではない。ただこうしたことがあったと、人に吹聴せよということで聞けと言っているのだ』と言われるのは、きょうだいとしては、かたなしだけれど。でも、こんなに皆があなたを褒めていることをうれしくないわけがない。いや、少々の昇任よりはずっとうれしい」

 少し大げさではありましょうが、この男はどこかずれているのではなかろうかと見てしまうのでした。何の関係もない間柄であれば見過ごせないかわいさ、やさしさ、たくましさが則光にはあるのですが、夫や恋人となるとどうしても冷めた目で見てしまうのは私の悪いくせなのでございましょうか。

 やや経ってから中宮様が、「何をおいても今すぐ来るように」とお召しになったのでした。

「殿上の男たちは、それぞれ扇にあの句を書きつけてもっているわよ」

 中宮様も私が褒められるのを、ご自分のことのようにうれしそうになさいました。そして、中宮様をお喜ばせするのは私の生き甲斐だったのです。

 斉信様のはそれ以来、袖几帳そできちょうなどをとりやめてくださいました。



 きょうだい…夫婦の縁は解消しても兄妹のような近しい間柄であったからか。




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