千年草子

遠藤成美

第1話  鳥戸野 (とりべの)~序~


「中宮様、ここは寂しく冷たい場所でございますね。

私にとっては、何処よりも落ち着ける拠り所にございますが。

 道長さまが、宴の席でお詠みになったという歌、

 この世をば わが世とぞ思ふ 望月のかけたることも なしと思へば

を、皆でめでたい歌だとくり返したそうにございますが、私にはこの世の常なることのあるものか、と思われて仕方ありません。

 道長様とて、中宮様のお父君道隆様の御前に膝をついていらっしゃったのをお忘れではありますまい」



 京の都を華やかにするしばしの客の紅葉も去り、鳥戸野陵とりべののみささぎは秋の静寂を深めていた。もっとも紅葉がさながら絵巻のように月の輪周辺を彩っても、この陵は常緑樹の森を背景にするだけで、人の訪れも滅多にない。

 墓守が掃き清めた砂に清少納言は草子を差しのべるようにして置くと、再び一人語りを始めた。



「中宮様、この陵はほんとうにうら寂しく、冷たい場所にございますね。老婆となった私の白髪頭を風がわらっているようでございます。


 早行き過ぐものは人の齢。


 中宮様の野辺の送りでこちらへ参列したのは今から十八年前。あの日は降り積もった雪の上に、さらに涙のようにほろほろと大きな白い粒が落ちておりました。

 兄君の伊周様と弟君の隆家様が御自ら中宮様の棺をお抱きになり、他のご弟妹君も皆々墨染めの衣を纏い無言で、お泣きになりたいのをじっと耐えていらっしゃるご様子でした。お身内の方々が涙をこらえていらっしゃるのに、私どもが泣くわけにはいきますまいと、宰相の君と目が合いましてございます。本当に、雪が私たちの代わりを引き受けて、厳粛な最後の行啓を守らせてくれているようでございましたよ。

 いよいよのお別れのときはそうもいきませんでしたが、とりわけ私がその場を動けずにおりますと、皆様方は私をそっと一人にして細い参道の石段を下りてゆかれました。

 ようやく心を決めて陵に背を向け参道の方へ進みますと、小高い陵から見渡せる洛中は雪に包まれ、夕まぐれの青い帳が降りているかに見えました。

 そのとき、ふと中宮様のほがらかなお声が、耳のそばで聞こえたような気がしたのでございます」


少納言よ、香炉峰こうろほうの雪は。


 清少納言の記憶が野辺の送りから中宮定子の在りし日々に変わると同時に、目の前の景色も鳥戸野の陵から宮中へと移っていった。


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