第6話

「明音ー」

「うっわ!」

窓際でひたすら作業を進める私を映した窓ガラスに、いきなりお兄ちゃんが映り込んできた。私は思わず低い声で驚き、眉間にシワを寄せる。

ゴールデンウイークも過ぎ去り、梅雨本番の6月。

まだまだ「幽霊シーズン」には程遠いけど、誰もいなくなった夜の学校の被覆室に突然来られると、心臓に悪い。

「幽霊かと思った?」

「幽霊でしょ!やめてよ!間違えるところだったじゃん」

私へのドッキリが成功したことを喜ぶお兄ちゃんは、呑気に隣に椅子を出して座ってきた。

私が今、提出の締め切りに追われているのは、トートバック。

作っているもの自体は、小学校の時の家庭科の授業でやったトートバックとさほど変わらないんだけど、なにより、審査の基準が厳しい。服飾のプロの先生たちを何人もそろえた小芝高校。先生たちの厳しすぎるダメ出しに、みんなスタミナを激減させられている。

「手縫いの部分はちゃんと2ミリずつか、物差しで測られるんだよ」

「うん。俺見てるから知ってるし」

「ミシンの縫ったところも曲がっていないか、すごい怖い顔でチェックしてくるし」

「それも知ってる」

「一般科目のテスト勉強もしなきゃいけない・・・」

「でも、今のところ学校も休んでないし、課題もちゃんと締め切り守って提出してるよな」

そこまで言われた私は、ミシンを動かしていた手を止めた。隣のお兄ちゃんは窓の外の暗くなったグラウンドを見ながら

「頑張ってるよ。明音は」

さりげなく言う。

・・・自分でも不思議。ここまでダメ出しをされて課題を大量に出されても、学校に行っているのは。

理由は、わかってる。

1つはエミたちと過ごす時間が増えたから。

1人でやるには辛すぎる課題も、みんなで和気藹々と進めれば辛さは半減する。みんなでいることで愚痴も楽しくこぼせたりして、1人でいるより心はだいぶ軽い。

「あと・・・。ここで止めたら、ファッションショー出れないでしょ」

正直、ファッションショーまでの道のりは全然遠い。

だって、まだ洋服1着も作ってないんだから。

「ここでやめたら・・・、お兄ちゃん、可哀想だから」

「・・・ありがとな」

滅多に言われることのないお兄ちゃんからのお礼に、正直、嬉しさよりも違和感を感じた。


家に戻ったら、玄関に見知らぬ男の人の靴があることに気がついた。リビングに行ってみると、お兄ちゃんの仏壇の前に、お兄ちゃんの友人である英輔えいすけさんが座っていた。

「明音ちゃん!久しぶりだね」

英輔さんは、お兄ちゃんが亡くなった後もこうしてよく我が家に遊びに来てくれていて、小さい時の私の相手もよくしてくれていた。

「お久しぶりです」

「おばさんから聞いたよ。小芝高校に入ったんだね!」

英輔さんの隣には5歳になる英輔さんの娘さん・継実つぐみちゃんがいる。

継実ちゃんは私を見ると「明音ちゃんだ!」と走ってきてくれた。

「つぐみね、あすかくんに5歳になったよって、教えにきたの!」

ちっちゃな手を精一杯広げて「あすかくん、つぐみ、5歳になったんだよ!」と写真の中のお兄ちゃんに自慢する継実ちゃんの姿を、幽霊になったお兄ちゃんは天使のような優しい笑顔で見守っている。

「あらぁ、偉いねえ継実ちゃん〜!」

お母さんがメロメロになって抱きしめている継実ちゃんは、実はお母さんのお腹にいるときに、流産になりかかって危険な状態だった。

その時、英輔さんが必死に親友のお兄ちゃんに祈ったんだって。

「頼む、飛鳥。なんとかしてくれ!・・・って。なんか、神様よりも飛鳥の方が助けてくれそうな気がして」

何度も聞いてきた話だけど、何度聞いても、私まで心が温かくなるんだ。

「飛鳥には大きな借りができたと思ってるよ。娘と奥さんを守ってもらうっていう」

英輔さんはそう言うと、仏壇にそっと手を合わせた。

英輔さんのお兄ちゃんへの祈りの甲斐あって、継実ちゃんも継実ちゃんのお母さんも無事だった。

だから、こうしてたまに継実ちゃんを我が家に連れて来てくれてる。

そうそう。継実ちゃんの名前も、実はお兄ちゃんの名前から。

お兄ちゃんは「飛ぶ鳥」と書いて「あすか」。そこからヒントを得て、鳥の名前である「継実」っていう名前にしたんだって。

お兄ちゃんの親友だってこともあるし、継実ちゃんの可愛さもあって、私のお父さんとお母さんも、息子が孫を連れてきた時のように喜んで英輔さんたちを迎えている。

「飛鳥が生きてたら、継実ちゃんにメロメロだったね」

冗談まじりに言うお母さんの後ろで、お兄ちゃんは「まあね」と、私以外誰にも届かない声で返す。

「お兄ちゃん・・・もしかして、泣いてる?」

「はあ?バカか!」

お兄ちゃんが私にそう返した瞬間、紅茶が入っていたマグカップが、音を立てて割れてしまった。

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