第003号室 無限回廊



 玄関を出るとそこは無限に続く中廊下だった。



 ドアを押して頭を覗かせ中廊下の左右を見るも、最果て見渡せないほど同じ壁に同じドアが埋め込まれ、天井には青白い蛍光灯が等間隔に並び、耳障りな放電音を無限に重ねて、何処までも殺風景なザラついたコンクリートの床を反響していた。


 無意識に舌を打つ、眉間にシワがより、伏せ目がちに首を引いて、思わず喉の奥が唸る。


「イヤな、予感が、するわね………」


 最初に入ってきた一階のベランダから、身を乗り出して下を覗き、底抜けに霞んだ階下を目の当たりにし、知覚できないほど静かに行われた団地の大改築へ、ため息混じりに鼻を鳴らした。


「フフン、面倒くさ〜………」


 乗り出した身を戻した拍子に背後で鋭い風切り音が唸って足を止めたが、どうせ植木鉢でも降って来ただけなので、軽く肩を竦めただけで無視する。


 表に出てドアにマジックで進行方向に矢印を書き込み、たまごガチャで引いたヒヨコと一緒に回廊を行く。


 なんとか見渡そうと眼を細め指眼鏡を二つ重ねて片眼で覗き、さっそくクネクネを発見、指遊びで虫かごを作りクネクネの姿を仕舞うと、手のひらで押し潰し、なじって揉んで邪気払い。


「目が腐るわ、ざぁ〜こ………」


 彼方のクネクネは消えて、記憶の中の姿も塵や埃が光を受けて人を模っていただけと思い直し、そうだったかしら?そうだったかも………いや、そうだったに違いない!と精神汚染を浄化する。


 ランドセルから折り畳み式の双眼鏡を取り出して覗くも、またクネクネが見えたのでこれはダメだと双眼鏡畳んで仕舞う。


 鍵のかかった両側のドアノブにガチャリと体重をかけて、斜めになりながらジグザグに歩く。もしかして、と壁に埋設された消火栓を開けてみて出口は無かったが、かわりに乾いた血のこびり付いた斧を手に入れる。


 しばらくヒヨコのペースに合わせてフラフラと歩き続けたうちに、ふと前のドアに初めに目印として付けた矢印を見つけて鼻から息が抜けた。


「フフン、これマジ?ループしてるんじゃあなあい??」


 最初のドアも鍵が閉められておりキック、仕方なく矢印の下に正の字を一本書いてまた歩く。二画三画と正の字を足すごとに時間の流れが分からなくなる。サンドイッチは食べてもう無い、水筒もとっくに涸れている。凹んだお腹を抑えて俯向き目を伏せ小首を傾げる。先を行くヒヨコが唐揚げに見えてくる。


 足を止めてしばらく考え込むように目蓋を下ろし壁にもたれていると、どこからともなく人の話し声が聞こえた気がして辺りを睨んだ。


 耳をそばだて声の元を手繰り、人とは違う気配を感じ1号室の扉に耳を押し付けると、物騒な痴話喧嘩が聞こえて来る。


 更に強い気配を受けて2号室の前へ、水の滴る音と女性のすすり泣く声を聴く。


 3号室からは息を切らしながらノコギリを引く音が響き渡る。


 4号室は欠番、5号室からは何やら湿り気のある物を押し付け合う音が聴こえ、ぶつりぶつりとれにチャックを無理矢理締める音が鳴る。


 6号室と思いきや、更に5号室と続いたので首を傾げてドアに耳を押し付け、鼓動ように規則的な喘鳴を聴いた。


「あら、この音、ナニかしら………?」


 強く耳を押し付けるうち、生温かい体温を感じて怖気に身を捩った。


 気のせいでは無い生臭さが微かに臭う。汗では無い滑りが頬に貼り付いている。ドアだと思っていれば気づけなかった違和感が2つ目の5号室から滲み出す。


「あ、ミツケ、チャッタ………」


 ドアに浮かんだ錆が流体を想わせてのたうち、絡み合う触手状の立体へと変貌して行き、言葉を持たず、老獪ろうかいで、悪意に満ち、生臭く、きたならしく、みにくい、名状しがたき邪悪の権化、団地だんちダゴンは気付かれたとさとるや否や、通路を塞ぎ部屋へと擬態していた触手を現した。


「初めから、そこに居たのね???」


 蛍光灯が赤みを帯びて、空気がざわつく。足元から水の跳ねる音を聴いて視線を落とせば、背面のドアから染み出した鮮血が床を流れ、無限の回廊においても残された時は有限であると悟る。


 ゆっくりと様子を窺う触手を睨み、牽制する小夜の背後でガチャリとドアノブが降りる音が聞こえ、玄関から溢れた鮮血が波を立てる。


『ぽ、ぽぽ、ぽ、ぽぽぽ………』


 泡の弾けるような耳障りな音を聞き、小夜が触手と同調するように瞳を流して背中を見遣ると、玄関から血の染みた旅行鞄を引き摺ずる巨大な女性の姿をした異形が現れた。


 膝を曲げて腰を折り、純白のウェディングドレスの裾を引き摺り、つば広帽子を想わせる白薔薇のティアラ輝く頭を下げるその異形、八尺様が小夜と触手を見とめて困惑の表情を浮かべたのも一瞬で、ウェディングベールの奥から耳まで裂けて笑う口の影が映り込むと、両腕を差し伸ばすように突き出し指先を広げて、白樺の木のような白く長く節ばった異形の指がドアの縁に掛かり、小夜はとっさにドアを閉めて相手の指を詰めた。


「頼むから、怒らないで♡」

『ポポポポポポ………!!!』


 ドアを叩かれるたび背中で押し込む小夜の小さな身体が大きく跳ね、床を浸した血に足を取られて何度も体勢を崩す。


 額に落ちる影を見上げれば、老木のように太く巨大で、競走馬のように黒く筋肉質で、タコのように吸盤が生え揃い、ナメクジのようにぬめり気のある分泌物で覆われた触手が鎌首を擡げて先端を捲り上げ、すり鉢状に臼歯の並ぶ口腔をまろび出す。


「フフン、ちょうどいいわね………化物にはバケモノをぶつけるのよ?」


 小夜は背後のドアが叩きつけられるタイミングに合わせて身体を翻し、触手と八尺様の相討ちを狙った。


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