魔王子育て奮闘記⑤-2 島の外への憧憬

 先程まで南東にいた太陽が、ちょうど一番高いところまで昇った頃、ゴンベエとオリちゃんは屋敷に戻ってきた。


「じいじ!ただいま!!」


 勢いよく玉座の間に入ってみると、玉座に座っているディアヴァルホロ1世はピクリとも動かない。

 そろりそろりと玉座に忍び寄ってみると、すやすやとディアヴァルホロ1世が眠りこけている。


 そういえば、最近寝不足だって言ってたっけ。


 ゴンベエは近くを見回して見つけた筆を掴むと、ディアヴァルホロ1世の顔に落書きを始めた。

 手始めに左右の眉を一本の曲線に繋げてみた。

 ……それでも起きる気配は無い。

 そのまま落書きを続行して、右頬にウンコの絵と額に「らぶりぃ」と書いたところで、ついに我慢できなくなって吹き出してしまった。


「……おお、帰っておったのじゃな。儂としたことが、うっかりと寝てしまっておったわい」


 ディアヴァルホロ1世はゆっくりと瞳をあけた。

 素早く筆を片付けた為、なんとか寝ている間にイタズラされた事はバレていないようだ。


「ゴンベエよ。お主に伝えるべく大事なことがある。お主の両親についてじゃ」


 ディアヴァルホロ1世は、落書きされた顔で真剣にワシに語りかけてきた。


 やばい。面白すぎる!


 再び吹き出さないように、ゴンベエは必死で俯いて堪えた。油断して口を開くと、あっという間に笑い転げてしまいそうだ。


 いつもと様子が違うゴンベエの様子に、何かを感じ取ったのか、ディアヴァルホロ1世がニコリとほほ笑むと、ポンポンと軽くゴンベエの頭を撫でてきた。


 ニコリとほほ笑んだ拍子に、右頬のウンコの絵がくしゃっと潰れた。


「お前の両親が、儂を打倒した勇者とそのパーティの女戦士という事は以前話した通りじゃ。そして、いつか勇者が迎えに来るであろうその日まで、儂らがお前の面倒をみるということもな」


 ゴンベエは必死に笑いを堪えながらうつむいた。ディアヴァルホロ1世は構わず言葉を続けている。


「お主もうすうす考えていたと思うが、10年たった今、まだお主を迎えに来ない事を考えると、お主の両親は何かとんでもないトラブルに巻き込まれた可能性が高い。俄かに信じがたい事ではあるが、既にこの世に居ない可能性すらある。つまりはどういう事か分かるか?」


 ゴンベエは黙って首を左右に振った。この話題になってから顔を上げようとしない彼の様子に、少し罪悪感を感じているのか、ディアヴァルホロ1世は伏し目がちに言葉を続ける。


「外の世界に出ても、お主を味方する人間が誰も居ないかもしれないということじゃ。まあ勇者パーティーにおったクソ賢者は、恐らく生きておるじゃろう。だがあいつはクソじゃ。生きておったとしても絶対に関わってはならん」


 話をしている内に熱くなってきたのだろう、ディアヴァルホロ1世の額から汗が吹き出してきた。


「そしてお前の名前であるナナシ=ゴンベエは、儂が勝手につけた名じゃ。お前の本当の名前は分からない。つまり、外の世界でお前が勇者の子供であると証明することも出来んということじゃ」


 ディアヴァルホロ1世が手の甲で額の汗をぐいっと拭う。額の「ら」の字がこすられて黒く伸ばされて潰れてしまった。黒くなった手の甲に気づかずにディアヴァルホロ1世は言葉を続ける。


「それでもお主は外の世界に行きたいか?」


 ディアヴァルホロ1世の思いがけない言葉に、ゴンベエは驚いたような表情を見せた。一番反対すると思っていたじいじから、その言葉が出るとはつゆにも思っていなかったからだ。


 それまでの笑いの感情が吹き飛び、思わず顔を上げたその目に、額の文字が「らぶりぃ」から「ぶりぃ」に変わったディアヴァルホロ1世の顔が映り込んできた。


 ―――次の瞬間

「ウ〇コぶりぃになってるぅぅ!」


 ゴンベエが、止まらない笑いの衝動と共に、大きく吹き出して笑い転げた。


『ウ〇コらぶりぃ』が『ウ〇コ ぶりぃ』という奇跡を目の当たりにして、もはや笑いを我慢することが出来ない。


「……な、なんじゃ?どうしたというのじゃ。ゴンベエ」

「どうしたっすか?」


 騒ぎを聞きつけてオリちゃんが部屋に入ってきた。


「それが良く分からんのじゃ。急にゴンベエが笑い転げて、気がおかしくなってしまったみたいなんじゃ」


 振り返ったディアヴァルホロ1世を見て、オリちゃんも顔を伏せ身体を震わせ始めた。


「なんじゃ。オリちゃんまで一体どうしたというのじゃ?」


 事情が掴めずオロオロするディアヴァルホロ1世に、オリちゃんが自分の身体からオリハルコン製の手鏡を作り出して差し出した。


「くっくっく、魔王様、顔に落書きされてるっす」

「なにぃ!」


 ディアヴァルホロ1世は手鏡を奪い取ると、慌てて覗き込んだ。そこには眉毛が一本に繋がれ、右頬にウンコの絵、額に「ぶりぃ」と書かれた自分の顔があった。


「ウ○コぶりぃ……じゃとぉ!やりおったな!ゴンベエ!!」


 ディアヴァルホロ1世は急いで手拭いで顔を拭い始めた。幸いインクは水性で、拭けばすぐに消えそうだ。


「いやぁ、じいじ面白かった!」

「……儂は大事な話をしておったのじゃぞ」


 顔を拭きながら抗議をするディアヴァルホロ1世を見ていて、ゴンベエは、自分の心が軽くなった。


 今ならば、自分の気持ちを正直にじいじに伝える事が出来るような気がして、ゴンベエはゆっくりと口を開いた。


「じいじ、俺は外の世界に行きたい。俺の両親にも会ってみたいし、俺の本当の名前も知りたい。そして何より……」

「……なにより?」


 ディアヴァルホロ1世が、ゴンベエの視線を真っ直ぐに受け止める。


「じいじから教わった魔王のスキルが、人間共にどれくらい通用するのか知りたいのだ」

「……へ?」

「だから、人間共を支配していた魔王のスキルで、人間共相手にどれくらいやれるかやってみたいと言っているのだ」

「え?お主は人間共を支配するつもりなのか?」


ゴンベエの思いもよらない言葉に、戸惑いを隠しきれないディアヴァルホロ1世の問いに、ゴンベエは満面の笑みで大きく頷いた。


「…………」


呆然とした表情のディアヴァルホロ1世とオリちゃんが、お互いに無言で見つめ合った。しばらく見つめ合った後、ゴンベエに視線を戻すと同時に、


「儂らの教育方針、失敗したのじゃああああ!!!」

「人間の事、人間共とか言っちゃってるっす!勇者に聞かれたら絶対殺されるっすう!!」


絶叫して頭を抱えた。ここから勇者が迎えに来るまでに、魔族寄りのゴンベエの思考を、いち早く人間寄りに修正しなくてはならない。


「もし勇者共が、俺を迎えに来なければ、俺はあと4年後に14歳になったらこの島を出たいと思っている。なぜならば……」

「人間社会で冒険者として登録される最少年齢が、14歳だからっすね」

「そうだ。そうすれば自らの手で金を稼ぐことも出来るし、うまくやれば冒険者共を一網打尽に出来るかもしれないしな」

「一網打尽とか、これもう絶対勇者に聞かせられないキーワードじゃ」


その場で瞳を閉じで腕組みをしたディアヴァルホロ1世は、ふうっっと大きな息を吐いてゆっくりと赤い瞳を見開いた。目の前には、真剣な表情で自分を見つめるゴンベエが立っている。目を開ける直前までは結論を迷っていたが、目を開けてゴンベエを見た瞬間に、ディアヴァルホロ1世の腹の内は決まった。


「分かった。晴れて14歳になれたら、島を出る事を許可しよう」

「ちょっといいんすか?」


食い下がろうとしたオリちゃんを、ディアヴァルホロ1世が手で制しながら、


「但し条件がある」


と言葉を続けた。条件と聞いたゴンベエが怪訝そうな顔をしている。


「条件?」

「そうだ。魔王の私が言うのも変な話だが、お主は勇者の子じゃ。4年後に人間を支配するのではなく、人間と仲良く生きて行くと約束出来たら、この島を出る事を許可しよう」

「……分かった。人間共と仲良くなれるよう努力したいと思う」


 そう言いながらゴンベエが思わず右手を差し出した。


「その言葉忘れるでないぞ」

「これからの4年間で思考を変えてもらえるよう、私も努力するっす」


差し出された手をディアヴァルホロ1世とオリちゃんが強く握りしめた。ゴンベエの手を握る力強さが、二人の決意の程を物語っている。


「ところでじいじ」

「なんじゃ?」

「まだ右頬のウンコ拭けてないよ。はい手拭てぬぐい」

「おお、そうか!すまぬ」


 ディアヴァルホロ1世は、受け取った手拭てぬぐいで顔を拭き、ゆっくりと顔を上げ、手鏡を覗き込み「なんじゃこりゃあ」と叫んだ。


今度は顔中がまっ黒く染まっていたからだ。

実は今手渡した手拭てぬぐいには、こっそり黒のインクが塗り込まれていたのだ。

 

またまたいたずらが大成功して、ゴンベエは腹を抱えて笑い転げた。

オリちゃんも我慢できずに身体をプルプルさせて笑っている。


一方、いたずらされた方のディアヴァルホロ1世は、真っ赤な目をギラつかせて、黒いタオルを思い切り地面に叩きつけた。


「いたずらするガキは、クソ人間共と同じように、ぶっ殺してくれようかああ!!!」


絶叫したディアヴァルホロ1世の横で、オリちゃんがぼそりと呟いた。


「魔王様のこういう所が、きっとゴンベエちゃんの価値観を捻じ曲げたんだよなあ。……4年後大丈夫っすかねえ」

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