魔王子育て奮闘記⑥ 旅立ちの日 魔王side

「いよいよこの日が来てしまったっすね」


 玉座に腰掛けるディアヴァルホロ1世の傍で、オリちゃんがぷるぷると震えている。

 この震え方は、悲しんでいる時の震え方だ。

 付き合いの長さと共に、ディアヴァルホロ1世はオリちゃんの微妙な震え方の違いで、感情を読み取れるようになっていた。

 もっとも今日に限っては、自分も同じ感情なので、震え具合を読み解かなくても、丸わかりなのだが。


 今はゴンベエがこの島を出る準備を終えるのを、玉座の間でオリちゃんと二人で待っている。

 いよいよゴンベエとの14年間、共に過ごした日々が終わろうとしていた。



「結局勇者は迎えに来なかったか……」


 ディアヴァルホロ1世は大きく息を吐いた。

 ゴンベエにとって1番明るい未来が待っているのは、親である勇者が迎えに来た場合だ。それが叶わなかった今、ゴンベエの進む道はいばらの道だ。


「私たち精一杯やったっすよね。もうゴンベエちゃんに教える事は無いっすよね。これから島の外に行ってもやっていけるっすよね?」


 不安なのだろう、いつもより少し早口のオリちゃんの頭を、ディアヴァルホロ1世はポンポンと撫でた。

 大事な局面の直前に襲ってくるこの手の不安は、どうにも避けようが無いものがある。


「そうじゃな、儂らの持てる知識・技術は全て教えたつもりじゃ」


 ゴンベエが島の外に出ると決めた日から丸四年、魔王軍としての常識や戦闘技術は徹底的に教え込んだが、それが人間社会にどれほど通用するかと問われると、胸を張って通用するとも言いきれない。


「どんなに準備をしても、不安はつきん。じゃが、儂らはやれる事をやった。あとはゴンベエの人生じゃ。儂らは胸を張ってあいつを送り出そうではないか」


 目を閉じると、ディアヴァルホロ1世の脳裏に、この14年間の思い出が走馬灯のように駆け巡る。

 授乳出来ずにゴンベエが死にかけたこと。

 がっつりう〇ちをかけられ凹んだこと。

 初めての魚釣りでゴンベエを失う怖さを知ったこと。

 元は嫌々始めた人間の子育てであったが、色々な苦悩や苦労までもが、今や振り返れば良い思い出となっている。


「なに感傷的になってるっすか。魔王様らしくないっすよ」

「そうじゃな。オリちゃ―――ってオリちゃん既に号泣じゃないか!」


 ふと視線を下に向けると、ぷるぷると震えるオリハルコンスライムの足元に水たまりが出来ている。オリちゃんにとってもゴンベエと過ごしたこの14年はかけがえのないものになっていたのだろう。


「ゴンベエが不安に思うから、もう泣き止むのじゃ」

「……わかってるっす」


 ディアヴァルホロ1世がハンカチを渡すと、オリちゃんは溢れる涙を拭い取り始めた。

 オリちゃんが涙をふき終わるのを待ってから、彼らはたわいもない話をして、気を紛らわせながら、ゴンベエの準備が終わるのを待つことにした。


「そういえば最近ゴンベエのレベルもめっきり上がらなくなったと聞いたが、今どれぐらいなんじゃ?」

「今はレベル89っす。そこから全然上がらないっす」

「で、ステータスは?」

「相変わらず全部1のままらしいっす」


 ディアヴァルホロ1世は、あまりステータスの事をゴンベエには聞かない事にしていた。

 なぜならば、ゴンベエがステータスが全て1である事を気にしていると知っていたからだ。

 オリハルコンスライムの経験値をつぎ込んでもなかなか上がらないとなると、この辺りがゴンベエの最高レベルなのかもしれない。


「にしても、ここまでステータスが上がらなかったのは唯一想定外じゃな」

「そうっすね。血統的には優秀なはずっすけど、潜在能力的にはただの村人にも劣てるっす」


 足りないステータスを補うに余りある魔王の特殊スキルを、これでもかと徹底的に仕込んであるのだが、いざ旅立ちの時を迎えると、ああしておけば良かった、こうしておけば良かったと後悔ばかりがディアヴァルホロ1世の脳に浮かんでくる。


「でも、オリハルコンで最高の装備も準備したから、きっと大丈夫っす」

「ほう、それはどいういう装備を用意したのじゃ?」


 その時、部屋の扉ががちゃりと開き、旅支度を終えたゴンベエが部屋に入ってきた。


「じいじ、オリちゃんお待たせ」


 長く伸びた黒髪を後ろで束ね、厚手の白い布製の服を着たゴンベエが、玉座に近づいてきた。一見すると人間の旅人が着る服に似ている。普通の旅人違うのは、左の腰にはサムライソード、腰背部には短いダガーを携えているところだ。


「こうして改めて面構えを見ると、お前の父親にそっくりじゃな。似なくても良い三白眼が、残念なくらい似ておる」


 以前勇者と対峙した時に、目つきが悪くて顔だけ見たら凶悪犯みたいだと言ったら、勇者が激怒した事を思い出した。三白眼はどうやら勇者のコンプレックスだったらしい。

 ブチ切れした勇者はめちゃくちゃ強くて怖かった。

 当時はとんだ地雷を踏んでしまったと凹んだのう……。

 

ほんの15年前を思い出し、ディアヴァルホロ1世は眉をひそめた。


「そうか?俺の目つきが悪いのは、育ての親が魔王だからだろ?俺の目つきはじいじ似だよ」


 そう言って、ゴンベエがニカリと笑った。

(儂に似ていると言ってくれるのか。これは……たまらんのう)

 ディアヴァルホロ1世は感無量に打ちひしがれた。

 ……やばい、泣いちゃう。


 オリちゃんがこそこそと耳打ちしてきた。


「魔王様、泣いちゃダメっすよ」

「……泣いてないぞ。オリちゃんよ貴様の眼は節穴じゃな」


 このままこの話題を続けるのは危険だ。 

 ディアヴァルホロ1世はオホンと咳払いをして、話題をかえる事にした。


「それでこれが最高の装備なのか?その、随分……普通に見えるが?」

「魔王様、心配なのは分かるっすけど、ごっつい装備してたら、目立って逆にあぶないっす。これぐらいが目立たなくてちょうどいいっすよ」


 成る程、確かにオリちゃんの言っている事は一理ある。


「その服の線維一本一本がオリハルコンの糸で出来てるっす。ゴンベエちゃんの防御力が低くても、その服を着ている限り普通の攻撃は効かないはずっす」

「なるほど。それは素晴らしいな」


 ディアヴァルホロ1世は、とっさに軽い炎の魔法攻撃をゴンベエに向けて放った。

ファイア

 軽いとはいえ、ステータスが低いゴンベエには致命的なダメージを与えるレベルの威力がある。

 突然の事で躱す事が出来なかったのか、ゴンベエの身体が炎に包まれた。


「……オリちゃんこの服凄いよ!全然ダメージ受けてない!」


 炎に包まれたまま、ゴンベエが普通に動いている。ゴンベエの言葉通りダメージは全く無いようだ。

 装備の防御力を確認出来たところで、ディアヴァルホロ1世は、ゴンベエを包む炎を打ち消した。

 オリちゃんがその様子をドヤ顔で見つめている。


「どうっすか?すごいでしょ?」

「万が一ダメージを受けたら、出発日を遅らせる事が出来るという儂の目論見を、簡単に打ち砕いてくれたな。残念なくらい見事じゃ」

「魔王様、心の声がダダ漏れっすよ」


 おほん!っと大きな咳ばらいをしたディアヴァルホロ1世は、再び話題を装備に戻すことにした。


「あとの装備はどんな感じになっておるのじゃ?」

「ゴンベエちゃんの左腰に差してあるのが、オリハルコン製のサムライソードで、背中腰につけているのがオリハルコン製のダガーナイフっす」


 ゴンベエはすらっと腰のサムライソードを抜いて見せた。刃先がオリハルコン特有の白い輝きをみせている。

 オリハルコンと言う金属は、その剛性故に、人間では加工する事が非常に難しい金属だ。人間社会にこれと同等のサムライソードを作れる人間は存在しないだろう。

この刀とオリハルコンの服があれば、いくらステータスが低いとはいえ、なんとかやっていく事が出来るであろう。


「準備は万全という事じゃな」

「そいうことっすね」

「ならばゴンベエよ、お主にこれを授けよう」


 ディアヴァルホロ1世は、懐から大きな羽を一枚取り出した。


「そのでかい羽根は、じいじの胸毛か?」

「アホか!こんな羽した胸毛だったら、胸毛で空が飛べるわい。……まったく、これはドラゴンの翼という激レアアイテムじゃ」


 ディアヴァルホロ1世は、ドラゴンの翼をオリちゃんに渡した。受け取ったオリちゃんがゴンベエのところにドラゴンの翼を運ぶ。

 受け取ったゴンベエがドラゴンの翼をまじまじと眺めた。


「それは、一度でも行った事がある場所に瞬時に移動できるアイテムじゃ」


 ゴンベエがはっとして顔を上げた。


 頭の賢い子じゃ。どうやら気づいたらしい。ディアヴァルホロ1世は口元を緩ませた。


「そうじゃ。このアイテムを使うと、お主がこの島に来る前に居たところに移動することができる」

「そこにいきなり勇者おやじが居たら、旅の目的は秒で終わるな」


 すぐに親と会える事を心底残念そうに話すゴンベエを見ていると、妙に可笑しい気分になってきた。

(生みの親より育ての親じゃ。勇者よお主の息子はもうすっかり儂の息子じゃ)

 悔しがる勇者の姿を想像し、ますます笑いがこみ上げてくる。


「クックック、安心せい。そんなに世の中甘くないわい」

「ゴンベエちゃん大丈夫っす。人生そんなに甘くないっすから」

「分かってるよ!」


 二人から同じことを言われて怒ったのか、ゴンベエがドラゴンの翼を持っている腕をぶんぶん振り始めた。

 ディアヴァルホロ1世とオリちゃんはそれを見てフリーズした。


「それ振ったら、術が発動するのじゃ!」

「えーっ!!じいじ!それ早く言ってよ!」


 ドラゴンの翼が光りはじめた。

 もうそうなってしまっては術の発動を誰にも止めることは出来ない。

 オリちゃんがオロオロとディアヴァルホロ1世の周りを跳ねまわっている。


「もっとちゃんとサヨナラしたかったっす!」

「そんなことを言ってももう仕方ない!良いか!街に出たらまずは黒猫を探せ!絶対にお前を助けてくれる!」


 ドラゴンの翼の光が、ゴンベエを包み込み始める。


「じいじ分かったよ!黒猫だな!」

「あと、賢者は言う事は絶対信じたらダメっす!」

「オリちゃん!大丈夫!俺も話を聞いて賢者の事大っ嫌いだから!」


 どんどんゴンベエが光に包まれていく。


「ゴンベエよ。勇者おやじに会ったら、ざまあみろって言っておいてくれ」

「黒猫に私たちは元気にやってるって伝えて欲しいっす」

「分かったよ!それじゃあ、じいじ、オリちゃん、ちょっと人間共の所に行ってきます!」


 ついにゴンベエの全身が光に包まれた。


「またね!」


 次の瞬間、全ての光が消失し、彼らの視界からゴンベエの姿が消えた。

 ディアヴァルホロ1世も、オリちゃんも、今までゴンベエが立っていたところから目が離せないままでいる。


「……寂しくなるっすね」

「なあに、元の退屈な日々に戻るだけじゃ。良い暇つぶしじゃったなぁ」

「……魔王様素直じゃないっすね」


 オリちゃんの足元に再び水たまりが出来ていく。

 ディアヴァルホロ1世は胸にこみ上げるものをぐっと堪えながら、玉座に腰を下ろした。

 部下の前で泣いてたまるかという彼なりの意地だ。


 そのまま瞳を閉じてゴンベエとのこれまでの想い出に再び思考を巡らせる。


 そしてふと思い出した事があった。


「そういえば、この島ではステータス一万分の一って伝えるの忘れておったのじゃ」


 一瞬しまったと思ったが、逆にそれで良かったかなと思い直し、再び瞳を閉じた。


 レベル89もあれば、いくらセンスが無いとはいえ、恐らく初級冒険者よりは高い能力があるはずだ。

 だが、その程度の強さで自分はレベルが高くて強いと過信していると、すぐに中級以上の冒険者やモンスターに、あっという間にやられて死んでしまうだろう。

 であれば、自分は弱いと思い込んだまま行動させた方が慎重に行動してくれるはずである。


「またねって言ってたっすけど、いつ帰ってくるっすかね?」


 涙を拭いながらオリちゃんが問い掛けてきた。

 目を開けるともらい泣きしてしまいそうなので、ディアヴァルホロ1世はそのまま目を閉じて答える事にした。


「さあな。それは儂にも分からんさ」


 こうして、辺境の魔王ディアヴァルホロ1世とオリちゃんの子育てに奮闘した日々は一応終わりを告げたのであった。

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