第32話 イメージする力

「いくぞ! 『影よ覆え』!」


 ルノワの唱えた呪文によって発生した黒い影が四方から点に延び、頂点で交わる。

 そこからまるで舞台の幕のように黒い影の幕が下りていく。それまで月明かりに照らされて明るかったが、やがて真っ暗になり何も見えなくなった。


「なんだ、目暗ましのつもりか? そんなもの俺に効くと思うか? まさか月を――うおっ!」


 驚きの声を上げることになったのはヴォルフランであった。彼は接近するアラタに気がついておらず、突然目の前に現れたように感じたアラタに対して驚愕した。


 アラタはこの強敵である魔王に接近するのに、二つの勝算を持ち合わせていた。


 一つ目は戦いの前半から鑑みるに、どうもヴォルフランは目の前の獲物に囚われてしまうようだとアラタは考えていた。狩人としての本能がそうさせているか、神速を誇る己の実力を過信しているかは分からない。


 今のヴォルフランの注意は、魔法によって自分を捕縛し今また天を覆うような大規模な魔法を唱えたルノワに向いていた。


 二つ目に相手はこちらが暗闇で見えないと思っていることだ。ヴォルフランはルノワの暗視の加護のことは知らない。暗闇にしたのは逃げるためだと考えるだろう。


 その二つの勝算に賭けて、アラタは一気に接近した。


「食らいやがれ! 炸裂! サンダーボルトおおおおおおおおおおお!!!!!」


 ニーシアの名工ボガーツが鍛え上げた自慢の一品、メイス“轟雷”を渾身の力でヴォルフランの顔面に叩き込み、アラタは封じ込められた魔力を開放する。


 幾重もの雷撃が連なった強烈な雷光がほとばしり、暗闇のドームの中を激しく照らす。


 もちろん打撃と雷撃のダメージはあるが、それだけではこの爪撃の魔王は倒せない。アラタの狙いはそれだけではない。暗闇の中、その雷光を突然目に浴びたことによるヴォルフランの一時的な視力の喪失だ。


「クソッ! 目が、俺の目が!」

「バリス!」

「大丈夫、場所ははっきりと分かっているよ! 食らえ!」


 アラタの呼び声に応えて、後方から走ってきたバリスが、再びオーガの拳による強烈な一撃をヴォルフランに叩き込む。


 ヴォルフランはアラタからの攻撃を受けて怯んでいた。立て直す暇もなくバリスの一撃を食らう。今度はただ殴るだけではない。その拳には握りつぶされた玉ねぎがある。吹っ飛ばすと同時に、ヴォルフランの嗅覚を奪う。


「よし! バリス、俺を上空に打ち上げてくれ!」

「わかったよ、アラタ!」


 特に疑問を挟むことなく、バリスはアラタの指示を受けて両手を合わせ、打ち上げる体勢に入った。アラタの元居た世界で言うところの、バレーボールのレシーブの体勢だ。


「ルノワ! 俺が打ち上げられたら、前バットつくった魔法をありったけの魔力でくれ!」

「了解した。決めて来い大魔王!」

「小僧! 吾輩の魔力も乗せてやる。ルノワ様の契約者の名に恥じない戦いをしろよ!」


 ルノワはにやりと笑い、魔力を集中させ始めた。ししゃももこの小さなコツメカワウソの身体にはわずかな魔力しか貯蔵できないが、その全てを託すつもりだ。


 アラタは一言「悪い」と言ってバリスの手に足を掛ける。アラタが跳躍するのに合わせてバリスが力の限り打ち上げる。


「どりゃああああああああああああああああああ!!!」


 凄まじい衝撃だ。何とか姿勢を保ち、武器をかまえる。


 空を飛ぶって気持ちいいんだなと、どこか冷静に感じる自分がいる。これから大勝負を決めて強敵を倒すという高揚感ある自分もいる。不思議な感じだ。


 アラタの視界の端で、パラパラと影の幕が崩れていく。ルノワが解除して全ての魔力を集中しているのだ。砕けた影の隙間から朝日が差し込んで、目標を照らす。


「『影よ纏え』!」


 ルノワが唱えると共に、アラタが持つメイス“轟雷”に影が纏わりついていく。

 アラタはイメージする。できるだけ大きく、硬く。持てなくてもいい、目標に向けて落ちるだけだ。


「無茶でも無謀でも、ここはやるしかねえ!」


 相手は想像を絶する強敵。ここでやらなければ殺されるだけだ。アラタはひたすらイメージする。


 デカく、デカく、デカく、デカく、デカく、デカく、デカく――!


 出来上がった形を見てアラタはにっかりと笑った。


「へっ、これだけあれば上等だ!」



 ☆☆☆☆☆



「クソが! 見えねえ。匂いもわからねえ! あいつらはどこだ!」


 ヴォルフランは、メイス“轟雷”による雷光により視覚を、忌まわしき玉ねぎにより嗅覚を奪われて、敵であるアラタ達の姿を捉えられない状況に陥っている。唯一頼れる聴覚も、相手の位置が離れているのか何も捉えない。


 強靭な肉体を持ち、例え密林だろうと野生の感覚で相手を逃さない、何より知性溢れる己に敵はいない。たとえ大魔王ドルトムーンだろうといずれは目の前に跪かせる。ヴォルフランは自身の事をそう評価していた。


 事実そういった評価を周りからも受けていた。“強大な種族であるワーウルフ達をまとめ上げた才気ある魔王”それが東方魔大陸でのこのヴォルフランの評判だ。


 そもそも一体一体が強力な種族と言われるワーウルフという種族をまとめ上げた魔王は、大魔王セルドルフの時代から数えてもわずかに数人しかいない。力と頭脳そしてカリスマを持ち合わせていないと達成できない、まさに偉業というべき所業だ。


 そんな偉業を、ヴォルフランは百年近くぶりに成し遂げていた。


 そういった本人の実力もさることながら、統率のとれた強靭なワーウルフの軍団、俊敏なガストウルフの軍団といった部下たちも強力だ。


 敵地に潜入してかく乱工作を行うという困難な任務を受けたのも、このヴォルフランが力押しだけの存在ではないと内外に示すためだ。


 あの目障りな鎧男のグスマンさえいなければ、容易に真の目的であるヴェスティア公爵暗殺を成し遂げていたであろう。間違いなく大魔王ドルトムーンにも一目置かれ、傘下の魔王達の中でも恐れられる存在の一人だった。


 だが、この現実はどうだ。取るに足らない矮小な人間種達に――そのうち一人はハーフオーガであるが――かくも無様に追い詰められているではないか。ありえるのか?この強靭なる種族であるワーウルフの魔王たる自分が追い詰められるなど。


(どうしてだ。どうしてこうなった?)


 失われた感覚の中で自問を繰り返す。


 ケチのつき始めは、確実に殺したと思っていた女が生きていたことだ。

 やつらに腕の良い蘇生の呪文の使い手がいたとは思えない。ましてや蘇生の秘薬など、ほとんど伝説の中で謳われているそれだ。なんであの女は生きている?


 だいたいあの影を操る魔法はなんだ? 西方大陸のものだろうか? 今まで見たことも聞いたこともない魔法の系統だ。


 あの女の魔法で縛られたのもさることながら、月を隠されたのが痛かった。

 ワーウルフの一族は月からの魔力を力に変換する。満月が最高だが、そうじゃなくてもそれに近ければ近いほどパワーが出せる。今宵の月も悪くなかった。むしろ良い。フルパワーの八割以上は出せた。それをあの女の奇妙な魔法で月を隠されたので、力も半減以下だ。


 おかげでアラタの接近にも気づくのが遅れたし、目をはじめダメージを受けた部位の再生も遅い。


 ――どうにか打開策を練らねば。


 なに、まだまだ体力も魔力もある。懸念材料である“沈黙”グスマンをはじめとした他の冒険者の介入は、変身直後の遠吠えで眷属たちを襲撃に動かしているのでそちらに分散しているとみていいだろう。感覚さえ戻ればあんな奴等どのようにでも対処可能だ。こんなチンケな任務で立ち止まる俺様ではない、とヴォルフランは心の中で吐き捨てる。


 その時であった。


 はるか遠くから、いやはるか上空から「きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる」という奇妙な音を、ヴォルフランの鋭敏な聴覚が捉えた。


(何の音だ? いや、これに似た音を俺はどこかで……)


 この奇妙な音に似たものをヴォルフランはどこかで聞いたことがある。このニーシアの街に来るよりも前だ。


 どこだ――? 必死で考える。


 ヴォルフランはそれが戦争初期の都市攻撃に参加した際に聞いた、投石器による石の落下音だと気づくと思わず天を仰いだ。


 周囲を覆っていた魔法による幕が払われていくのか、未だ視力の戻らぬ目にも朝の陽ざしであろう光を感じる。そして次の瞬間には、影が差したように視界がまた暗くなった。


 この異音、巨大な質量を持った何かがここに落ちてくる。

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