第17話 鬼の血

「アラタ――――――! もう動けそうだな? 私が引き付けておくからルノワを連れて急いで逃げろ!」


 アラタが立ち上がったことを確認したバリスが、大声で呼びかけた。タイリクオオナマズには弓が効いていないようだ。明らかに押されている。


 あの化け物が相手では、一人で時間を稼ぐこともままならないだろう。それに最後、一人きりでどうやって逃げようというのだ。


「バリス一人じゃ無理だ! 一緒に逃げよう!」

「私なら大丈夫だ! いいか? 決して振り返らないで走れ!」

「くっ……、すまないバリス! 逃げるぞルノワ!」


 念を押してくるベテラン冒険者の話を無視するわけにはいかない。

 アラタはルノワの手を引いて、出口まで走り出した。


 背中から幾度となく聞こえる衝撃音。焦る心が部屋の出口まで実際以上に感じさせる。

 ――刹那、一段と激しい音が部屋中に響いた。


 驚いたアラタ達が振り返ると、攻撃を受けたのであろうバリスが、床に倒れ伏していた。


「バリス! 大丈夫か!? 待っていろ、今助けてやる!」


「来るなアラタ! 私は大丈夫だ。お前たちは早く逃げろ!」


 懸命に顔を上げて答えるバリス。倒れているその身体は全身傷だらけだ、どう見ても大丈夫ではない。


 その時、アラタに一撃を加えた時と同じようにタイリクオオナマズが首を上げ、獲物であるバリスにとどめを刺そうと構えた。今の状態であの巨体の一撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。


「ルノワ! お前の魔法でどうにかならないか?」

「……どうにかしたいのは山々だが、射程圏外だ」


 原因の一因が自分にあると自覚しているルノワは、悔しそうに答えた。

 

 ――まずい。


 遠くに見えるバリスを援護する手立てはない。だが、このままあの化け物の攻撃を許せば、バリスは死んでしまうだろう。


「来るぞ! 避けろバリ――――――――――ス!」


 精いっぱいの警告。アラタ達の位置からでは助けは到底間に合わない。


「ウヴォオオオオオオオ―――――――!!」


 地の底から響く様な唸り声を上げての、バリスを確実に仕留めようとする突撃。動けぬバリスは逃げることができない。


 バリスはやっとのことで立ち上がり、迫りくるタイリクオオナマズに向けて両手を突き出した。アラタから見れば、やけくそになったようにしか見えない姿勢だ。


 ――そして激突。


 アラタはその時初めてバリスが言った「私は大丈夫」の言葉の意味を真に理解した。なんとバリスは、タイリクオオナマズのトラック程の巨体を、その突き出した両腕で受け止めていたのであった。


「うおおおおおおおおおおお! ――ふんっ!」


 さらにバリスは気合の雄叫びを上げると、タイリクオオナマズを持ち上げ、ジャイアントスイングの要領で投げ飛ばした。


 飛ばされたナマズはスドーンと轟音をたてて落下し、仰向けになって動かなくなった。


「――倒せたのか? バリス、大丈夫か! ん? バリス……なんだよな? その姿はいったい……?」


 強敵のあっけない撃沈にあっけにとられるアラタだが、それ以上に困惑することがあった。


 アラタが困惑するのも無理はない。なにせアラタの目に映るバリスの姿は、ほんの少し前のバリスの姿とかなり違いがあったからだ。


 ――まるアラタの世界の昔話に出てくる鬼のようだとアラタは直感的に思った。健康的な褐色だった肌は、彼女の頭髪の色と同じく燃え盛るような赤になっており、頭頂にはこれまた赤く輝く二本の角があった。


「アラタにルノワ、黙っていてすまない……。……私は半食人鬼――ハーフオーガなんだよ」

「……ハーフオーガ?」


 いまいちピンとこないアラタは、疑問の声を上げる。


「ああ、そうさ。私の母は人間種だったが、父はオーガだ。普段は上手く人間に溶け込めるが興奮するとオーガの面が強く出てきてしまうんだよ……」


 そう語るバリスの瞳は悲しみに溢れている。


 ――オーガとは、魔大陸やルミナス大陸に住む魔族の一つだ。

 強靭な肉体と、とてつもないパワーを誇る魔族で、食人鬼とも呼ばれるように時には人をも食う。


 人を食うオーガは人間種と敵対している者だけで、普段は人間と同じ雑食なのである。

 だが、代々大魔王が出現すると大魔王の下に参集する部族が多く、意思疎通が可能にも関わらず“人間種の天敵の種族”といったまるで魔獣扱いのイメージが強い。


 オーガは多くの魔族と同じく部族単位で行動し、力の強いものが族長を名乗る。肌の色は部族によって赤かったり青かったりと様々だ。


 オーガの多くは力が強い事こそが最も大事なことと考える為、純粋なオーガ種よりも力が弱い者が多い他種族との混血――もっとも、純粋種のオーガより賢い者が多い為能力が劣ると一概に言える訳ではないのだが――に対して厳しい態度をとる。


 バリスの両親はお互いを愛していた為にバリスが誕生したのだが、そういった事情で苦難の道を歩むこととなった。


 オーガの父を受け入れてくれぬため、人里離れた場所で暮らしていた一家は、バリスが五歳の時に人間に見つかり住処を追われた。


 住む場所のなくなった一家はさんざん彷徨い、他に行く当てがなく訪れた父の故郷だというオーガの集落に身を寄せることになった。


 当時の族長は温厚な人物で、どうにか住まうことの許可を得た。

 だが、一年後に族長が新しくなると、バリスの父は新しい族長との決闘の末に殺された。戦利品となったバリスの母は生きたままに食われた。


 バリスは、バリスの両親の「娘は殺さないでくれ」という願いを気まぐれに聞き入れた族長によって、雑用係として生きながら得た。


 いつ周りの者から食われるかもしれない恐怖の日々の中、幼きバリスは人里離れた世に暮らすオーガの狩りを学び、様々な生き物や森に生える草花の効能等、多くの事柄についての知識を得ることができた。


 その生活が二年続いた。八歳になったバリスは、もはやこの部族では学ぶことは無いと悟った。


 やり残した事として、両親を殺害した族長を、森の毒キノコから作り出した猛毒を盛って殺害することで復讐を果たした。


 そして彼女は、部族のオーガ達が人間種の隊商を襲って手に入れていた人里のお金等を持ち出し、族長死亡の混乱に紛れてオーガの部族を離れた。


 それからはオーガの里で得た技術と知識を生かして、人里で冒険者や狩人をしながら暮らしてきた。ハーフオーガだとばれそうになったら、町を離れて北へ北へ……。


 五年の月日が流れるうちに、このルミナス大陸の最北であるサンクト王国のヴェスティア公爵領ニーシアの街へとたどり着いた。


 ――それが今から五年前、バリスが十三になった時だ。

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