第31話 分かれ道

 焚火の炎のさきが激しく揺れているのを、ラダンはじっと見つめていた。

 炎の中で太い枝が崩れる度に、ぱっと舞い上がる細かい火の粉がラダンとリジェンの顔を赤く染めていく。

「では、皇太子で決まりか……」

 ラダンはリジェンの報告を聞き終えると、小さく呟いた。

「ソナの情報が確かであればですが。調べていた赤子の報告があってから便りが途絶えておりますので、恐らくはアッカの手が回ったかと……」

 リジェンは悔しそうな声を漏らした後、ぐっと奥歯を噛んで口を閉ざした。

 暫く、二人の間からは音が消え、代わりに炎に燃やされる枯れ枝の爆ぜる音だけが二人を包み込んだ。

「ところで……あの男は何者ですか?」

 リジェンは一度言うのを躊躇った後、ちらっとノギの方を見やって訊ねた。

 ラダンもつられるようにしてそちらに目を向けると、大木の根元にしゃがみ込んでいるノギの丸い背中が目に入った。松明を地面すれすれに近づけながら、何かを真剣に観察しているようだった。

「ただの筆師ふでし、だそうだ」

 ぽつりと呟かれた言葉にリジェンは顔をしかめながら、ラダンの方へ目を向けた。

「……?」

「実を言うと、俺もあいつが何者なのかよく分かっていない。ただ、死にかけていたところをあいつに拾われた。守ってやるなどと豪語したが、結局は俺のせいで危険な目にあわせてしまった。巻き込む前に離れるべきだったな」

 ラダンは苦い顔をして、するりと頬をさすった。

「アッカの手の者という事は?」

 リジェンはいぶかしげに目を細めながら、焚火に照らされているラダンの横顔に訊ねた。

「ない、矢の気配にも気付かなかったような男だ。それに、もしそうであれば俺の首は今ここにないだろう。その機会は幾らでもあったからな」

 ラダンは小さく首を振ると、ゆっくりと焚火に目を戻した。

 丁度その時、くるくると回りながら焚火に寄ってきた羽虫が、あっという間に炎に舐めとられ、音も無く焚火の底に姿を消していった。

「これから、いかがなさいますか」

 リジェンの問いにラダンは暫く黙っていたが、やがて、低い声で言った。

「俺はアウタクル王国へ向かう。じきに骨も治るだろう、金色こんじきまなこについてはこっちで動く。その間にアッカたちの動向を探ってくれ。何の目的で動いているのか、誰が糸を引いているのかをはっきりさせろ」

「御意」

 リジェンは風除けの薄布を目の下まで深く引き上げると、さっと立ち上がった。

 ラダンは焚火の灯りが届かぬ暗がりに消えようとするリジェンの背中を黙って見つめていたが、ふいに、小さく訊ねた。

「熊に魂を乗せたことはあるか?」

 リジェンは振り返り、一度小さく首をかしげた後、いいえ、と短く答えた。

「そうか、ならいい」

 ラダンが僅かに頷いたのを見届けると、リジェンは大きく跳躍し、あっという間に暗闇に姿を消した。

(一度に多くの事が動き過ぎている)

 ラダンはぐっと目頭を抑えながら、静かに目を閉じた。

 闇の中でふと、昼間に襲ってきた刺客たちの顔が瞼の裏に浮かんだ。

――命を狙われているということは、俺という存在を危惧している者がいるということだ。

 ラダンは眉間に力を込めた。

(なぜ俺を狙う。俺が何だというのだ……)

 ラダンには、身に覚えのないきぬを無理やり着させられているようにしか思えなかった。

(しかし、俺を助けた存在も必ずいるはずだ)

 そうでなければ、野生の熊が濁流に流されている人間をすくい上げ、更には、誰かのいる場所まで運ぶような奇妙なまねをするはずが無い。

(恐らく獣奇魂じゅうきこんの術が使える者だろうな)

 ラダンは大きくため息をついて、顔を上げた。

 この正体の分からぬ二つの影が、身体に纏わりついてうごめいている様がありありと頭に浮かび、ぎりっと奥歯を噛んだ。

 また、闇の中に身を潜め、巧く立ち回る狡猾こうかつな影たちが、知らぬが故に何も出来ずにいるラダンの無力さを静かに笑っているような気がして、腹の底から湧き上がる苛立ちを抑えることが出来なかった。

(進むしかない、か)

 ラダンは自身の姿が、先ほど炎に舐め取られて消えていった羽虫の姿と重なり、思わず舌を鳴らした。



 ムウたちの元にヨヌアが訪れたのは、依頼をしてから七日目の夕刻だった。

 扉の前に立つヨヌアの顔には、疲労の色が色濃く出ており、以前見た悪目立ちする真っ赤な紅の代わりに、カサついた青紫の唇がそこにあった。

 ムウは慌てて椅子に座るよう促したが、ヨヌアは首を振ってがんとして座らなかった。

 心配するムウたちをよそに、ヨヌアはすっと背筋を伸ばすと両手を前で揃えてから、小さな口をひらいた。

「お探しの谷に棲む民ラガ・コテルは、サリョ大陸最西端のクヴだににいます」

 ムウはちらとイェルハルドに視線をやった。

 視線に気付いたイェルハルドは暫く思案していたが、やがて、小さく首を振った。

「クヴ谷……」

 ムウは確かめるように口の中で小さく呟いた。

 その時、ふと疑問が浮かび、再びヨヌアに視線を戻した。

「最西端……北ではないのか?」

「はい。ある者は北と言い、またある者は東と言いました。南と言う者もいれば、既に途絶えた民族だと言う者までいました。

 様々な異なる情報が各地でばらまかれ、巧く絡まるように伝えられているようで、よほど身を隠したい者たちのように感じます」

 ムウは僅かに眉根を寄せた。

(何の為に?)

 ムウが更に問おうと口を開きかけた時、ヨヌアはすっと頭を下げて、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 残された二人は困惑の表情を浮かべながら互いに顔を見合わせた。



 チャグナンがいを発ってから四日目の朝、ムウとイェルハルドは二本に分かれた道の前に静かに立っていた。

 目の前には、ひび割れた石畳と膝丈ひざたけほどの積み石で囲われた簡素な交易路こうえきろが遥か先の方まで続いている。

 山々を縦断するその交易路は、人足がまばらで、眩しいほどの日の光に照らされていても尚、どこかわびしさを感じられるものだった。

 周辺は、商人の荷を狙う盗賊たちが身を隠せぬようにと急勾配に切り崩されており、樹木はおろか、小ぶりな岩さえも見当たらなかった。――ケザラ王国からザムアル帝国へと続く長い交易路である。

 その交易路の入り口のすぐ脇に、踏みならされて出来たであろうと思われる細い枝道があった。

 馬車や荷車もよく通るのか、中央には緑の雑草が残っているが、道の両端は土が剝き出しになっている。

 枝道は緩やかに蛇行しながら、奥の森へと続いていた。

「ここでお別れですね」

 ムウはぽつりと呟いた。

 心情とはうらはらに、爽やかな初夏の風が二人の間を悠然と通り過ぎていく。

 いつかこの日が来ると覚悟はしていたが、いざこうして目の前に突き付けられると、どうにも心細く、名残惜しかった。

「ええ、あっという間の二人旅でしたね」

 イェルハルドはいつものように穏やかな笑みでムウを見つめた。

「ことが終われば、必ずまた会いに行きます。ここまでのご恩は決して忘れません。どうかその日までお元気で」

 ムウは目を閉じて、深々と頭を下げた。

「では、お気を付けて」

 二人は微笑みながら頷き合った後、互いに背を向けてゆっくりと歩き始めた。

 ムウは数歩進んだところで立ち止まり、後ろを振り返った。

 大きな背中が徐々に遠ざかっていくのをじっと見届けた後、覚悟を決めたように顎を上げ、ぎゅっと口を引き結んだ。

 アウタクル王国を発ってから三つの季節が過ぎようとしている。

――ようやくここまで来たのだ、何としてでも隠された真実を解き明かさねば。

 ムウは見慣れたイェルハルドの背から目を逸らすと、眼前の遥か先にあるであろうと思われるクヴ谷を目指して、大きく足を踏み出した。

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