第42話 幼馴染の毒舌と、俺のやらかし


 ──思えば俺は、独りよがりな人間だった。


 あの時も、自己のくだらないエゴで凛を悲しませてしまった。


 中学2年の夏、放課後、どこかの教室。

 名も知らぬ3人のクラスメイトに取り囲まれる凛を目にした時、思考が凍りついた。


 男2人に女1人。


 3人は次々に、凛に対する誹謗中傷を口にしている。

 人を傷つけようという明確な意思を伴った言葉の刃は、その対象である凛に突き刺さる。


 しかし凛はさして気にした様子もない、というより、いつもの無の表情だった。

 まるで、スイッチを切ったロボットのように、じっと動かず、無言で突っ立ている。


 反応がないことに痺れを切らしたのか、なんとか言えよと、男の方の1人が凛の腕に手を伸ばした。


「お前らなにしてんだ!?」


 思わず叫んでいた。

 すぐに凛のところまで駆け寄って、その細い手を掴んだ。


 凛はその時初めて表情を変化させた。

 驚いたように、目を丸めていた。


 対する3人は、状況が読み込めていないようだった。

 当時の俺は、存在感が薄くていつも黙ってる大人しそうなやつ、というポジションだったから、突然の登場と様変わりに驚いたのだろう。


 好都合だった。

 その隙に、俺は凛の手を引いて教室から飛び出した。


「凛、さっきのって」


 教室から少し離れた、人気のない昇降口。

 俺の質問に、凛は唇をぎゅっと結び、なにかを堪えるように呟く。


「……気にしないで、ください」

「いや、無理だろ、そんなの」


 声色は弱々しく、表情からは影が伺える。

 このまま、はいそうですかと納得できるわけがなかった。


「なあ、もしかして……」


 凛がクラスメイトたちから行われていた行為。

 自分たちとは違う異物を排除しようとする、原始的な行動。


 それを表す3文字の言葉を口にするより前に、凛が言葉を並べる。


「時々絡まれるんですよ。どうやら私の、成績や容姿にご不満があるようで……私がお高くとまっていることが、気に食わないんだとか」


 私は、そのつもりはないのですけど。

 そう言い置いてから、凛が俺に向き直る。


「先ほどはありがとうございました」


 ぺこりと、行儀よく頭を下げる凛。


「でも、透君は気にしないでください。妬まれるのも、この性分を悪く言われるのも、目つきのことをからかわれるのも、慣れてますから」


 言って、凛は口元をふっと緩ませた。

 自然に湧き出たのではなく、無理やり作ったような、ハリボテのような笑み。


「なあ、ひとつ聞いていいか」

「はい、なんでしょう?」

「小学校の……2年の時だっけか。凛、多目的室で一人で泣いてただろ」

「ああ……」


 長く埃を被っていた記憶を掘り起こしたみたいに天井を見上げ、


「そんなことも、ありましたね」


 どこか他人事のように、凛は言う。


「あれも、そういうことだったのか?」


 俺の問いかけに、凛は少しの間も開けることなく、同じ言葉を口にした。

 

「慣れて、ますから」


 作り物の笑顔。

 歪んだ面持ち。


 俺を心配させまいと、精一杯取り繕っている事など一目でわかった。


 頭がかっと沸騰した。

 色々と許せなかった。


 くだらない嫉妬で凛を傷つける奴らも。

 ずっと側にいながらそれに気づけなかった自分自身に対しても。


 理性が吹き飛ぶという感覚を、俺は生まれて初めて経験した。


 俺を呼ぶ凛の声。

 それを無視し、衝動に身を任せ、気がつくと先ほどの教室に駆け戻っていた。

 

 幸い、標的の3人はまだ屯(たむろ)していた。

 人を傷つけた後とは思えないテンションでゲラゲラ笑って、頭の悪い会話に興じていた。

 

 その会話を出刃包丁でぶった斬るようにして声を荒げた。


 確か、お前らマジで許さんとか、2度と凛に近づくなとか。

 自分でもびっくりするくらいの声量でぶち撒けていた気がする。


 もともと非交戦主義で物静かな性格の俺にどこにそんな怒りが眠っていたのだろう。

 最後の理性だけを残して、自分でも驚くくらいブチ切れた。


 凛を傷つけた奴らに対し、腑(はらわた)が煮え繰り返るほどの怒りを覚えていた。

 

 クラスでは居るか居ないかもわからないような奴の激昂に、相手は最初こそ怯んでいたがすぐ反撃に移された。


 なんだてめーはと、圧倒的な暴力が俺を襲った。

 口だけ威勢の良い貧弱な俺は、わかりやすくボコボコにされた。

 

 しかし俺は折れなかった。


 胸ぐらを掴まれても、殴られても蹴られても、腹の底から声を出して何度も食ってかかった。

 最初はそれを面白がっていた彼らだったが、俺が尋常じゃない執念を見せるうちにだんだん薄気味悪くなってきたらしい。


 きめえんだよお前! 


 わかりやすい捨てセリフを吐き、最後に俺の腹に一発お見舞いした後、教室から去って行った。


「透……くん……」


 壁にもたれ、全身を襲う痛みに呻いていると、いつの間にか凛が目の前に立っていた。

 

 驚き、戸惑い、悲しみ。

 様々な感情を浮かばせた凛に、俺は親指を立てて見せる。


「もう大丈夫だ、凛」

「大丈夫って……」


 凛の表情がわかりやすく歪む。


「全然大丈夫じゃないでしょう……!?」


 凛のこんな叫び声を聞くのは、初めてかもしれない。

 しゃがみこみ、こういう時はどうすればとわかりやすく混乱する凛に、俺は得意げに話す。


「俺はあいつらに指一本触れてない。でもあいつらは、俺を一方的に暴行を加えた」

「それがなんだって……」


 はっと、凛が何かに気づいたように目を丸める。


「病院で診断書貰って、先生に提出すればあいつらもタダじゃ済まない」


 大丈夫、というのは俺の身ではなく、凛の今後についてだ。


 いつの世も、強き立場が弱き者を虐げる文化は一定数存在する。

 しかしSNSの発達により、いざ自分がその対象になった際の対処法も容易に入手できるようになった。


 自分も念のため、インプットしていた。

 俺もどちらかというと、いつ標的にされるかわからない立場だったから、念のため。


 それが功を奏した。


 もし暴行を加えられても、反撃をしない。

 黙って殴られた後、すぐに病院で診断書をもらうべし。

 

 正式な診断書は傷害の客観的エビデンスとなり、口頭で教師に訴えるよりも何百倍もの効力を発揮する。


 最初は衝動的に飛び込んで行ったのだが、一発殴られて冷静になった瞬間、この路線で行こうと心に決めた。


 こいつらを凛と引き離さなければならない、その一心で。


「だからこれからは、凛にちょっかい出すこともなくな……」


 言葉を最後まで言い終える事ができなかったのは、凛の瞳にじんわりと涙が浮かんだから。


「り、凛……?」

「どうして……」


 今度は俺が狼狽える番だった。


「どうしてこんなことしたんですか……!?」


 ぽろりと、大粒の涙が凛の目尻から零れ落ちる。

 それは頬を伝い、一筋の光となる。


「これは私の問題です、私が我慢すれば良かったんです、なのに……」


 涙に濡れた声。

 ぎゅっと、凛の拳が握られる。


「なのに、なんでこんなこと……」

「そんなの!!」


 激情に身を任せて、叫んでいた。


「そんなの、凛が大事だからに決まってるだろうが!!」


 本心を、腹の底から言葉にする。


 もう一度言う。


 許せなかった。


 大好きな凛を傷つける奴らも。

 大好きな凛が傷つけられているのに、それに気づけなかった自分も。


 だからせめて、助けたいと思った。


 それだけだった。


 そんな嘘偽りない俺の言葉に、凛は口を覆った。


 でもすぐに、憐憫、後悔、嬉しさ、罪悪感と感情をぐちゃぐちゃにさせた後、


「でも、それでも……!!」


 凛の端正な顔立ちが、くしゃりと歪む。


 細くて白い手が、俺の腕にそっと触れる。

 先ほど捻りあげられて、痣になっているであろう箇所。


「透君が、こんなにボロボロになって……殴られて、蹴られて、とっても、とっても痛かったでしょうに……こんなになってまで……」


 思考がぐちゃぐちゃなのか、文脈がおぼつかない。

 ぽろぽろと涙を流す凛を目にし、思考が冷や水をぶっかけられたかのように温度を失った。


 俺が傷つく事を、凛は望んでいなかった。

 それも、自分が原因で。


 結果、傷ついてしまった俺を見て、凛は心底悲しい思いをしている。


 冷静に考えたらわかるはずだ。


 凛を悪意から守るにしても、もっと他の手段があった。

 なのにこんな無茶な行動に打って出たのは、過去のなにも出来なかった自分に対する贖罪行為だったのではないか?


 いや、深掘りするともっとひどい。

 ただ、好きな人を身を呈して守る自分に酔いしれていただけじゃないのか?


 それらの可能性が頭を過ぎった瞬間、俺の身に引き裂かれるような後悔が襲った。


 単なる衝動だったのか、心の底から助けたいと思ってやのか、それとも単なる自己満足なのか。

 わからず、 頭の中がぐっちゃぐちゃになった。


 でも唯一残されていた理性が少しずつ、今自分がやるべきことを模索する。


 過ぎてしまったことはもう戻せない。


 今この瞬間、自分のせいで、凛が悲しんでいる。

 まずはそれを、どうにかしなければならない。


「大丈夫だ!」


 俺は努めて明るく振る舞った。

 身体中が痛かったけど、超絶元気な声で……超絶アホな事を口走った。


「俺は……虐められて興奮する被虐趣味保有者(どえむ)なんだ!! そう、痛みはむしろご褒美!!」


 明後日の方向すぎる俺の宣言。

 濡れた瞳をぱちぱちさせる凛に構わず、俺は勢いに任せて声を張り上げた。


「だからむしろ……むしろ……!!」


 やめときゃいいのに。


「もっと俺を罵ってくれえ!!」


 ……。


 …………ああ、なんで。

 なんで俺はこの時、こんな事を言ったのだろうか。


 悲しんでいる凛を笑顔にしたいという気持ちが、思考をギャグに走らせた。

 ボコボコにされたけど自分は大丈夫だという事を示すために、被虐趣味を持ち出した。

 

 そしてなによりも色々と拗らせていた俺は、好きな女の子の前に弱気な姿を見せることを忌避した、無敵で居たかった。


 バグっていたとしか思えない。

 後から思い返すとこの時、お互いにバグっていた。


 ただでさえキャパオーバーな出来事に加えて唐突な俺の独白に、凛も凛でパニックになっていたと、後で知った。


 俺のクソみたいな気遣いを察して乗ったのか、本当に俺をドマゾだと思ったのか。


 まあ、前者だろうが、


「ふざけるのもいい加減にしてください!!」


 上擦った、でも確かなエネルギーが伴った声。

 もともと鋭い目つきに一層、力が篭って、俺を睨みつける。


「マゾですか!? どマゾなんですね気持ち悪い!!」


 凛の言葉に初めて、俺に対する毒が入った。


 でもすぐに凛は、俺に抱き付いてきた。

 ばかあほまぬけ考えなしと、全然悪意の篭ってない暴言を吐き、俺の胸をぽかぽか叩いて大泣した。


 はっと我に返った俺はすぐに、なんつーことしたんだと特大の後悔に苛まれた。

 すぐにその、小さな体躯をぎゅっと抱き締めた。

 そしてひたすら、ごめん、ごめんと謝罪の言葉を口にし続けた。

 

 自分のエゴが、考えなしの行動が、かっこつけが、自分の頭の悪さが、凛を悲しませてしまったこと。

 それは紛れもないは事実だったから、もう、申し訳ない気持ちで一杯だった。


 凛が泣き止むまでずっと、自分よりも高い体温を胸に抱き続けた。


 おそらく今後の人生においてそうそうないと思われる、俺が盛大にやらかした日であった。


 ──その日を境に、2つの変化が起きた。


 ひとつは、凛が再び言葉の暴力に曝されることは無くなったという点。

 あの日いた3人は、間も無く本校の生徒ではなくなった。


 もうひとつは、凛が俺に対しデフォルトで毒を吐くようになった事。

 馬鹿な事をした俺に対するお怒りが収まらないのだろうか、それとも乗って見たら意外とハマったとか……? 


 理由はわからなかったが、特にツッコミはしなかった。


 自分から言っておいてやっぱやめてと言うのもアレだし、別に嫌ではない、むしろこれはこれでいいなーと思ったから。


 自分の趣向に若干その傾向がある、というのも否定はしない。


 それ以外にも、なんだろう、信頼の上に成り立っている最上位のコミュニケーションとでもいうか。


 言葉だけ切り取ってみれば相当手厳しいけど、お互いが不快に思うことはなく、むしろ心地よい作用をもたらしてくれている。


 そういう特別な関係性みたいなのを感じられて、いいなーって思ったから。


 凛の毒舌は、こうやって誕生した。

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