第4話

 校舎内、校庭、昇降口。正門に裏門。校内のあらゆる場所を探して、それでも春川を見つけられない。

 僕は学校を飛び出して、校外を探した。

 他の教員に事情を伝えずに飛び出してきてしまった。けれど次の時間は国語の授業はない。昼休みを挟んで、僕が不在にしても大丈夫な時間がしばしある。

 頭を春川でいっぱいにするよりも、教師としての理性と判断が働いていた。そのことに、少なからず安堵と驚きを覚える。


「春川!」

 薄暗い、小さな公園の大きな樹の下に春川はいた。

 春は桜の薄紅が明るい公園も、夏が近づき葉が生い茂っていて薄暗かった。

「先生」

 迷子の子どものような目で、春川が僕を見た。けれどすぐにその目を細めて、厳しい視線を僕にぶつける。

「何の用ですか」

「迎えに、来た。学校に戻ろう」

「いやです」

 拒絶する彼女に、僕は歩を進める。

「無神経でごめん。春川を他の誰かと似ていると言ってごめん。春川は、春川なのに」

「そんな風に言われたって。だって似てるんでしょう。そう思っちゃうんでしょう?」

 君は、君なのに。

 僕が言うと、なんと説得力のない言葉だろう。

 悩める若人にどんな言葉をかけてあげるべきか。教本のような、マニュアルのような言葉を選んで諭して、それで救える心ばかりではないというのに。

 なんて言っていいかがわからない。

「うん、思っちゃうよ。僕は教師であり、大人であっても、春川とおんなじで、大切な人を失った一人の人間だから」

「なんでもかんでも、同じだなんて言わないでよ」

「そうだ。悲しみは人それぞれで違う。春川も僕も、春川のご両親も、みんな悲しみ方は違う。悲しいのは一緒だけど、違う。だから、春川を大切な人と似ていると思ってしまうのも、悲しみ方の一つだ」

「だからって、私に我慢しろって言うの?!」

 春川が激高する。

 大人がどんな悲しみ方をしていたって、この小さな少女に背負わせていいはずはない。そんなこと、わかってるけれど。

「違う。違うんだ。ただ」

 なんてもどかしい。言葉を知らない馬鹿な国語教師だ。


「悲しみの乗り越え方を知らなくて、ごめんな」


 そう言えば、春川はひどく傷ついた顔をして。

「……大人のくせに」

 顔を歪めて泣いた。

「助けてくれないなんて、ひどい。先生のくせに、パパとママのくせに。私を助けてくれないなんてひどい」

 大人だからって、親だからって。

 愛する人を失った悲しみを癒す方法を、知っているわけがないんだ。

 どんなに悩んだって、苦しんだって、答えなんて出してやれなかった。

「知ってるよ。知ってたよ。大人だからって絶対頼りになるわけじゃないって。だけど、悲しいんだもん、つらいんだもん。助けてほしいんだもん!」

 叫ぶように。春川は悲しみを吐露する。

「お姉ちゃんと似てるって言われるのは苦しいの。でも本当に嫌なのは、それでお姉ちゃんの事を嫌いになっちゃいそうなことが一番嫌なの。お姉ちゃんのこと大好きなのに。忘れたくないのに。パパとママがお姉ちゃんのこと口にするたび、嫌いになっちゃいそうなの。こんなにつらいなら、忘れてしまいたいって思うの」

 この悲しみを癒す、劇的な効果のある薬が欲しいと、春川は言った。

 だけどそんなものは、この世のどこにも存在しなかった。


「春川。僕もご両親も、君どころか自分の心を助けてやる方法すらわからないんだ。だからって君に我慢しろ、なんて言わない。だけど、悲しいのは同じだから、おんなじ、だから・・・・・」

 また『同じ』と言ってしまう。

 僕はかつての恋人と春川が似ているということで、間違いなく彼女を特別視しているけれど。

 それでも大人としても、教師としても、暗い闇の中にさまよう生徒に手を差し伸べたいと思う。

 自分自身が、まだ暗闇にいるくせに。

「だから、もがこう。僕もそれしか、できないから」

「……ひどいよ」

 春川は寂し気に呟いた。

 ありがとう。

 楽になったよ。

 先生のおかげ。

 そう言わせてやることができれば、それだけの答えを僕が持っていれば、どんなに良かったか。

 春川に言えたのは、『ひどい』だけだった。

 けれど諦めと希望の間をさまよいながら、悲しみの中でほんのわずかな光を目指して、もがいていくしかないと。導きだした答えはそれだけでしかなく。

 それでも泣きはらした彼女の目に、強い光が宿った気がした。



 どんなに悲しみの中にあっても、時間は止まることなく進みゆく。

 傷ついた心は一年かそこらで癒えるものではなくて、それでもまた、桜の季節はやって来た。

 校内には桜並木があって、つい先日まで見事な薄紅の天蓋を作っていたそれはすでに葉桜になっていた。

 残った花びらが雨のように降り注ぐ様は、その本数もあって美しい風景だった。

 

 けれど僕の心に強く訴えるのは、たった一本の桜の木。

 人気のない、小さな公園にある一本の桜。

 今は緑の葉の方が多くなった、散り際の桜ははらりはらりと花びらを落とす。

 

 この桜の下で泣いた春川と、僕。

 春川は相変わらず平均的な生徒で、一年前と大きく変わったようには思えなかった。

 僕もいまだに、春川を見ると朱音の姿が重なって見えてしまうことがある。

 それでも、三年進級直後の三者面談で、母親相手に強気に出ていた春川が「先生。私、結構頑張ってるんです」と笑って言ったことは嬉しかった。

 春川の進路相談をしながら、未来に向かって大きく羽ばたいてほしいと、どこまでも教師らしい感慨を抱いた時も、少し晴れやかな気持ちになった。


 緑の中にわずかに残る桜色。

 春川は、桜を嫌いだと言った。

 僕も本当は、桜が苦手だった。朱音がこの世界から消えた季節の花だから。

 あまりにも儚いから。

 だけど今は、桜って思ったほど儚いものではないな、と思う。

 緑の葉の合間合間に、頑張って桜の花びらが残っているし、葉桜という言葉があるくらいに、人々は美しい花を惜しむ。

 一番美しかった時を僕の心の中に残していなくなった朱音は、今でも時々、葉桜の間に残る桜花のように顔をのぞかせるけれど。

 葉桜の緑は、若葉だ。

 春川は、桜も自分もクローンだと言った。

 けれど新しい命は芽吹くし、桜も人間も、いつまでも同じ姿のままとどまってはいない。

 僕だって、さすがにこの年でこれからは散りゆくばかりだなんて思いたくないし。

 葉桜の君が、未来に向かって笑っているといいなと、そう思うのだった。


 

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葉桜の君に いいの すけこ @sukeko

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