神明理鎧戦記外伝「灼梟」

深恵 遊子

大蜘蛛崩し

 俺のっさまは坂東から来た武者だったらしい。

 らしい、というのはその話がいかにも眉唾で酒の席での戯言のようなものだったからだ。誰もそんな話を信じるわけなく。

 酒に酔うたび、爺っさまは語ったものだった。

 坂東の荒ぶる三俣蛇みまたへび。毎夜、村を尋ね行き、生娘きむすめ喰らいて去りにけり。旅行く我らがカミツケの若君はこれ聞きわしに退治を命じしむ。儂は若君に下賜かしされたもなき赤い具足を身に纏い、大蛇と三日三晩斬り合いて、ついには素っ首落として仕舞いにけり。村はそれを称え、若君は赤衣あかえの氏を儂に与えなさった。これより我らが赤衣あかえ一族の繁栄は始まったのである。

 なんて、爺っさまが刀を振るったところなんぞ一回も見たことない俺らには到底信じられたもんじゃない。勿論、俺だって信じていなかった。

 ……実際にこうして常識外れな機甲鎧を目にするまでは。


『——汝、力を求める者。緘金とじがねに宿るは成約の証。誓いの口上を唱えよ』


 暗闇の中、やたらジリジリと傷のついた声が目の前の金属の塊から漏れている。

 蔵の外ではガチャガチャ鉄の擦れる音とドズンドズンと地面を叩く音。今まで見たこともなかった地を満たすほどいる機巧の蜘蛛がこの地を蹂躙している。

 父が立ち向かい、蹂躙されていくのを見た。

 母が子を守り、蹂躙されていくのを見た。

 姉が駆けながら、蹂躙されていくのを見た。

 兄が怒りながら、蹂躙されていくのを見た。

 妹が無力に泣き叫びながら、蹂躙されていくのを見た。

 弟が妹の亡骸を抱き抱えて、蹂躙されていくのを見た。

 そして、友が地を耕すが如くに蹂躙されていくのを見た。

 幾多の蹂躙を見た。幾多の無力を見た。背中に飛び散ってくる血液の奔流を受けながら幾人ものの悲鳴を聞いた。

 そして、今。

 逃げ延びた蔵の袋小路。そこで己も蹂躙されるだろう自分を知りながら、今目の前にいる幼児を俺は守ろうとしている。


 ——葛籠の中で息を潜めなさい。何があっても声をあげてはならないよ。


 などと自分でも無駄と知ったことを言い聞かせて。

 このままでは諸共に死ぬ。

 ならば、このまま赤梟の像が囁く甘言に乗るか?

 乗って、戦って、

 それで俺に勝てるのか?


『どうした、契約せぬのか? 儂と契約せねば、お主は間違いなく死ぬというのに』


 焦れたように梟が問う。

 ガラガラと背後で何かが崩れる音がして、


「——わぁったよ!! 契約するから、……お前の力を俺に寄越しやがれ!!」

『契約は成った。誓いの口上を』


 脳裏に言葉が浮かぶ。

 聞いたこともない文言。俺は浮かんだままにその言葉を口にした。


「我が命を大穴牟遅神オオナムチノカミに奉じ、御神梟みかぎょうの御先なるをいつきに賜らんことのよしかしこみかしこみ、申すッ!」


 手を伸ばし、誓いの祝詞ことばを口にすれば鉄のフクロウは散り散りに砕ける。

 否。

 否、否、否。

 砕けるならば、形を失うだけならばそれを人を崩壊と呼ぶだろう。

 しかし、続く形があるならば何とする?

 人はそれを変形と呼ぶだろう。

 そして、それが人の姿カタチを模するものならばこう呼ばうのが正しかろう。

 すなわち、——「変身」と。


神使しんし赤衣鉄梟あかえてつぎょう! 』

『応とも、が仕手!』


 ノイズ混じりの呼応。

 そして、その手には首へと振るわれていた機巧蜘蛛のつめを固く固く握っている。振り向く勢いで体へと引き付けてその鉄でできた甲面かおを拳で貫く。ひび割れるパラパラと幾らかの鋼が散っていく。


『敵損傷、致命には至らずだ。前方広場で体勢立て直しを儂は具申するぞ』

『んなこと分かってらァッ!』


 言いながら蜘蛛の脚の空隙くうさいを転がり抜け、蔵から我が家の庭へと躍り出た。生まれ育った屋敷は影形すら残しておらずその瓦礫に群がるように辺り一面、鉄色の蜘蛛が蠢いていた。

 庭の真ん中に立てばそれぞれが飛びかかり、俺はそれらを投げ飛ばし引き転ばせ、脚をへし折り、背中の甲を砕いていく。

 これでは埒があかない。


『畜生、キリがねえ』


 走って位置を変えながら肘で関節を砕き、腹と胸の節を蹴飛ばし、踵で頭を潰した。

 それでも後から後から蜘蛛はゾロゾロとこちらへと向かってくる。

 ふと、遠くに立ち止まったまま動かない個体を見つけた。

 これは?

 疑問の瞬間だった。

 鋼鉄の蜘蛛は糸を吐き出す。糸というにはあまりにも太いそれは矢よりも疾く赤衣あかえの装甲に巻き付いて行った。


『これは、鋼鉄で出来てんのか!? 硬え、抜けらんねえ!!』

『仕手よ、鉄の蜘蛛より放たれた糸だ。それが鋼鉄であるのは道理であろう?』


 それは、そうだが……!


『おい、クソ梟! こっからどうすんだよ!』

緘金とじがねを使うのだ。それは仕手に宿りし願いの結晶。この絶望の中にあって“それでも”と掴んだ力だ。この時にこそ役立とう。その使い方は仕手こそが知っている』


 緘金とじがね

 噂で聞いたことはある。理鎧りがいと呼ばれる異能が息づく機巧鎧の核にして、纏う為に仕手が手に入れなければならないものだ。契約と共に形作られ、仕手はそれを自らの身に宿す。

 一説にそれは神にも匹敵する多大な力を有しているという。

 だが、俺がそんなものの使い方を知ってる!?

 そんな力の使い方、俺が知ってるはずが、


『仕手よ、思い出せ。汝の奥深く、眠っている。その凡俗の奥底で羽を休める、猛禽の姿を』


 ——俺は、      。


『乞え、願え! 何よりも強く、意識を染めるほどつよく!』


 空を仰ぎ見た。

 未だ人の手の中にない、神の世界を見た。

 一羽の小鳥が神の理なんて識らないように、地上の悪夢なんて知らないように。

 それは揺るぎない、自由だった。何よりもそれが羨ましく妬ましい。

 故に、知っていた。


『……翔べ』


 いつのまにか、俺の背には翼が生えている。いや、元から仕舞われていたものが外に出たならば、開かれたと言うべきか。

 猛禽の翼。疾く翔ぶための、翼。

 しかして、その体は鋼鉄。天の定めた理に従うならばその翼では届かない。羽ばたいても、大いなる地に縫い付けられよう。

 だからこそ、理鎧は神威を宿すと呼ばれるのだ。天の理に背く、その力を以って。


天加奈止美命アメノカナトビノミコトに奏上す! 我が大願を叶え給え、と!』

『造化三神が裔神すえより高天原に奏上。大願受諾。神威の行使を許可する』


 羽が唸る。

 震えている。己がつめは空を飛べと、俺に叫んでいる。

 振動が細かに成っていき、やがて静止する。いや、わかっている。それは静止ではない。羽ばたいているのだ、人の身では知覚できないほどに微細ちいさく密に。

 だから、


『——翔べよ、灼衣しゃくいふくろう


 翼が、それを構成する鋼の羽毛が一枚一枚灼けて赤く変化する。赤熱する鋼羽はね鉄糸いとを焼き切って、——。

 気がつくと俺は蒼い空の中にいた。

 悠然と眼下の蜘蛛を見下ろして、そこにいるのが当然かのように静止している。自由のままに、空を今この瞬間俺は支配しているのだ。


『仕手よ、感極まるのは後にするがいい。土蜘蛛の鉄糸いとに絡めとられるぞ!』

『わかってる!』


 蜘蛛たちいつのまにか空の俺を見上げて狙いを定めている。その数、およそ五十。

 風をとらえて滑空し、権能を用いて浮上しを繰り返す。加速するたび身をかすめるように鋼鉄の矢が飛んでくる。


『おい、クソ梟。なんか武器とかないのか!? こっから地上に滑空して一匹ずつ潰すんじゃ埒があかねえ!』

『敵は斂甲いれつめでも、窆甲つかづめでもない出来損ないの虚甲うろつめよ。ならば、緘金とじがねの権能を使わずとも穿てよう。空対地装備“返らずの羽”を使う。仕手は飛ぶことに集中せよ。儂が狙って仕留めよう!』


 自らがよろう鋼鉄の言葉に任せ、俺は飛びくる糸を右へ左へと避けていく。その数は時間とともに減っていっているらしい。次第に避けるのがたやすく成ってきた。

 余裕が出てきて、かすかに耳がガララララという岩を砕く音と金属がぶつかる音を聞く。


『どんな感じだ!?』

『敵残数、二。やたら硬いのが出てきたな。どうやら彼奴あやつが親玉らしい』

『なんとかできるのか?』

『あれが斂甲いれつめ窆甲つかづめであれば容易にはできん。確実を求めるならばせめて権能を使いたいところではあるが、あの様子なら仕手が未だおらなんだ。高度を上げれば仕留めるのは容易かろう』

『なら、高度を上げる! 確実に仕留めろよ!』


 羽を更なるそらに向け、羽を震わせる。


『おい、梟! これ、翼の出力ちょっと落ちてねえか!?』

『それはそうであろう。“返らずの羽”は我らが翼そのもの、撃てば撃つほど権能チカラを界に伝えるものが減るのだから』

『そういうのは先に言え!』

『仕方なかろ、——ッ!? 仕手よ! 地上から音感機みみが人の足音を捉えた! あの理鎧りがい、仕手を連れておった!』


 言われて俺は目を凝らす。意識すると胡麻ほどの大きさをしていた地上のものが地上にいる時と同様に見えてくる。

 そこには二領の蜘蛛とその間に立つ長髪のいかにも根暗そうな男の姿。刀を佩くその姿は最近この地に攻めてきたという坂東武者の出立だった。


音感機みみの音を仕手の聴覚に接続する』


 その言葉とともに雑音が一瞬耳を衝き、彼らの会話が聞こえてきた。


御神子みこは見つけたか?”

“仕手よ、すまない。奴が何処かへと隠しおおせたようだ。我らの光感機にも、音感機みみにも反応がない。熱感機はだからすらも見失うとは”

“仕方がないな。この手であの空から見下ろす蝿を叩き落とし、聞き出すしかあるまい”

“諒解。展開準備完了”

“千子大蜘蛛が写し、孕み蜘蛛。汝が仕手が命ずる。我が身を孕め”

“主命受諾。装甲する”


 言葉が終わるとそこにいたのは、一体の蜘蛛の上に立つ機械を鎧う武者だった。そこでこちらを見上げ、手を蜘蛛の背につけている

 しかし、なるほどな。奴らの狙いはあの子か。——なおさら、倒さなきゃな。


『仕手よ。来るぞ』

『何が来るんだよ。別にここまであいつらの攻撃は届かないだろ。さっきまでの奴らもここらに来ると失速してたし』

『あれは窆甲つかづめ、さっきまでの虚甲うろつめ共とは出力が違う。権能で届かせようぞ』

『うげ、マジかよ!?』


 気がつくと、俺が打ち壊した機械の蜘蛛たちは姿を消し、奴の足元の蜘蛛は一段と大きく成っている。


“権能・機巧操作、完了”

“名付けて「大機巧雪迎え」ね”

“それよりも、……いくぞ”

“ええ。我、多産の化生、孕み蜘蛛。汝を助ける蜘蛛を孕みましょう”

“猪俣流甲装抜刀術「破竹」が崩し、——「爆ぜ蜘蛛」”


 腰溜めになった武者の足元。鉄の蜘蛛が爆ぜると同時、太刀の柄に手をかけて真っ直ぐに俺を見据えた鉄色の武者が飛んでくる。


『迎え撃つぞ、仕手!』

『どうすりゃいいんだよ!?』

『ええい、騒ぐな仕手! 威力は高所のこちらが有利! “返らずの羽”で迎え撃つ。権能を使え!』


 権能を使えって言ったってどうやって使えば、


『唱えよ!』


 怒鳴り声が頭に響くと同時。

 脳裏に祝詞ことばが浮かぶ。唇が勝手にそれを紡いでいく。


『我、神使“大鯰”が権能の借受をまほしけるよし天津アマツ日高ヒコウ日子ヒコ波限建ナギサタケ鵜葺草ウガヤ葺不合フキアエズノミコトに奏上す!』

『奏上受諾。権能貸与』

『歌え、“返らずの灼羽”!』


 背中の羽がキンと甲高い音を長く放つ。

 そして、重さに引かれるように鋼翼からいくつも剥がれ落ち、見えざる何かがそれらを惹きつけるように鎧武者を迎え撃っていく。

 その姿は狩人と共にする猟犬が如く。


“仕手、奴から放たれた飛翔物に高周波を確認。当たったら装甲を喰い破られる! ——空を飛んで尚もこの出力、敵は斂甲いれつめよ! ”

損傷きずが浅い軌跡の刃ならば無視して構わん! 直撃は子蜘蛛で対応する!”

“——ダメ! 数が足りない!”

“ならば、一の太刀はこの羽虫共にくれてやる。二の太刀を子蜘蛛に補助させろ!”

“諒解!”


『まずいぞ、仕手よ。翼が切り裂かれる』

『うるっせえ!こちとら翼が減るたびバランス崩してんだよ。戦闘そっちの方はなんとかしてくれ!』

『——ならば、仕手。落ちるぞ!』


 直後、俺を襲う浮遊感。

 頭を下にして機巧の武者へと落ちていく。


『おい、バカ。急に制動を奪いやがって何してくれてんだ、これじゃ自殺だぞ!?』

『ええい、戦のなんたるかを知らぬなら黙っておれ!』


 敵が太刀を鞘から抜いて振りかぶる。刹那のうちに赤熱する鋼刃が打ち払われる。敵方の仕手は振り抜いた太刀をそのまま手放して左手を何もない脇へと伸ばす。


“我、多産の化生、孕み蜘蛛。汝を助ける蜘蛛を孕みましょう”

“権能起動。受胎「太刀孕みの鞘蜘蛛」”

“主命受諾。生まれよ、産まれよ、地を埋めよ”

“猪俣流甲装抜刀術「萩」が崩し、——”

“生産完了。……いけるわよ!”

“——「薄紗」!”


 いつのまにか手の内に握られた二振り目の太刀が振り抜かれていく。

 俺は反応できないまま、落ちてそのまま、


『——仕手よ!』


 機械音声が耳元で叫ぶ。

 武者の動きが緩慢に見える。

 背に感じる武装を使うか?

 使っこともない武器を振り回すことほど危険なこともない。

 敵の薙ぎを避けるか?

 無駄だ。間合いにはあと一秒もないうちに侵入する。その状態で避けようとしても隙を晒すだけだ。

 なら、どうすればいい?

 ——体は思った以上に滑らかに動いた。


『立木流甲冑柔術“勒巴”が崩し、』


 権能チカラを先ほどまでとは逆に使って加速する。これで一秒の半分程、相手の呼吸とこちらの動きがズレた。もちろん、相手は武人だ。その程度は合わせに来るだろう。

 だから、


『——“禽”』


 刀を抜こうとした柄先に合わせて掌底を放ちそのまま鞘を掴んだ左手首を掴む。落下する俺によって重心を崩された体は上下反転する。この状況では刀も迂闊に振るえまい。

 俺は権能チカラの出力を上げて、さらに速力を増していく。


『仕手よ、地上まであと三秒だ!』

『……その情報は助かる!』


 俺は奴の手を離すなり、権能で体を反転させ天高くへと舞い戻る。


あるじ!!”

“孕み蜘蛛、権能起動”

“主命受諾。鋼糸を放つわ!”


 翼に鉄の糸が巻き付いたのを感じる。

 慣性の調整を行いながら出しているのだろう。このまま減衰すれば致命になる損傷は与えられない!


『仕手よ、権能を使え!』

『我、神使“大鯰”が権能の借受をまほしけるよし天津アマツ日高ヒコウ日子ヒコ波限建ナギサタケ鵜葺草ウガヤ葺不合フキアエズノミコトに奏上す!』

『奏上受諾。権能貸与』

『己が鋼糸に焼き切られろよ!!』


 権能を鋼の糸に通す。

 キンッと一鳴きした後、


“警告、緘金とじがね損傷! 装甲解除まで三秒もない!”

“クッ、慣性を殺し切る前に剥がれるか……!”

あるじ、あきらめちゃ、”


 大地からズゴンと音が鳴る。

 近くの家屋が余波で揺れているのが見える。


『熱源消滅。仕手よ、彼の大蜘蛛は汝の手にて討ち取られた』

『…………』

『仕手?……生体反応減衰!? 初戦闘だというのに権能乱用した副作用か!』


 落下していく鋼鉄。

 蜘蛛の亡骸の上、折り重なるように落下していく。

 真っ暗な意識の中、高揚感だけが俺を満たしていた。



「——たつ、うみど、ぉ」


 鈴のような声に目が覚めると、俺は見知らぬ場所で寝かされていた。

 傍らではわらべが一人、正座をしたままうたた寝をしている。


「……御子様」


 俺はその子供の正体を口にする。

 彼奴の狙った神の血筋を引く御神子みこにしてもうけの君たる御方。姉が匿い、父母が庇い、兄が俺に託して、弟妹が囮となってまで守ろうとした命。

 こうして見ると普通のわらべと何も違うまい。御年、十三歳。命を狙われる理由もあるまいに。

 ウトウトと船漕ぐおつむがコテンと転がりそうになるのをふわり片手で受け止める。

 武家としては落伍者であった俺が御子様の守り役になるとは思いもしなかった。


『——起きたか、仕手よ』

「梟か。状況を説明しろ」

『そうさな。落下したお前は気絶し、装甲状態を維持できなくなった。運が良かったのは蜘蛛の奴の仕手と違い落下後勢いが全て死んでから装甲解除されたことか』


 そうか。

 奴が地面に落ちるまでの記憶は辛うじて残っているが、あの仕手はそんなふうに死んでいたか。


『その後、様子を見に来たあの童がお前の体に縋り付き泣き始めてな』

「お前はその時何を?」

『この姿に戻って警戒に決まっておろう?』

「すまない。それは助かった」


 梟のやつが語るには、その後警官が様子を見に集まってきて俺の様子と俺に泣きつく童の姿を見るなりどこぞに連絡を取り始めたのだという。その人物こそが、


「起きたか、客人」


 女でありながら鋭い声色。

 この声には聞き覚えがある。親父が宮の儀式で出仕したとき、連れて行かれたことがあった。この声はその時に聞いたもの。


「アンタは確か、宮の、……」

「私は天子の守護を与る坂上家の者だ」

「となると、俺の上司ってことか」

「そうなるな」


 当主だった兄貴が死んだ以上、宮の警備を任される赤衣の当主は俺ということになる。しかし、正式な継承がなされた扱いにはまだならない。最もこの緊急時には些末な問題だ。

 俺は腕の中で眠る御子様の髪を撫でながら話を聞く。


「しかし、なんだって東宮はるのみやともあろう御方が命を狙われる?」

「それは……」

「まだ元服の儀もやってないんだろう? こんな年端もいかない子供を襲う大義名分ってのはなんだ?」

「ふむ、落伍者であった貴様なら漏れることもないか。——いいだろう、聞かせてやる。だが、聞くからにはお前には命を賭して御子殿をお守りする義務が、」

「御託はいい。早く言え」


 坂上の女は一度口をつぐみ、俺を見据える。

 射抜くように真っ直ぐとした視線と俺のおろんな視線が交差する。しかし、相手は不快を少しも顔に出さずこう告げた。


「……御子様は姫君であらせられる」

「おい、それって、」

「先日、今世天皇が崩御なさった。その正当な血縁者は御子様しかおられぬ」

「まてまてまて、兄弟とかは!?」

「今世天皇は子に恵まれなくてな。血が近いところとなると他は皆、女系だ。正当な継承とはいくまい」

「しかし、だからといって女が天皇を継ぐのはまずいだろ!?」

「まずくはない。歴代のうち八人十代が務めている。むしろ、問題は、」

「次世代が必ず女系になることか?」


 少しの沈黙。

 女の顔には険しさが浮かび上がる。


「ああ、だから上皇派と親王派、それに王連中も浮き足立っている」

「なるほどな、次世代が女系になることが決まっているなら、我らでもいいだろうというわけだ」

「……浅ましいことだ」

「俺の家族は、……赤衣はどこに属していたんだ?」

「赤衣は主に上総守東世院とうぜいん吉水よしみず親王の懐刀であったからな、親王派だった。……と言いたいところだが、吉水様は変わり者でな。あえて、御子様を擁立しようと画策なさったのだ。懐刀たる赤衣の者に御子様を預けてな」


 これで合点がいった。

 親父たちは御子様を天皇に、歴史上初めての女系天皇の母となる人物とすることを望んでいたらしい。国に対する叛逆にも思えるが、それが遺志だというのなら継ぐ他ないか。


「しかし、赤衣の当主には窆甲造つかづめづくり理鎧りがいが親王より下賜されたというが……」

「兄貴は御子を庇って装甲前に死んだんだよ。蜘蛛の襲撃は予見できなかったらしい」

「そうか、すまない。忘れてくれ」


 沈痛な面持ちで言われて、ちょっと愉快な気持ちになる。


「坂上は御子様を擁立するんだろう?」


 俺の言葉に女は苦い顔をする。

 おい、まさか、


「実は坂上の中でも話が割れていてな」

「どっちが主流派だ?」

「親王派だ」

「御子様についているのはどこだ?」

「ウチと上総守、——そして、赤衣だけだ」


 ……おい、これ負け戦なんじゃねえの?

 こりゃあ、急かしたのは失敗だったか。今すぐにでも身を引きたい。命が惜しい。


「それでは、これから宜しく頼むぞ。赤衣あかえ龍臣たつうみ


 どうして名前を。

 もしや、御子様が伝えたか?


「アンタは?」

「……ああ、私の名か。名乗り忘れていたな。私は坂上分家、菊池家が当主。菊池結衣だ」


 宜しく頼む、と微笑まれ毒気が抜かれる。

 どうやら戦況はこちらの圧倒的不利ということらしい。成り行きで助けた命だったが、どうにもでかいヤマに巻き込まれたらしい。

 面倒ごとはごめんだが、もう陣営には組み込まれているのだろう。今更、一抜けはできまい。


「ああ、こちらこそ。世話になる」


 俺にはそう答えることがやっとだった。

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神明理鎧戦記外伝「灼梟」 深恵 遊子 @toubun76

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