遺したもの

@Teturo

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 葬儀のモノトーンの行列の中、私は猛烈に腹を立てていた。ファンの参列者も多いのだろう。見知らぬ人々が目頭にハンカチを当てている。


「今日はお父さんのためにありがとうね」


 色白の少年がニコニコと微笑み、私に語りかける。私は戸惑い、やり切れない表情を浮かべた。少年は唐突に中学校の学生服から生徒手帳を取り出し、何かを熱心に書き込み始める。

 私は少年の手元を覗き込む。日本語ではない。世界中で彼にしか読む事の出来ない文字であった。少年は4歳の時、高熱を発し、脳に重度の障害を残してしまう。高度医療を受けられたため、命に別状はなかったが、知的障害が残った。

 

 少年から見て伯父にあたる私は、従兄弟の遺影を睨みつける。36歳の若さで彼は逝った。古典の分野で将来を嘱望された音楽家だったのに。幾つかの作品を発表し、高い評価も受けていた。

 天才には天才にしか分からない苦悩があるのだろう。平凡な私には分からないが、彼は大きな重圧から逃れるため、かかる重圧と同量の酒を呑んだ。一昨日の夜、彼の体力以上の重圧が、彼の命を奪い去る。ピアノに俯せになった彼は、何を思いながら酒を呑んだのだろう。

 遺影の横で彼の妻がうつむいている。少年に何か囁いているようだ。少年はコクリと頷くと、他の参列者に語りかける。


「今日はお父さんのためにありがとうね」


 少年は父親が死んだ事が理解できていない。理解できないまま、父親のために集まった大勢の参列者に微笑みかけている。母親が泣いているのを不思議そうに見つめていた。


『死んだらおしまいだろうが・・・』


 この先、彼の妻は少年と、どのように社会の荒波を凌いでゆくのであろうか。私はやり切れない思いを持て余す。彼は自分の苦悩から逃れるために、妻と少年を捨てたのだ。これが私の率直な思いだ。


 式は進んで行く。参列者の列が途切れる事がない。彼の作品を愛した多くのファンが名残惜しげに焼香を済ませた。音楽家の集団もあちこちに集まって、追悼演奏会の準備を始めている。幾らかの打ち合わせの後、演奏を始めた。

 彼の遺作である、ジャズ調の小曲だった。古典の世界で生きた彼は、その他のジャンルの曲も残している。古典の堅苦しい曲よりは、今の場の雰囲気に合っているのかもしれない。また、参加する音楽家の人数が多すぎて、いきなりのセッションが難しかったのだろう。

 主題を終え、各セッションのアドリブが始まる。バイオリン、サックス、トランペットなど様々な楽器がソロを取り始めた。

 少年は、ぼんやりと演奏を眺めていたが、ふと立ち上がる。


「お父さんのだ」


 少年はグランドピアノに向かった。ピアノの横で演奏に合わせて、身体を揺すり始める。そしてピアニストの横に身体を入れると、おもむろに鍵盤を叩き始めた。

 まわりの参列者たちは息を呑む。少年の無造作な動きにではなく、ピアノの旋律の美しさに。ペダルも使わずに、どうしてこんなに繊細なタッチを出せるのであろうか。

 ピアニストは首を振って立ち上がる。ピアノを独占した少年は、演奏を続ける。曲は終わり、様々な楽器が音を止めた。しかしピアノは鳴り続けた。曲の主題を、少年はアレンジし、次々と音を紡いでゆく。


 私は少年を見つめた。切れ長の瞳。神経質な印象をあたえる口元。従兄弟が中学生であった時に驚く程、良く似ている。姿形だけではなく、演奏している細かい癖が、そのまま浮かび上がった。

 幼い頃から音楽の才能を認められ、周囲の期待を裏切る事が無かった彼。音楽以外の人付き合いがほとんどなく、だから私との他愛もない話に、驚く程、興味を示しもした。

「本当は古典なんて面白くないんだけどね」

 そう呟きながら、ピアノに向かっていた。


 唐突に、少年の演奏が終わる。数秒の沈黙後、パラパラと始まった拍手は、会場中を揺るがす称賛へと変化していった。


 彼はただ逃げた訳ではないのだ。何かを必死になって遺そうとしたのかもしれない。彼が残したものを、私は少なくとも二つ確認できた。

 今、聞いた作品群が一つ。

 

 そしてもう一つは・・・


 ゆっくりした足取りで母親の元へ帰っていく少年を見つめ、私はやっと素直に泣く事ができた。

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